読書日記

ジェラルディン・ブルックス

「古書の来歴」

ランダムハウス講談社

2010.3.5

100年ものあいだ行方が知れなかった実在する最古稀覯本「サラエボ・ハガダー」が発見された。 オーストラリアの研究所にいる古書鑑定家のハンナは、すぐさまサラエボに向かった。 発見されたサラエボ・ハガダーは、500年前、中世スペインで作られたと伝えられ、ユダヤ教の祭りで 使われるヘブライ語で祈りや詩篇が書かれた書である。美しく彩色された細密画が多数描かれている 鑑定を行ったハンナは、羊皮紙のあいだに蝶の羽の欠片が挟まっていることに気づく。今はない留め金の 痕跡、ワインの浸み、塩の結晶、白い毛。それを皮切りに、ハガダーは封印していた歴史を紐解きはじめる。

古書を科学捜査することで、500年の歴史と関わった人々の過酷な運命の物語が見えてくる。 ユダヤ教へのイスラム教、キリスト教からの500年前からの強硬弾圧の時代があったのですね。そのすさまじさに 圧倒されます。うまい構成にぐいぐい引きつけられて読みました。北欧の決して忘れることのないナチス。そして それ以前の時代の事実の重さを、改めて知りました。貧しさ、戦渦、その下で必死に生きる人間を、わずかな希望が 支えてきたのです。ハンナのキャラもいいですし、ラストのインパクトのある反転はみごとです。お勧めです。

朝倉かすみ

「深夜零時に鐘が鳴る」

マガジンハウス

2010.3.3

雪降る札幌の街、ひとりで年の瀬を過ごす匂坂展子は、いつもと変わらない新しい年をむかえようとしていた。 そんなテンコの前に、元ヘビメタ男「根上くん」、ウェイトレス「そら豆さん」パン屋で働いていたはずの 「ミヤコちゃん」が現れる。デパートのカリスマ社員「えぐっちゃん」とは・・・。

元カレやカノジョが微妙なラインに並ぶと、そこには不思議に世界が広がっているという展開です。数作前の 「タイム屋文庫」と登場人物もつながり、あの「リス」あるいは「リコ」が思わぬ姿でフォノグラムのように 立ち上ってきます。ゆったりとした時間が流れ、ここちよい作品です。

小島達夫

「ベンハムの独楽」

新潮社

2010.3.1

ふたつの肉体にひとつの魂、五分先の未来が見える災い、文字で飢えを凌ぐ男の幸い、グロテスクな双子の仕打ち、 冷笑に満ちた大人の仕返しなど、9編の短編集です。

見る角度によって違う色に見えるという、タイトルのままのベンハムの独楽のような物語です。おもしろい切り口の 作品と、そうかと通り過ぎてしまう作品もありながら、全体としては楽しめました。

中山七里

「さよならドビュッシー」

宝島社

2010.2.26

ピアニストを目指す16歳の遥は、両親や祖父、従姉妹などに囲まれていた。だが、それはある日突然終わりを迎える。 大好きな祖父と従姉妹とともに火事に巻き込まれ、ただ一人生き残ったものの、全身に大火傷を負ってしまった。 だが彼女はピアニストになることを固く誓い、コンクール優勝を目指して猛レッスンに励む。ところが 周囲で不吉な出来事が次々と起こり、やがて殺人事件が発生する。

熱でのどをやられ声を失い、皮膚が焼けただれ 多くを移植で賄い、自分のものじゃなくなったような、 思い通りにならない体で、必死にリハビリを受ける辺りは、少しリアリティに欠けますが伝わるものがあります。 天才ピアニストで探偵役の岬先生との、 レッスンの空気や、発表会の演奏の熱さが、物語を突き動かしていると 思います。ミステリ要素は薄く、随所で伏線が強調されるので、おおよその予想がついてしまいますが、それでも 引きつけるのは、ピアノを弾くときの演奏者の高揚感かも知れません。何物にも代え難い演奏しているときの感覚が、 しばらくチェロを弾いていたわたしには、懐かしい心の記憶でした。成長していく作家かどうかは、微妙なところです。

桜庭一樹

「製鉄天使」

東京創元社

2010.2.24

辺境の地、鳥取県赤珠村に根を下ろす製鉄会社の長女として生まれた赤緑豆小豆は、鉄を支配し自在に操ると いう不思議な能力を持っていた。荒ぶる魂に突き動かされるように、レディース“製鉄天使”の初代総長として、 中国地方全土の制圧に乗り出す。「あたしら暴走女愚連隊は、走ることでしか命の花、燃やせねぇ!」中国地方に その名を轟かせた伝説の少女の物語だ。

いわゆる「不良」としての日々が、ひたすら主人公の目線で描かれていきま す。バイクを乗り回し一帯を疾風怒濤と なって駆ける小豆の行動は、突き抜けています。雄叫びが、聞こえるようです。小説の中でマンガ・ストーリーが 展開する運びは、好き嫌いが出るかも知れません。でもわたしは結構好きだったりします。根底にあるのは、枠を 飛び出せなかった時代への惜春の思いかも知れませんが。

宮下奈都

「遠くの声に耳を澄ませて」

新潮社

2010.2.22

息子が世界中を旅したいと言って、一人暮らしをしている母の元に届く絵はがきには「ここにも猫がいる」という短い 文章だった。・・「どこにでも猫がいる」

12編の短編集です。錆びついた缶の中に、おじいちゃんの宝物を見つけたり、幼馴染の結婚式の日、泥だらけの道を走った 記憶や、大好きなただひとりの人と別れたことなどが、看護婦、OL、大学生、母親の普通の人たちがひっそりと語りだす、 大切な記憶なのかも知れません。短すぎてうまく伝わらないものもあります。書き出しの独特の空気感が、印象に残ります。

中村弦

「天使の歩廊 ある建築家を巡る物語」

新潮社

2010.2.19

明治から昭和初期、天使によって人生を宿命づけられた孤高の天才建築家・笠井泉二は、依頼者が望んだ 以上の建物を造る不思議な力を持っていた。老いた子爵夫人には亡き夫と過ごせる部屋を、偏屈な探偵作家には 永遠に住める家を作った。そこに一歩踏み入れた者は、建物がまとう異様な空気に戸惑いながら、次第に酔い しれていくのだった。彼の手掛けた建築物は異空間に通じ、住人たちは現実と奇蹟の出会いに遭遇する。

明治はすでにわたしにとっては時代劇であり、読むのをためらった作品です。けれど読み進むうちに、人物が決して 時代の書き割りに寄りかからず、深い心情をたたえて屹立していました。多少類型的な人物設定はあるのですが、 現代に通じる視点の確かさを感じます。笠井の創造した美しく妖しく、人の人生を変える建築は、壮麗で幻想的な 世界に引き込まれます。迷宮をさまよう心地よさとめくるめく美に、ためいきでした。時代や人物によって話し言葉が くっきりと違いが出ていて、建築造形への審美眼と共に、しっかりした知識と想像力が活かされています。力の ある作家ですね。

ヒキタクニオ

「負の紋章」

徳間書店

2010.2.17

石渡宗介は妻・由美子と小学生の・佳奈との平凡な三人暮らしだった。ところが留守番中の佳奈が行方不明になり、 全身に無数の噛み傷が残る異常で無残な死体で見つかった。アキバでオタクたちの実態を目にし、復讐を決め、 知り合ったポリ子とその仲間たちと探すうち、犯人は警察に逮捕されてしまう。塀の中の犯人にどうしたら復讐 できるのか。

暴力とは縁のないサラリーマンが絶望し、死の淵から立ち上がり復讐を誓う姿が、壮絶です。オタクたちのキャラが 類型的で都合がいい設定過ぎる難点はありますが、それでもおもしろいです。オタクたちにも様々な種類の人間がいて、 初めて知る部分もありました。最終的に取る手段にも無理がありますが、ラストまで引きつけられて読みました。 ヒキタさん。すごい。

ヒキタクニオ

「俺、リフレ」

角川書店

2010.2.15

俺はスウェーデンで作られ日本に渡り、作家の伊作家に買われた。でかすぎて収まらない冷蔵庫だ。伊作夫婦が、幼い 天才ヴァイオリニストを預かってから、この家の雲行きが怪しい。「才能」を巡るバトルが始まったのだ。仕事と才能に 悩み、ぎくしゃくする家族に、崩壊の危機が迫っているってことを俺は知っている。

視点が冷蔵庫という設定での、新しい発見も特にはなく魅力が欠けると思います。ラストを持ってくるための、設定は わかるのですが、ヒキタさんは、どうしても設定に懲り、それを細部に至る書き方に魅力があるので、引きつけられて 読むけれど、後に残るかどうかというと難があるかも知れません。家族の様々な行き違う心理描写は、とてもうまいです。 第三者の視点の方が、もっと深く一人一人を書けたと思います。

ヘニング・マンケル

「笑う男」

創元推理文庫

2010.2.12

正当防衛とはいえ、人を殺したことに苦しむ警察官ヴァランダーは、うつうつとして仕事を休み、退職を決意するが、 そんな悩む彼を友人の弁護士が訪ねてきた。父親の交通事故死に腑に落ちない点があると言う。しかしヴァランダーは 相談に乗る余裕はなかった。その数日後、彼はその友人が射殺されたという新聞記事を見た。復職し、事件を追い始めた ヴァランダーが訪れた弁護士事務所の女性秘書が、自宅の庭に埋められた地雷から、かろうじて危機を救った。そして 彼の車には爆弾が仕掛けられていた。状況から推理したのは、ファーンホルム城という中世の城郭に住み、自家用 ジェット機で世界を駆け回る国際的な企業家であり富豪の男だった。しかし彼は各国の研究機関から名誉博士号を 贈られるほどのスウェーデン国内でも人望が厚い有名人だった。ヴァランダーは、まるで治外法権を持っているような この「笑う男」の真の姿に迫るべく悪戦苦闘するのだった。

長年の経験から鋭く研ぎすまされた直感と、納得するまで証拠を集めるヴァランダーの姿勢に好感が持てます。悩み ながら、社会の根源的な悲壮な事実と向き合う目の確かさが、魅力でしょう。全体がモノトーンですが、描かれる心の 葛藤に共感します。真っすぐに正義に向かう貴重な警察官像です。長編なのに、重さを感じさせず引きつけられます。 おもしろいです。次作も楽しみです。

山下貴光

「少年鉄人」

宝島社

2010.2.10

内向的で優しい小学生・太一は、フィギュアを買うための道で、二人組に脅されてお金を巻き上げられてしまう。助けに 入ってきた見知らぬ少年は、ひたすら殴られ続けた。太一はフィギュアが手に入らなかったことと、なにもできなかった 自分が情けなくて悔しい思いに駆られた。数日後、関西弁であだ名が「てつじん」という転校生がやって来た。助けに 入った少年だった。太一と、秀才・義之、学級委員・千秋、乱暴者の王様・和真も、次第に鉄人の ペースに巻き込まれ、お互いの秘密を共有し合うことになる。そんなとき、彼らは頻発している通り魔事件を追うことになる。

「世界を変える」という鉄人の言葉や、不思議な存在の「仙人」や「忍者」「喧嘩屋」と呼ばれる大人の力を借り、 通り魔犯を追いつめていく小学生たちの、冒険物語です。決して強くはない、どこにでもいる彼らが望んだものを 手にするために、泣いたり喚いたりして、それでもあきらめないところに引きつけられます。小学生視点ではない描写が、 ときどき気になりますが、しっかり書こうという意思は伝わってきます。視点の制約からか、文章のリズム感のなさからか、読みづらさがあるのが惜しいです。

豊島ミホ

「リテイク・シックスティーン」

幻冬社

2010.2.8

高校に入学したばかりの沙織は、クラスメイトの孝子に「未来から来た」と告白される。未来の世界で27歳・無職だと 言うのだ。イケてなかった高校生活をやり直せば未来も変えられるはずだと、学祭、球技大会、海でのダブルデートと、 青春を積極的に楽しもうとする孝子に引きずられ、地味で堅実な沙織の日々も少しずつ変わっていく。

クラスの中の微妙な空気感が、グラデーションのように揺れ動いていきます。誰でも思う、人生をやり直せたらという ことをしているのに、孝子は修正のさじ加減の難しさに悩みます。沙織はそばにいながら、プライベートを口にしない お互いの関係に傷ついたり、喜んだり、不満をぶつけたり、まっすぐ前を見つめていきます。おもしろい設定だと 思ったのですが、考えてみれば高校時代のどんなシーンも、自分キャラも、理想的な姿などありません。ほんの少しの 選択の幅を広げるのさえ、大変な気がします。全体の構成が長過ぎて、せっかちなわたしはもっとザクザクと削りたく なりました。半分の量で押さえられるのではないでしょうか。

ヒキタクニオ

「My name is TAKETOO」

文芸春秋

2010.2.5

2060年、第18回「ペルフェクション」は、精神と肉体の限界が試される過酷なバレエ・コンクールだ。 5年間その頂点に立ち続けるフィリップ・K・武任(タケトウ)に、魔の手が静かに忍びよる。

設定を近未来とさせたので、インプラントや完璧に管理されたドーピングなど、肉体に関わる極端な要素が 無理なく感じられます。瓶割刀とか日本刀を使ったインプラントが、じつに鋭角的に金属の触感が伝わり、 痛覚を遮断する機械がありながら、肉体が受ける傷や痛みが読んでいて自分のことのように痛いです。 トップであり続ける葛藤、年齢的な肉体の衰え、次世代の台頭、そして陰謀が渦巻く世界は、現実の世界 そのままです。強靭な意思を持つ武任の心の動きは、強烈です。芸術としての究極の美のバレエは、 コンクールのステージが、まるで決闘の場のような臨場感と緊迫感に満ちています。すごい作家ですね。

宮下奈都

「スコーレNo.4」

光文社

2010.2.3

麻子、七葉、紗英の三姉妹は、一人一人の個性の違いがある。骨董品店の父が、麻子に見せる品物は どれも忘れられない美しいものだった。祖母の厳しく毅然とした姿勢は、受け入れるしかない完璧さだ。 ささやかな憧れのような恋は、麻子はそこに、何かを、誰かを、ほんとうには愛することができない苦しさを 知ってしまう。

麻子の、自分より華やかな名前と容姿の妹、七葉にコンプレックスを抱くこども時代の描写が 印象に残ります。こんなに丁寧に書き込める作家は久々の感じです。伏線とも違う、散りばめられた物や 人が、必ずしもラストで収斂するわけではないのですが、作者のこだわりが感じられます。そのステップを 踏まないと先に進めない、そして気付くと走り出している物語があります。

相沢沙呼

「午前零時のサンドリヨン」

東京創元社

2010.2.1

須川が、高校入学後に一目惚れした、不思議な雰囲気を持つクラスメイト・酉乃初は、実は凄腕のマジシャン だった。放課後にレストラン・バー『サンドリヨン』でマジックを披露する彼女は、須川たちが学校で巻き 込まれた不思議な事件を、抜群のマジックテクニックを駆使して鮮やかに解決する。それなのに、なぜか 人間関係には臆病で、心を閉ざしがちな初。

トランプを中心にしたマジックが、心を表すためにうまく使われています。多少類型的なキャラが気になりますが、 飛び抜けて才能があるわけでも、優等生でもない群像描写がいいですね。高校生ならではの、些細な言葉で 傷つけ合うシーンは、なかなか引きつけるものがあります。読んでいていらいらしてしまう須川のキャラを、 もう少しなんとかしてほしいのは、わたしだけでしょうか。でもとにかくおもしろいという最大の魅力があります。

小路幸也

「キサトア」

理論社

2010.1.29

世界的に評価されるほどの芸術家でもある12歳の少年アーチは、双子の妹キサとトアと父親の4人暮らしだ。 海辺の町に越してきて5年、家族は平和に暮していた。アーチは色の識別ができないが、物づくりが得意だった。 日が出ている間しか起きていられないキサと、日が沈んでいる間しか起きていられないトアを、父とアーチは交代で 見ている。風のエキスパートの父は風車の管理をしながら、簡易宿泊所も維持している。人々の思いやりの優しい町へ、 水のエキスパート・ミズヤさんが、水の流れを調査に来た。

アーチの視点から描かれる物語は実に繊細で美しいです。語り継がれてきた双子を生け贄にするという伝説や、水の 事故さえも、風や水の音とともに映像として印象に残ります。ラストのマッチ・タワー・コンテストも、忘れられない シーンになりました。父とミズヤさんが「自然を相手に仕事をしているということは、戦うのではなく、逆らわず、 あるがままに受け入れ感じるから、自然は彼らに応えてくれるのだ。 この世界は信じられないくらいの微妙で、繊細で、 かつ絶妙なバランスの上に成り立っているのだ。」と言った言葉も残ります。小路さんの作品の中でも、格別の1作です。

明野照葉

「澪つくし」

文芸春秋

2010.1.27

タクシー運転手の市橋は、カッパ寺から乗り込んだ女性が伝えた住所に向かう。だがそこではないらしい。 「大丈夫。走っていれば見つかりますよ」と言い、停車したところが女性の家だった。市橋は、家に上がり 麦茶を飲んだ。・・「かっぱタクシー」
夫の急死で酒に溺れていた和美は、元の仕事仲間の堀江からの強引な誘いで仕事に復帰した。最初の仕事が うまくいった祝勝会の3次会で、「三途BAR」で和美は夫の追想に浸る。見守るマスターには、霊がわかる らしい。・・「三途BAR」

8編の短編集です。異世界というのは別個な空間にあるというより、暮らしているそばに陰のように存在 しているのではないかと、思わせました。すっと目を向けさえすればそこにある感じです。そういう感触と ともに、人間の弱さ、もろさに向けられる視線の穏やかな暖かさがあります。怖い話なのに、どこかほっと させるうまさに感心しました。

橋本紡

「彩乃ちゃんのお告げ」

講談社

2010.1.25

素朴で真面目で礼儀正しくて、一見ふつうの5年生だけど彩乃ちゃんには、周りの人のちょっとした未来が 見えている。幸運をよぶ少女と、日々小さなことで迷っている人たちのひと夏のファンタジィだ。
ボランティアで石段を掘り起こすことになっ高校生のた辻村は、じりじりと夏の熱に灼かれながら、ひとりで 苦悶し自分の道を探していく。そこへお使いでおにぎりを届けにくる彩乃ちゃん・・。「石階段」

3編の短編集です。教祖さまの彩乃ちゃんは、ほんの少し行く道が見えます。周囲の人たちが、彩乃ちゃんを通して 自分の内面を見つめ直していくようすは、少し苦く、そしてほほえましいです。さらりとした描き方は少し物足り ないけれど、読後感のいい作品です。

ヒキタクニオ

「遠くて浅い海」

文芸春秋

2010.1.23

1972年本土復帰の沖縄で生を受けた天願圭一郎は、若くして新薬の開発に成功し、巨大な富を得る。相棒の蘭子と 滞在していた、将司は、沖縄でその天才を消す依頼を受けることになった。依頼主の小橋川が付けた条件は、彼を 殺すのではなく、自殺するよう仕向けてほしいというものだった。ほしいものに囲まれ、欲のない圭一郎を、 消し屋の将司はどうやって追い詰めていくのか。

正面からプロの殺し屋と名乗って圭一郎に近づき、猛スピードで走らせたバイクでチューブを駆け抜ける遊びに、 将司もおもしろがって参加するところがおもしろかったです。チタンのインゴットで作ったバイクや、チューブの 特殊な金属の説明も楽しめるし、自分がバイクで疾走していく感覚まで味わえました。圭一郎の過去を挿入する スタイルも、いいセンスだと思います。16歳で暴力団組織を潰したのも、心理作戦を駆使しての「遊び」でした。 記憶は脳に蓄積され、取り出す方法さえあればコンピュータ以上の記憶がある、というくだりや、脳の驚異的な 働きも新鮮でおもしろいです。ヒキタさん自身が、天才なのかも知れませんね。

中村弦

「ロスト・トレイン」

新潮社

2010.1.20

サラリーマンの牧村は、ふとした切っ掛けで鉄道マニアの平間と知り合い、平間のなじみの店「ぷらっとほーむ」で 酒を交わした。携帯電話を持たない平間との連絡は、駅の伝言板だった。幻の廃線跡の噂があることを平間から聞いて まもなく、姿を見せなくなり、牧村が心配して訪れた家で、彼の弟から失踪したことを告げられた。知り合った頃に もらっていた名刺から、廃線マニアの菜月に会うと、一緒に探そうと言ってくれた。たどり着いたのは岩手県の 霧古の森の草笛線だった。そこで二人は不思議な体験をする。

以前、鉄道博物館を見た時に鉄道ファンではなくても、引きつけられたことを思い出しました。全国の鉄道乗車を 果たしたり、打ち捨てられた廃線跡を目にしたいというマニアの気持ちを、うらやましく思いました。そして 幻想的な、霧古の森の草笛線にまつわる描き方は、究極のファンタジィです。想像が膨らみ映像的に浮かぶすばらしい 描写でした。どこか懐かしくせつない、鉄道の魅力というより魔力に近い世界があります。丁寧な構築と進展が まどろっこしいけれど、ラストのための布石と考えれば納得もいきます。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に思い入れの あるわたしとしては、良質の作家との出会いがうれしいです。

米澤穂信

「儚い羊たちの祝宴」

新潮社

2010.1.18

五編の連作です。「バベルの会」という学生サークルが少しずつ話に絡んで、 終話で繋がります。 昭和の頃のレトロな雰囲気の館で繰り広げられる話は、上流階級の傲慢さや残酷さが黒々とした空気を 作っています。ごく普通の暮らしを送っていたのに、ふとしたことで危うく揺れ、人を殺してしまいます。 もしかしたら自己完結しているのか、殺人に悪意や恨み、後悔といった感情がなく、そのずれてしまっている 心理が怖いです。米澤さんに、こういう作品があったのですね。読まずに来た世界でした。

ヘニング・マンケル

「目くらましの道 上・下」

創元社推理文庫

2010.1.15

夏の休暇を楽しみに待つ警部ヴァランダーは、農夫からの電話で呼び出された目の前の菜の花畑で、少女が焼身自殺を した。ショックに追い打ちをかけるように、殺人事件発生の通報が入った。被害者は元法務大臣で背中を斧で割られ、 頭皮の一部を髪の毛ごと剥ぎ取られていた。必死のヴァランダーたちの捜査をあざ笑うかのように、次々に事件が起きる。 現場の証拠や観察の勘から、連続殺人事件の匂いを嗅ぎ取ったヴァランダーは、決して有能とは言えない持てる能力 すべてをかき集めて推理を展開する。だがまた事件は続き、さらにヴァランダーにも魔の手が伸びる。

猟奇殺人とも言うべき悲惨な事件を扱いながら、ヴァランダーが父と娘を思う気持ちと葛藤があり、犯人像も人間性を 持たせた描き方が、大変魅力的です。北欧のスウェーデンの理想的な社会福祉国家で起きる、悲惨な事件で ありながら、さりげない風景や行き交う車にまで美しいと感じさせる空気感があります。人を思う気持ちの強さに、 胸を打たれます。久しぶりにいい作家と出会えたという感じです。シリーズもののようですので、何作か読んで みたいと思います。

越谷オサム

「ボーナス・トラック」

2010.1.13

ハンバーガーショップで働く真面目で不器用な草野は、ある雨の晩、ひき逃げを目撃したばかりに、死んだ 若者の幽霊にまとわりつかれてしまう。だが死んでしまった亮太には悲壮感がまったくなく、お調子者だった。 草野は幽霊の亮太と一緒に、犯人探しをすることになった。

幽霊のキャラがおもしろいです。現実にいたら軽薄短小そのものですが、一瞬見せる悲痛な表情がせつないです。 バーガーショップの裏側や、二人のプロレス・ゲームのやりとりもおもしろく、ラストへの伏線もうまいですね。 細かな日常動作の描き方もいいし、幽霊の消え方もきれいです。死後もいいかも知れない、捨てたもんじゃないと 思ったことは、一人胸にしまっておきたいです。

明野照葉

「ひとごろし」

2010.1.12

フリーライターの野本泰史は、なじみの店「琥珀亭」で新顔の弓恵と出会う。はかなげな弓恵に少しづつ 惹かれていく。だが、店主夫婦はの態度がなんとなく弓恵に気を遣っていて、弓恵とは関わるなと言う。 妹からはときどきメールが来たり、たまに食事に誘う。妹までも弓恵を警戒した。

ずるずると女性に引っ張られていく男性の鈍さに、読んでいていらいらしました。前半は弓恵のミステリ アスな過去を探るという進み方でしたが、途中から思い込みや狂気が暴走する展開に、がらりと変わりました。 読ませる力があるので、なんとか読み終えましたが、女性の粘着質な執着が後味を悪くさせてしまいます。

道尾秀介

「花と流れ星」

幻冬舎

2010.1.8

霊現象探求所の真備は、売れないホラー作家の道尾とバーで会ったマジシャンに、彼が過去に彼自身の右手首を 消し てしまったトリックを言い当ててみろ、と迫られた。 もしできなければ、二人の右手を消す、というのだ。 ・・「モルグ街の奇術」
霊現象探求所には、傷ついた心を持った人たちがふらりと訪れる。友人の両親を殺した犯人を見つけたい少年。 拾った仔猫を殺してしまった少女。自分のせいで孫を亡くした老人。彼らには、誰にも打ち明けられない秘密が あった。

5編の短編集です。道尾さんの短編はいままであまりストンと落ちてこなかったのですが、今回はうまいと 思いました。秀逸は強烈な印象を残す「モルグ街の奇術」と、ラストの悲哀に満ちた「花と氷」です。 長編だけではなく短編がうまいというのは、切り取り方が鮮やかになった証だと思います。

越谷オサム

「階段途中のビッグ・ノイズ」

幻冬舎

2010.1.6

先輩たちの引き起こした事件のせいで、伝統ある軽音楽部が廃部になってしまう。暑い夏、 がけっぷちに立たされた啓人は、幽霊部員だった伸太郎に引きずられ、メンバーを集めていく。 だが、部室もないため階段途中での練習に騒音クレームがつき、蒸し暑い環境でやることになる。 顧問の加藤は、ただ仕事をしながら形だけの役割を務めていた。ガチガチに縛ろうとする教師への 反発、同級生への恋、不協和音の部員たちはどうなるのか。それでも文化祭は近づいてくる。 だが、かろうじてノッてきた軽音楽部にとんでもない事件が起きる。

ベタな青春小説ですが、存続をかけた部の復活にもどうしたらいいかわからない啓人は、教師に 対し声をあげられないだめキャラです。周りから支えられてようやく動き出します。その辺りが いいのかも知れません。高校時代の空気感が伝わってきます。教師側の苦悩も描かれた点は、これ までにない面だと思います。よくある類型的なキャラが多い中で、顧問が際立っておもしろいです。 予想通りの結末ですが、 いい気分で読み終えました。

宮下奈都

「よろこびの歌」

実業之日本社

2010.1.4

御木元玲は著名なヴァイオリニストを母に持ち、声楽家を目指していたが音大附属高校の受験に失敗 してしまう。新設女子校の普通科に進むが、挫折感から同級生との交わりを拒み、母親へのコンプ レックスからも抜け出せない。しかし、おなじくどこか挫折感を抱えたクラスメイトの千夏、早希、 史香、佳子、ひかりたちと過ごし、合唱コンクールを機に、頑なだった玲の心に変化が生まれる。

高校生の頃の自分がどんな感情を抱えてたのか、忘れていた部分を思い出した気分です。彼女たち 一人一人の物語が、心の揺れが、繊細に丁寧に積みあげられ、最後の1話で、みごとに収斂されます。 感情に走らず冷静でいてきちんと書ける貴重な作家かも知れません。出だしはよくある話なので、読むのを 止めようかと思いながら次第に引き込まれて読みました。児童書(高校生の)としてもきれいな作品です。

小路幸也

「僕たちの話をしよう」

メディアファクトリー

2010.1.2

インターネットも携帯電話も通じない深い山奥から、舞という少女が飛ばした赤い風船が 運んだ手紙が、受け取った同じ小学生から返事が届き、文通が始まる。どれほど遠くの ものでも見えてしまう健一、どんな匂いもかぎわける麻里安、そしてあらゆる音を拾う 耳を持つ隼人。不思議なチカラを備えた3人は集い、少女に会いに行くことを決めるが、 思いがけない事件が起きる。

それぞれが抱える家族との暮らしが見え、子どもだから制約される行動が、大人と子どもの 中間的な役割を果たすカンザキが救ってくれます。事件が少し浅いのはやむを得ないところ ですが、この分量の中で冒険ストーリーをきちんと終わらせてくれます。いつも読後これは 児童書かも知れないという思いを深めています。

明野照葉

「聖域 調査員・森山環」

中公文庫

2009.12.31

大学の後輩でタマ姉と慕ってくる啓太の妻・柚実が「産みたくない」と、突然言い出したという。 最近まで、生まれてくる子供との生活を楽しみにしていた啓太と柚実に、何が起きたのか。 相談を受けた調査員・森山環は、単なるマタニティ・ブルーではないと直感し隠された過去に気づいく。

結婚したけれどお互いの仕事の都合で、通い婚の環の夫の懐の深さと、形にとらわれない姿勢に 惹かれる環の心境がうまく出ています。それが啓太夫婦の理想的な暮らしを、対照的に浮かび上がらせて いきます。幼い頃の心の影響が、ここまで深く現れてくるのだという思うと、ちょっと切なくなり 過ぎるのですが。パーフェクトな円満な家族でさえ、子どもの心にどんな傷を負わせたかまで知る由も ないでしょう。そこを乗り越えるというラストはもちろん、救いがあります。それにしてもうまい作家 ですね。2作目ですが、こういう書き手と出会わずにいたことが驚きです。

吉永南央

「誘う森」

東京創元社

2009.12.29

一年前自殺の名所と呼ばれる森で、自殺防止のボランティア活動をしていた妻・香映が自らの 命を絶つなどいまだに受け入れられない洋介は、その真相を探る決意を固める。

雨が降り、取り巻く世界の湿度がとても高い空気感にまず引きつけられました。6月末の梅雨の 時期の古い酒蔵と、酒作りに最も重要となる水の由来という地味な展開ですが、洋介と過去の 香映との二人の視点から描かれる人間の物語は、深い森の歴史から見たなら、ほんの一瞬の 通過点でしかないのだろうと思わせられます。なにがあっても森は本来の美しさを取り戻していくと いう、地球の将来へのかすかな希望を残してくれます。

光原百合

「最後の願い」

光文社

2009.12.25

新しく劇団を作ろうとしている度会(わたらい)恭平は、納得するメンバーを集める過程で出遭う謎を 解かずにはいられない。何気ない出来事だと思っていたことが、実は思いもよらぬことだった。女優を 目指す響子がお屋敷で目撃した、お嬢様が引きちぎられた薔薇の水滴をハンカチで拭くことの意味とは なにか。

いくつもの“日常の謎”ミステリの横糸の展開と、劇団旗揚げの縦糸が丁寧に織り込まれていき、 ラストで見事に収斂します。演技力もあり頭もキレる劇団員も、集まるメンバー一人一人にまで 行き届いた目線があります。それらが向かう先の楽しみが、読んでいてもどかしいですが、一場面 一場面が暗転して動きが変わっていく描写がおもしろかったです。冒頭の某歌手の歌詞に腰が 引きかけましたが、最後まで読んでよかったです。

松本祐子

「8音符のプレリュード」

小峰書店

2009.12.22

優等生のプライドを持つ、生真面目な少女中学2年の果南は、吹奏楽部でフルートを担当している。 そこに将来を断たれた天才ピアニスト・透子が転校してくる。人を寄せ付けない彼女に、表面的には 親切にするものの果南は初めて嫉妬する。楽しいはずの学園祭が近づくにつれ、クラスは出展も 危ぶまれる事態になるが・・・。

人生の主役と脇役。それは滅多に入れ替わりません。どちらも挫折したときの絶望は、人を拒否する ことで自分を守ろうとします。そこを突き崩して這い上がる進み方にも、主役と脇役の違いはあるのです。 脇役の果南が主役の透子と気持ちを通じ合わせるのは、きれい過ぎる気もしますが。信じていた人物からの 裏切りや悪意や自分の一面を経験した果南の、自分の感情に素直に生きる道を見つけていく真っすぐな心に 救われます。多少類型的なキャラ設定ではありますが、いい作品だと思います。

辻村深月

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」

講談社

2009.12.18

都会でフリーライターとして活躍しながら、幸せな結婚生活をも手に入れたみずほと、 地元企業で契約社員として勤め、両親と暮らす未婚のOLチエミは、30歳という岐路の 年齢に立つ、かつて幼馴染だった。少しずつ隔たってきた互いの人生が、重なることは もうないと思っていた。だが殺人事件が起き、何かに突き動かされるように、警察の手を 逃れ今なお失踪を続けるチエミと、彼女の居所をつきとめようとみずほは行方を追う。

女性の心理を細かく描くストーリーが、どうも苦手です。途中で、放り出したくなりました。 いえ、うまいのですが、これはあとは個人の好みということで、少し距離を置くことに なりそうです。

垣根涼介

「君たちに明日はない」

新潮社

2009.12.15

リストラを専門に請け負う会社に勤めている真介の仕事は、クビ切りの面接官だ。 大手メーカー、銀行などどんな職種も事前調査の上、臨む。泣きつかれ、コーヒーを かけられ、ときには殴られる。それでもやりがいがあり、気性のはっきりした恋人 ともうまくいっている。ある計画は頭の中にあるが、果たしてうまくいくだろうか。

思い切り嫌な仕事だという設定に引かれて、読みました。恋人や上司のキャラもうまく 絡ませながら、会社における人の評価とは何か、納得のいく進め方に共感しました。 クビを切られる側の、心理までなかなか読ませます。

ジェフリー・アーチャー

「ゴッホは欺く 上・下」

新潮文庫

2009.12.11

9・11テロ前夜、破産寸前の家計に悩んでいた英貴族ウェントワース家の女主人ヴィクトリアは、 双子の妹アラベラに手紙を書いているところを襲われ、首を切られて命を落す。犯人は左耳を切断し、 美術品蒐集家で銀行家のフェンストンに送った。彼の代理でウェントワース家に交渉をしていた 美術コンサルタントアンナは、ゴッホの自画像を狙って、無理な貸付をした上で担保として巻き 上げてしまおうというフェンストンのやり方に疑問を感じ、首にされる。ノース・タワーを出て 行こうとしたそのとき、ビルに飛行機が突っ込んだ。崩落したビルから生還したアンナは、 ヴィクトリアに連絡を取り絵画を守ろうと動き出す。アンナが悪徳銀行の手先なのか、それとも 味方か判断がつかないまま追跡するFBI捜査官ジャックと、ナイフを使うルーマニア出身の暗殺者の 二人から追われる破目になる。

ノースタワーからの脱出の臨場感がみごとです。作者はここを書きたかったのだろうと思います。 ぐいぐい読ませる展開は、ストーリーテラーとしての力を感じさせます。複雑な人間関係や力の 関係をすっきり描き分けわかりやすくしている反面、キャラがどうしても類型的になりがちです。 それでもおもしろく読ませるので、つい手にしてしまいます。何作かは読むことになりそうです。

ジェフリー・アーチャー

「プリズン・ストーリーズ」

新潮文庫

2009.12.8

決して飲んではいけないペットボトルの水を妻に飲ませた男の運命・・「この水は飲めません」。 巧妙に儲けを隠す人気イタリアン・レストラン主・・「マエストロ」。

12編の短編集です。イギリスの上院議員(貴族院)でありながら、投獄された作家が、獄中で 犯人から聞いた犯罪ばかりを書いたものです。それらが事実としても、おそらく語り手によって 脚色があるだろうし、作家というフィルターを通した物語になっているでしょう。事実と虚構の、 狭間に見える人間の心がなんとも言えないリアリティを感じさせます。

垣根涼介

「借金取りの王子」

新潮社

2009.12.4

村上真介の仕事はリストラ対象となる人物と面接して自主退職を勧めることである。リストラを 請負う会社に勤めている。デパート、サラ金、生保会社で、泣かれたり、殴られたり修羅場を日々 くぐり抜けている。恋人陽子は、気の強い女性だが、これ以上の相手はいないとも思っている。旅館の 下見に陽子を誘い投宿するが・・・。

真面目でまともで一生懸命に生きているが、リストラ対象になって悩み、そして決断する過程が、 やや甘いけれど描ききっています。今の不況では失業が地獄に落ちるけれど、その少し前の背景で しょう。全く違う業界の設定もきちんと捉えられ、人物観察もおもしろく、読ませます。中でも、 消費者金融という厳しい世界に似つかわしくない優男の宏明と、元上司の美佐子の話は、真介たちとも かぶり、なかなかいい話です。村上の社長である高橋の切れ者加減と、これからが気になる終わり方で あるいはシリーズ化するのでしょうか。

朝倉かすみ

「ほかに誰がいる」

幻冬社

2009.12.2

本城えりが電車の窓越しに、賀集玲子の姿を見初めたのは、高校一年のことだった。 天鵞絨(びろうど)のような声にあこがれ、髪型を同じくし眉の形を同じにし、歩き方も 同じにした。だが玲子に彼氏ができ大学に進学するが、えりは落ちてしまった。 髪を切り落とし、自転車を破壊し、足にハンマーを打ち降ろした。

玲子に憧れ、近づき、ひとつになりたいと願い、自分をどんどんすり減らしていく過程が、 ひどく痛いのに悲惨さはありません。賀集という同じ名字の男と知り合い、つきあい始める ことの方が悲惨です。同級生のタマイの存在が 救いになっています。淡々とした描写の 距離感が、不思議な作家です。読後感は悪くなく、次作を読んでみたいと思わせてくれます。

ナンシー・エチメンディ

「時間をまきもどせ!」

徳間書店

2009.11.28

ギブはある日、森で出会った不思議な老人に、失敗を取り消すことができるという機械 “パワー・オブ・アン”を手渡されたが、半信半疑だった。ギブはその夜、親友と移動遊園地に 行く予定で妹のロキシーも連れていくことになるが、遊園地でギブが目をはなしたすきに、 ロキシーは野良犬を追いかけて車道にとびだし、トラックに引かれてしまった。命はとりとめた ものの、ロキシーは二度と意識を取り戻すことはないという。あの機械を使えば、事故 そのものをを止めることができるかもしれない。

少年が同じ時間を生き直すということは、難しいことなのですね。しかも微妙にずれていく できごとに振り回されていく辺りが、はらはらさせます。友人や家族への思いが、暖かく、 冒険ものとしても楽しめます。

明野照葉

「汝の名」

中公文庫

2009.11.27

特殊な派遣会社社長の麻生陶子は「完璧な人生」を手に入れるためには、恋も仕事も計算し、 自分をマネジメントする女性だった。そんな彼女を崇拝し、奴隷の如く仕える「妹」の久恵と 同居しているが、次第に二人の関係が狂い始める。

女性が容姿で判断される「時代」に適合することで生き残っていくという姿勢は、理解はできるが 好きにはなれません。ただ、表裏一体で現れる女性の心理と狂気と、逆転していく主従関係が じつに巧みに描かれています。虚栄や孤独につけこむビジネスの存在、悪徳商法を裏で操る悪人、 都会の老人の孤独や不安を材料としているのも、おもしろいです。ただそれでも二人が「いい人」 でしかないため、鋭さはないのですが、おもしろかったです。

キャシー・ライクス

「ボーンズ 命の残骸が放つ真実」

イースト・プレス

2009.11.25

ネイティブ・アメリカンの古い埋葬地の発掘をしていた法人類学者ブレナンは、数年前の白骨を 発見する。検視官エマと共に捜査に加わることになった。森の首吊り死体、水中から引き上げられた ドラム缶の死体からも、首に奇妙な傷があることから、連続殺人事件の様相を見せていく。ブレナンは、 別居中の夫ピートと、恋人のライアン刑事、そして治療のできない病と闘うエマと調査をしていくと、 とんでもない真実へとたどり着く。

「骨」の分析にも甘さがあり、ブレナンがごく普通の感覚の持ち主ということで、新鮮さはないのですが、 あまり恋愛に埋もれることないのは好感が持てます。ユーモアというより、皮肉たっぷりのブラック・ ユーモアに近い会話には苦笑させられます。展開がまどろっこしく、説明が長く、この分量に する必要はなかったと思われます。ラストのどんでん返しも不要だったかも知れません。酷評になり ましたが、楽しめる作家だとは思います。久しぶりに読みました。

ジェフリー・アーチャー

「誇りと復讐 上・下」

新潮文庫

2009.11.21

自動車修理工ダニーは幼馴染みで雇い主の娘ベスにプロポーズした。だが祝いに出かけたパブで ベスの兄で親友のバーニーの殺人事件に巻き込まれ、犯人として逮捕されてしまう。40年は 牢獄で刑に服すことになり、同室のニックに勉強を教わり知識を身につける。外ではベスや弁護士の 奔走にも関わらず控訴は受け入れられず、ダニーは絶望するが、思わぬことから外に出るチャンスを つかむ。真犯人に復讐すべく動き出す。

ストーリーテラーのアーチャーが全開で、ぐいぐい読ませられます。たくさんの偶然や運が味方し、 天国と地獄を味わいながら、ラストで引っくり返す小気味のよさが楽しいです。登場人物が一人一人 キャラ設定がうまくできていて、ダニーの心の葛藤の描写もいいですね。上質のエンターティメントと だと思います。

玄侑宗久

「阿修羅」

講談社

2009.11.18

精神科医・杉本が担当していた、軽いうつ傾向の実佐子が夫の知彦と旅行に行った南の島で、 友美と名乗る別人格が現れ霊能者に会う予定だという。危険と判断した杉本は、臨床医師を 目指している娘の沙也佳と島に向かった。そこは亡くなった妻との思い出の島でもあった。 実佐子と話すうち、奔放な友美のほかに落ち着いた絵里という人格も現れた。子どもの頃に 何があったのかを慎重に探り出していく。

幾つもの人格が解離し、しかも同居する「解離性同一性障害」という心の病いを奇病扱いせず、 丁寧に描いています。この材料の小説はいくつか読んでいますが、医師がさまざまな思考方法で、 記憶と意識、情念と無意識の人間の心の不思議を、真摯に受け止めている点が好感が持てます。 医師も夫も、妻との関係をより深く考察する辺りも、作品に深みを作っています。ラストは うまくまとめ過ぎているようには思いますが、これはこれで作者はテーマを描ききったのでは ないかと思います。

桜木紫乃

「凍原」

小学館

2009.11.16

17年前、弟を釧路湿原に奪われた松崎比呂は女性刑事となって札幌から釧路に帰ってきた。その直後、 湿原でブルーの目を持つ自動車セールスマンの他殺死体が発見される。「キリ」と呼ばれるベテラン刑事と 一緒に捜査を進めるうち、65年前の深い闇を探り当ててしまう。

捜査を進める現在と、65年前の樺太からの引き上げの物語が交互に描かれていきます。過去の人物の 心理描写がリアルでありながら、背景が見えないのは書き手の世代ではやむを得ないところでしょうか。 文章にリズムがなく、会話が活きていなくて、どうにも読みづらい作家です。途中から飛ばし読みを してしまいました。「凍原」のように心を開かない作家から伝わるものは、後味の悪さでした。

小路幸也

「残される者たちへ」

小学館

2009.11.13

デザイン事務所を経営する川方準一のもとに、同窓会の通知が届く。準一の通った小学校の 子どもたちは、ほぼ全員が当時のあこがれの団地の子どもだった。準一は、親友だったと いう押田明人に会場で声をかけられるが、彼のことを何も思い出せない。他の人間はすべて 覚えているのになぜか。悩む準一は、幼なじみで精神科医の藤間美香に相談する。記憶のずれと 団地の存在に関係があると見た準一と美香は、団地の探索に乗り出した。

いまは廃墟となりつつある団地の、かつての美しく楽しかった思い出と、記憶の謎を追ううちに たどり着いた「あるものの存在」が思わぬ姿を見せていきます。星空の観察や子どもの足音が聞こえる ような風景に描写に、胸を締め付けられます。魅力的なキャラの登場で、ようやく取り戻した記憶 ですが、その時が親友との別れだという悲しい結末です。美しくはかなくせつない、小路さんらしい 美の世界です。

朝倉かすみ

「静かにしなさい、でないと」

集英社

2009.11.12
  

子犬救出劇を同級生に目撃され、ストーカーされる美しい少女。 カード破産しながらも、ゆるやかなロハス生活を実践しつづける二人。

7編の短編集です。鮮やかに暮らしや心理を切り取る筆致は、みごとです。ただわたしは、 どうにも好きになれないタイプの人間群像で、正直途中放棄も考えました。 同じ作者でも こんなに作品世界が変わるのかと、驚かされます。次作は慎重に選択したいです。

矢口敦子

「傷痕」

講談社

2009.11.10

二十年前の目黒区弁護士一家殺害事件の遺族は、いまも「傷痕」をかかえて生きている。 西川は主犯格とされ死刑になったが、共犯者小田島が仮出所して、西川の親戚の前に現れた。 元の妻と、西川の恋人だった真理恵と息子・知也の消息をつかんでしまったという。その頃 知也は友人に誘われて出かけた大学の法律サークルで、桜井香子と出会う。

死刑や殺人などの描写が説明的な文章で成立しているため、臨場感や緊迫感が薄いです。 知識を組み立てて小説を書いたという感じがします。共犯者への真理恵の恨みも、いまひとつ 深さはなく、死刑執行官や裁判員制度への掘り下げは浅いのです。人の心に残る恨みが、 殺人へと変わる際を 描きたかったのかも知れないのですが、喰い足りませんでした。 次作を読むかどうかは微妙です。

朝倉かすみ

「タイム屋文庫」

マガジンハウス

2009.11.6

仕事と不倫を精算した柊子は、亡くなった祖母ツボミの思い出がたっぷり染み込む家で、思いつきで 貸本屋「タイム屋文庫」を始めた。たった一人の客を待つつもりだったのだが、祖母の関わった 人のつながりに助けられ、不思議な場所だと話題を集める。レストランのアルバイトと新聞配達で 収入を支えながらの貸本屋に、黒猫がときどき現れ、友人が訪れる。

朝倉さんというのは、じつに文章も雰囲気作りもうまい作家ですね。表現が豊かで、読み手も 心地よく、「タイム屋文庫」にタイムスリップしているような感覚があります。人と人との絶妙な 距離感が、理想的な感じでそこにあります。うらやましくなるほどです。縦糸として少女時代の 大切な思い出の人の記憶が、ふと「いま」という現実にするりと入ってきて、さらりと抜け出していきます。 緩やかな時間や想いと、地に足をつけるきっちりした暮らしと、緩急自在に時を操っている物語は、 おいしいディナーのあとの幸福感を感じさせます。

タナ・フレンチ

「悪意の森 上・下」

集英社文庫

2009.11.5

1980年代のアイルランドのダブリン郊外の森の中で、子どもたち3人が忽然と姿を消し、少年1人だけが 発見されあの日から20年がたった。その少年は成長して殺人課の刑事になった。刑事のロブは、時々記憶の 中から立ち現れてくる「覚えていない記憶」に悩まされながら、誠実に仕事をしていた。同じ森の近くの 遺跡発掘現場で少女の他殺体が発見される。捜査にあたったロブとキャシーは、少女の家族が隠し事を していると感じる。少女の姉がロブに接近し、虐待を匂わす証言をするのだがそれがロブを窮地に追い詰めて いくことになる。

刑事のロブのキャラが、情けない優柔不断さを利用されるなど、優秀な刑事像とはほど遠いのが、うまく 働いていると思います。テンポもよく引きつけられて、一気に読んでしまいました。少女に振り回されて 捜査に支障を来すのを、同僚や上司はどう見ているのかは最後に明かされます。魅力的な少女像が、おも しろいです。人の心理や人間関係がやはり、物語をおもしろくするのですね。

桂木希

「終末のパラドックス」

角川書店

2009.11.2

渋谷でウイルス爆弾の爆破予告が入る。ウイルスの飛散の危機は、科学者・北村正平の逮捕で 食い止められた。だが北村は世界平和実現を各国首脳に要求し、できなければ、世界30カ国に 仕掛けた同種の爆弾を、7日後に一斉に爆発させるというのだ。世界平和のために人類全てを 人質に取るという矛盾した手段に、捜査陣は翻弄されるが、爆弾解除の鍵を握るのが孫娘・愛子だと 判明する。しかし少女は消息が不明で、世界中が少女の行方を追う。

世界中を相手の壮大な構想はわかりますが、二転三転する展開と、人物像の輪郭すら見えてこない 描写では記号にしか見えません。アラブもイラクもアメリカも、国の概略も、読者の知識任せでは 小説として成立しないのではないでしょうか。と言いつつ、最後まで読ませたのは、揺らがずに 描き切った構成力でした。もっと細部の描写と人物像を描いた、長編にしてほしいです。

スティーグ・ラーソン

「ミレニアム 3 眠れる女と狂卓の騎士」上・下

早川書房

2009.10.30

宿敵で父であるザラチェンコと対決したリスベットは、相手に重傷を負わせたものの、自らも傷つき、 瀕死の状態に陥ってしまった。ミカエルの手配で、リスベットとザラチェンコは同じ病院に送られ、 一命を取りとめる。だが、彼女を拉致し生き埋めにしようとした 金髪の巨人・ニーダーマンは逃走して しまう。一連の事件を計画した公安警察の特別分析班は、政府の秘密の組織で、ソ連のスパイだった ザラチェンコの亡命を極秘裡に受け入れ、利用してきたことに端を発していた。明るみに出れば、 特別分析班も政府も糾弾されることになる。手段を選ばず阻止しようと動き出す。

極限状態に追いつめられたリスベットが、裁判所という最も嫌った法のもとに権利を回復していく 過程は興味深かったです。謀略スパイものから、ジャーナル、法廷闘争までいろんな要素が楽しめます。 3部作の上・下巻をぐいぐい読ませてきたのは、リスベットのキャラの力が大きいと思います。 コンピュータやネットワーク、ひいてはPDAといったデバイス類、ソフトウエアやウエブ・サービスを 使いこなした作者の力は、なかなかだと思います。ただ登場人物それぞれが納得する形で、同じシーンが 繰り返された描写が残念です。上巻だけで収まったかも知れないもどかしさでした。

朝倉かすみ

「田村はまだか」

光文社

2009.10.26

ススキノの片隅の深夜のバーで、小学校のクラス会の三次会が開かれている。四十歳の 男女五人が大雪で遅れている友・田村を待つ。田村は貧乏な家庭に育ち、小学生にして、 すでに大人のような風格があった。それぞれの脳裏に浮かぶのは、自分の過去に関わり合った 人たちのことだ。「それにつけても田村はまだか」酔いつぶれるメンバーが出る中、彼らは 呪文のように言い続ける。

タイトルと装丁に引きつけられました。深夜のバーでの酩酊感が、とにかくうまく出ていると 思います。それぞれの思い出は格別新しい物ではないのですが、不思議と肌に吸い付くような 実感を伴います。人生の約半分が過ぎて感じるそれぞれが、将来のポジションについてのあきらめ、 でも子どもの頃への懐かしさがそれを救ってくれる唯一のものと思えたりします。映画の ショットを繋げたような描き方も、空気感もなんともいえないおもしろさがあります。

小路幸也

「Q.O.L.」

集英社

2009.10.22

殺し屋だったという父の遺言で、龍哉は昔の父の相棒だった男に拳銃を届けることになった。 湘南の元別荘である広い家で、それぞれが好きな仕事、あるいは目標にしていた仕事につき、 仲良く、詮索せず、束縛せず同居している2人に話すと、光平とくるみは一緒に行くという。 「殺したいやつがいるんだ。」拳銃を手に入れた龍哉、光平、くるみ。恨みの原因である 過去を持つ3人は、それぞれの思惑を胸に出発するが、思わぬ誘拐事件に関わってしまう。

「QUALITY OF LIFE」というタイトルがうまいです。過去の恨みの原因は、語り尽くされている 感が否めないし、誘拐事件との絡み方も甘いけれど、どろどろでは決して終わらない小路さんの 展開とラストがいいですね。ほぼこれで既刊を読んでしまったので、新作を楽しみにしています。

伊坂幸太郎

「あるキング」

徳間書店

2009.10.20

山田夫妻は、地元の万年最下位争いのプロ野球球団・仙醍キングスの熱烈なファンだった。 生まれた子・山田王求(球)は生まれた時から野球選手になるべく育てられ、とてつもない 才能と力が備わった凄い選手になった。

父親による殺人や天才の少年期の殺人が絡み、ひとりの天才が生みだされていく過程、 主人公を取り巻く周囲の人々の困惑と畏れを描いていきます。書き手の視点が「神」の ような位置から俯瞰したり、夫婦の人間の視点へ移動したりします。それが物語を わかりにくにしているのかも知れません。野球があまり好きではないせいか、わたしには 伊坂さんの意図が残念ですが、届きませんでした。この作品がこれからの方向性なら、 あとは読まないと思います。

トム・ロブ・スミス

「グラーグ57」

新潮文庫

2009.10.17

レオは念願のモスクワ殺人課を創設したものの、一向に心を開こうとしない養女・ゾーヤに手を 焼いている。ベッドの下でナイフを見つけて動揺するが、妻・ライーサに話さなかったことが、 あとで夫婦の間の問題になる。その頃フルシチョフは激烈なスターリン批判を展開し、投獄 されていた者たちは続々と釈放され、逆にかつての捜査官や密告者を地獄へと送り込む。 レオに突きつけられた任務は苛酷なものだった。家族のため、彼は極寒の収容所に潜入して、 自ら投獄した元司祭を奪還する計画だったが、脱出計画に思わぬ支障が生じる。 反乱を起こした収容者たちによって、レオは元チェキスト(秘密警察勤務者)だとして拷問に かけられる。絶望の淵に立たされ、敵に翻弄されながらも、レオはゾーヤを救出するために 生き延びていく。

容赦のない展開が、読者をぐいぐい引っ張っていきます。前作「チャイルド44」の続編です。 重過ぎるテーマと体制に気圧されて読むのをためらいましたが、読んでよかったと思います。 主役はもちろん脇役にいたるまで、登場人物が自分なりの信念を持って、翻弄する時代を生きようと 必死になる様子が克明に描かれています。共産主義体制下でレオをはじめチェキストたちが、 多くの人々を死に追いやった論理は、自分が生き残る道の選択だったのでしょう。あの状況下では 必ずしも卑怯だと言えなかったかも知れない物事の両面を描いて行きます。 生きるための原動力となるのは、復讐であり、そういう自らを矯正する行いの礎になるのは家族と いう辺りは、現代の視点での解釈・理論付けとも言えそうですが。怒濤の時代を登場人物たちと 一緒に駆け抜けた思いを、強く感じました。3作目があるようです。気が重いと言いながら、たぶん 読んでしまうと思います。

小路幸也

「高く遠く空へ歌ううた」

講談社

2009.10.14

高くて広い空に囲まれた町で暮らす、感情を顔に出すことが出来ない少年ギーガンは、夏合宿の朝、 10人目の死体を見つけてしまった。ルームメイトの柊とともに、鎌倉のばあちゃんのところへ行き、 警察へ連絡してもらった。ほかの誰にも話さず、合唱の練習もいつも通りに出る。犬笛の音が 聞こえる親友のルーピーは、次々に起こる事件のときに「犬笛」の歌声が聞こえてくると言う。 ギーガンは現場近くで、革ジャンの男を見かけている。

事故で片目を失い、父の自殺死体も発見したギーガンが、感情を表せないという設定が、うまく 展開していきます。周りのキャラも個性的で魅力があります。小路さんの作品の中で、好きな 分野のものだけを読んでいますが、この作品もいいですね。「空を見上げる古い歌を口ずさむ」の 続編的要素もありますが、単独でも楽しめます。

小路幸也

「そこへ届くのは僕たちの声」

新潮社

2009.10.13

震災で奇跡的に助かったかほりは、叔父の家で暮らしている。空からの声を聞くようになった かほりの心は、リンくんに向けられていた。個人所有の天文台に行くようになり、車椅子の 葛木君とも知り合った。偶然見かけるリンくんの行動は、さらにかほりは探究心を刺激する。 その頃、日本各地で起きる同じパターンの子どもの誘拐事件を警察は調査していた。その中で 脳死状態にある者を回復させたり、意思を読み取ったりする人物が現れたり、特殊な会話が できる子供たちがいるという噂と、ハヤブサという言葉を耳にする。

子どもたちと大人の関係がおもしろい展開です。命を賭けて闘うラストの大事件を 描くスペースが少なく、構成のバランスに不満を感じました。あるいは長編になり過ぎるので カットしたのかも知れません。子供だけが持つパワーというのは、確かにあるのではないかと、 自分の子どもの頃を振り返ってみてしまいました。清々しくて切なく、小路さんらしい作品です。

大崎梢

「ねずみ石」

光文社

2009.10.10

中学一年生のサトには、四年前の祭りの一部分の記憶がなかった。子供向けイベント「ねずみ石さがし」の 最中に、道に迷って朝まで行方不明だったのだ。同じ夜、少女の殺人事件が起こり、刑事にその時何かを 見なかったかとしつこく聞かれた。さらに殺人事件が起き、友達のセイも一緒に巻き込まれていく。

祭りの臨場感と、少年たちの心理描写がうまいですね。大崎さんのミステリは、水の流れのように自然に するするとたぐり寄せられ解決します。少年の視点という制約は、いい点と物足りなさの悪い点の両面が 出ます。もっと本格的なミステリに大胆に取り組む、前段としては評価できると思います。

リチャード・スターク

「汚れた7人」

角川文庫

2009.10.9

冷徹で非情なプロの犯罪者パーカーは、他の6人とともに、フットボール・スタジアムから売上金を 強奪した。金を預かり女と数日一緒に潜んだ。だがわずか10分の外出から戻ると、女は殺され金は 消えていた。誰かの裏切りか、他者が犯人なのか。警察に追われながらも、犯人を追いかけるパーカー たちを、思いがけない罠が待っていた。

テンポもよく、おもしろく読みました。復刊された40年近く前の作品のようですが、犯罪小説の 模範となるほどのうまさです。7人の間の緊張と、警察との駆け引きもじつに巧みです。ハードボイルドと して、こういう書き手がいたのですね。

小路幸也

「brather sun 早坂家のこと」

徳間書店

2009.10.7

早坂家では三姉妹・あんず、かりん、なつめが暮らしている。再婚した父・陽一と真里奈と幼い弟は、近所に 住んでいて、お互い行き来してとても仲がいい。だが存在を知らなかった父の兄・太一が、両親が旅行中に 訪問した。伯父と数日楽しく過ごしたが、帰り際に父には内緒にしてくれと言い残した。だが思いがけない 出来事で、三姉妹は伯父と再会することになる。

なぜ太一のことを知らせなかったのか。陽一の思いと、三姉妹の心の揺れがそれぞれの恋人も絡み、丁寧に 描かれていきます。決して無理をせず、行き着くべきところに心は届く、そんなことを感じさせる作品です。 ただ、あまりにもいい人ばかりで物足りなさが残るのですが。

沢村凛

「脇役スタンド・バイ・ミー」

新潮社

2009.10.5

鳥になりたいと祈る老女、騒音とともに消えた女、真夜中に廃屋でひとり眠る少女、定年後の再雇用が できない男、前世を占えると告げる美女。それらのすべてに登場する脇田という男が、関わる。

日常の中のちょっとしたミステリを、どこか青い正義感で取り上げたような展開です。6話に共通して 登場する脇役男の印象が薄いため、ラストの説明的な章が不必要に感じます。もう少し、明確な脇役に したならさらにおもしろかったかも知れません。うまいタイトルに引かれて読みました。

ジェフリー・アーチャー

「ケインとアベル 上・下」

2009.10.3

ポーランドの片田舎で私生児として生れたヴワデクは、極貧の猟師に引きとられ、壮絶な少年時代を 送った。収容所から抜け放浪の果て、無一文の移民としてアメリカに辿りつき、アベルと改名した。 ウェイターから始め、ホテルの支配人にのぼりつめ辣腕を振るった。
一方、ボストンの名門ケイン家に生れたウィリアムは、祝福された人生を歩み始めた。恵まれた環境と 名家のプレッシャーの中で、知恵と努力でレスター銀行でハーヴァード卒業と同時に取締役に就任した。 だが、ウォールストリート崩壊という試練が襲った。
株式で多額の負債を抱え自殺したホテルグループの経営者から、アベルはホテルの責任者を任された。 アベルはメインバンクのウィリアムから返済を迫られ窮地に陥るが、匿名の投資家からの援助に救われ、ホテルを 再建していくが、アベルは生涯をかけてウィリアムへの憎しみを晴らそうとする。

極貧のポーランドからアメリカへ渡ったアベルと、銀行業界の名門で実力で頭取へ上り詰めるウィリアムは、 共に典型的なアメリカン・サクセス・ストーリーです。この軸を繋ぐ皮肉な運命は、現代アメリカ史を 見るようでもあります。二人がいつ和解するのか気になりながら、それぞれの展開にぐいぐい引き込まれて あっというまに読んでしまいました。人物の心理の駆け引きや感情までも描き込み、ストーリーテラーでも あるこの作家は、3作目ということなので、これからが楽しみです。前2作も読んでみようと思います。

平山瑞穂

「ラス・マンチャス通信」

新潮社

2009.9.29

姉の体の上に息荒くのしかかるアレに手を下した。僕のせいではない。でも、なぜか人は僕を 遠巻きにする。刻印された黒い染み(ラス・マンチャス)のように。施設に収容され、理不尽な 仕事でこき使われ、ついに流れ着いた山荘で見た衝撃的なもの・・・。

主人公はいわゆる損なわれた人として描かれていますが、その世界の中で次第に成長していくのです。 彼が対峙している世界そのものとの、どうしようもない周囲の視線と、うまく自分を表現できない ことへのもどかしさと諦めが、混沌とした空気をかもし出しています。それでいて、不思議に引きつける うまさがあります。

大村あつし

「無限ループ」

幻冬舎

2009.9.28

プログラマーの西城誠二は不思議な女子高生ヨーコから、全財産をはたいて奇妙な買い物をする。 シルバーボックスに手を当て、恨んでいる上司の顔を思い浮かべると、瞬時にその上司の財産の 現金が押入れに現れた。怒り度に比例した公平な、しかも相手にばれることのない完璧な復讐が 可能と知った西城は、仕事を辞め次第に暴走するが・・・。

着想のおもしろさを最大限広げた展開は、楽しめるけれど苦笑させられます。狭い範囲の世界で 生きている作者には、限界があります。偶然と都合の良い人物を登場させても、地に足がついて いません。書こうとする熱意だけは買いますが。

サイモン・シン

「フェルマーの最終定理」

新潮文庫

2009.9.26

17世紀数学者フェルマーが謎に満ちた言葉を残した・・・。あまりにも有名になった、この数学界最大の 超難問「フェルマーの最終定理」に挑戦した、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描くドキュメントです。 天才数学者ワイルズの、完全証明に至る波乱のドラマを軸にピタゴラスの定理やユークリッド等の数論の 出発点の話から描かれています。

証明発表の栄光の後にほころびに気付き、挫折する数学者が、自ら閉じかけた解決の扉を才能が導いた閃きと 共に、もう一度押し開く瞬間の美しいまでの高揚シーンがすばらしいです。女性に学問は不要と言われた 時代にも、活躍した女性数学者がいたことや、日本人も関わっていることを始めて知りました。ワイルズが 証明する過程を、追体験しているようでした。高校の数学でさえ忘れかけているわたしにもわかりやすく、 ミステリをあるいは宇宙物理の話を読んでいるように楽しめました。

小路幸也

「空を見上げる古い歌を口ずさむ」

講談社

2009.9.21

みんなの顔が「のっぺらぼう」に見える。息子の彰がそう言ったとき、凌一は20年前に姿を消した兄 ・恭一に連絡を取った。翌日すぐに駆けつけた恭一は、家族みんなで暮らした懐かしいパルプ町で 起こった不思議な事件を語り始める。桜咲く“サクラバ”や六角交番、タンカス山に囲まれて、パルプ工場 従業員家族の大集落は、平穏でやさしい暮らしを送っていた。恭一が病気を境に、みんなの顔が 「のっぺらぼう」に見えるようになった頃、次々と死人が出た。

6年前の小路さんのデビュー作に、ようやくたどり着きました。おもしろいです。「のっぺらぼう」に見えると いう設定もおもしろく、遊び回る子どもたちの世界がいきいきしています。子どもの視点で、きちんと 事象を表現するのは難しいと思うのに、軽やかになんなくクリアしています。そのために、大人が過去を 語るという形にしたのでしょう。「解す者(げすもの)」「稀人(まれびと)」「違い者(たがいもの)」と いう、異世界に説得力があります。このシリーズでの続編も読みたいと思いましたが、出ていないのが残念です。

水生大海

「少女たちの羅針盤」

新潮社

2009.9.18

短編ホラー映画主演女優としてロケ現場にやってきた舞利亜は、急に変更になった台本を 小出しに渡される。監督の芽咲監督は、舞利亜が4年前の伝説の女子高生劇団「羅針盤」出身だと スタッフに広めてしまう。撮影が進み、殺人の犯人役の台詞に、舞利亜は4年前の事件の思いが 重なり恐怖に包まれる。そこへ脅迫状が届く。
4人の「羅針盤」は、高校の演劇部だけでは収まりきらないエネルギーだった。ストリート・ライブを やり、大きなフェスティバルへの出場を果たした。だが思いがけず、メンバーの一人が死んでしまう。

物語は舞利亜が次第に追い詰められていく現在進行と、「羅針盤」の物語が交互に描かれていき、 最後にふたつのストーリーがみごとに収斂されます。演劇への熱い思いや4人芝居のおもしろさが、 ここちよく伝わってきます。それぞれの家族事情もきちんと絡ませ、練習場の書き割りもうまいです。 進行形の撮影現場の臨場感もすごいです。勝手気侭な監督と、なんとか撮影をさせようとするスタッフ たちの動かし方も自然です。細かな伏線の張り方もいいです。ひさびさに、書けるミステリ作家が 出てきたなという印象です。次作に注目したいですね。

平山瑞穂

「忘れないと誓ったぼくがいた」

新潮社

2009.9.16

大学受験を目指している高校2年生のタカシは、メガネ店でバイトをしていたあずさと出会った。 初デートの日、フランスで暮らす両親と離れて一人暮らしをしていることなど、あずさを知れば知るほど 惹かれていったが、途中でふいにあずさは消えてしまう。焦燥感にさいなまれた一週間後、あずさから 驚くようなことを告げられる。「わたしはいずれフェードアウトする」と。次第に「消える」時間と 間隔が長くなっていくあずさと、自分のあずさの記憶も消えていくタカシは、記録しておこうと必死に なる。カメラやビデオを撮ると、写真もDVDも機材そのものが消えてしまう事態に、顔さえ思い出せ なくなるあずさを、タカシはノートに記録していく。

受験を失敗しても今やらなければならないことを選択するタカシは、痛ましいまでに必死になります。 大切なものを記憶するというのは、設定は違っても、生きていてなかなか難しいことですね。周囲の 家族や友人たちも絡ませて描きながら、ぐいぐい読ませていきます。おもしろいです。

辻村深月

「ふちなしのかがみ」

角川書店

2009.9.14

「踊り場の花子」ひややかな恐怖が胸に迫る、だれもが知っていた「花子さん」。 「ふちなしのかがみ」は深夜の鏡に願いを掛けた、恋占いの結末は・・・。

5編の「怪談」短編集です。学校の怪談をメインに、本当の怖さを読ませてくれます。 「踊り場の花子」が特に、印象的です。日常の隣にある、異世界がふいに立ち上がってくる 感じがうまいですね。タイトルがおもしろい「おとうさん、したいがあるよ」は、少し設定に 無理があるかも知れません。「ふちなしのかがみ」は、鏡の怖さを改めて感じさせてくれます。 辻村さんの別な顔を出したかったのかも知れませんが、わたしの求める方向性とは少し 違う気がしました。

三崎亜記

「刻まれない明日」

祥伝社

2009.9.11

3095人の人間と街が消え去ったあとも、あたかも彼らが存在するように生活を営んでいる。 たったひとりの生き残り、沙弓は小さなラジオ局のパーソナリティをしている。消えた人から 届くリクエスト曲のはがきが最近少なくなったと感じている。道を歩くことを仕事とする 「歩行技師」。消えた街の図書館は利用記録が更新され、その通信を残された家族に届ける 「担当者」は、利用数が減っていると思う。6歳の時父を亡くした駿は「開発保留地区」で かすかな鐘の音を聞き続けているが、聞こえなくなってきていると思う。

もう読むのはやめようと思った三崎さんでしたが「失われた街」の続編ということで、読み ました。
住民ごと街が消滅する、その事件の10年後の残された人々の暮らしと心が、丁寧に繊細な タッチで描かれています。自分なりに生き方を見つけていく登場人物の姿を、各章ごとに鮮やかに 切り取りながら、それぞれがどこかでわずかに繋がっていて、それをたぐり寄せるように 物語は進み、美しいラストへと収斂されます。 消えた町に関する謎解き、解説の章は、説明的過ぎますが、失われた街の世界観をどうしても 記録したかったのだとは思います。深い喪失から再生へと踏み出したこのあとは、明るい作品に 向かってほしいと願っています。

千澤のり子

「マーダーゲーム」

講談社ノベルス

2009.9.9

携帯の通信ゲームにも飽きた、小学6年生の杉田くんが提案し、8人は「マーダーゲーム」を始めた。 自分の嫌いなモノの“スケープゴート”を学校内に隠すと犯人役が処刑してくれる。推理に心躍る ゲームだったはずが、なぜかルール以上の処刑が開始される。分担して世話をしているウサギが 殺された。麻生さんが学校帰りに髪の毛を切られる。岩本くんが教室から転落死する。犯人は、 仲間のうちの誰なのか、親友さえも信用できなくなる恐怖に包まれる。

思った以上に楽しめました。保健室や教師たちや親と登場人物が多すぎるので、子どものキャラ 立ちがいまひとつというところもありますが、小道具と心理作戦をしっかりと絡めて、おもしろく 読ませます。後半に詰め込み過ぎなところがあり、バランスを取った方がさらにミステリとして 読ませるものになると思います。

沢村凛

「さざなみ」

2009.9.7

3時までにATMで振り込む順番待ちをしていた奥山は、入れ替わってくれた男から、知らない他人 3人に親切にする義務を負った。そんな借金で身動きが取れない奥山に、おいしい仕事が紹介された。 博物館のような「銀杏屋敷」の執事だった。謎の女主人・絹子さんから、次々に難題を出されるに、ない 知恵を振り絞り気に入るような答えにたどり着く、という日々を送ることになった。

女主人の出す難問が、次第に難易度を上げていくあたりがうまいです。一方で誰かに親切にしたいのに ことごとくダメになる奥山の描き方も、読みながら納得させられてしまいます。ねずみ講のように親切を 広げるという「波紋」の終わり方があっけなく、最後で説明されてしまうのが残念です。

貴志祐介

「クリムゾンの迷宮」

角川書店

2009.9.4

藤木はこの世のものとは思えない異様な光景のなかで目覚めた。視界一面を覆う、深紅色の奇岩の 連なりだった。「火星の迷宮へようこそ」ゲームの表示で、開始された。9人が2〜3人でチームを 組み、死を賭した戦慄のゼロサムゲーム。生き抜くためにどのアイテムを選ぶのか。その選択が 明日の運命を決める。藤木はパートナーとなった大友藍とともに、ただひたすら状況を把握し、 謎を解き、悩みながら、ひたすら生き残ることを目指す。

緻密に計算されたストーリーが、ぐいぐい引っ張っていきます。設定やデティールはいろんな本で 読んでいるのに、全体として新鮮な驚きがあります。ポイントごとにゲットするもの、それを使い 進んでいくRPGゲームは、アイテム一覧表やゲームブックなどの伏線的なアイテムなどがあり、 まさにゲームです。でもそこを駆け抜けるのは人間であり、さまざまな思惑のぶつかりが悲惨な 状況を作ってしまいます。ゲームから抜けたいと切望してしまいます。貴志さん、おもしろいです。

デヴィッド・ヒューソン

「聖なる比率 上・下」

ランダムハウス講談社文庫

2009.9.2

いつにない大雪に見舞われたローマ。閉館後のパンテオンに侵入者がいると通報を受けたローマ市警 刑事ニック・コスタは、相棒のペローニと現場に到着した。天窓から雪舞い降りる幻想的な神殿に、 背中に不可解な紋様が刻まれた女性の全裸死体があった。FBIと共に操作に当たるが、彼らは何かを 隠していて捜査が進まない。キーとなる13才のクルド人のスリの少女を保護したが、素直に心を 開いてはくれない。

戦争によって破壊された人間が引き起こした事件は、警察やFBIの組織の別な顔を暴いていきます。 飛び抜けて優秀なキャラがいるわけではないので、どうしても多人数が登場し、なかなか全体像が 見えず少しいらいらしました。シリーズものなので、1作目から読んでいたら違った印象かも知れません。 ラストのトリックは、それはないだろうという反則技すれすれのものだったことも、評価を下げました。 人間像の描き方がうまい作家だというのは、変わりません。

牧村一人

「アダマースの饗宴」

文芸春秋

2009.8.28

殺人を犯し、八年の刑期を終えて出所した元風俗嬢の笙子は、瑠璃と一緒に暮らしていた。だが、 かつての恋人・加治が起こした銃撃事件との関わりを疑われ、複数の組織から狙われることになる。 長い付き合いの雨宮もまた、笙子を餌に釣り上げようとしているものがあった。

銃撃戦も厭わず命がけの巨額のマネー・ゲームが、都会のホテルやビルで繰り広げられます。男たちの ゲームに巻き込まれ散々な目に遭いながらも、したたかに生きる笙子は、それでいて傍観者に過ぎない という自分の立ち位置を知っているのです。加治の仕組んだゲームの仕組み作りへの執念も理解しながら、 「男の子の遊び」に女である笙子は混ぜてもらえないという、締念すら感じます。それが全体を流れる、 さらりとした感触を作りいい雰囲気を感じさせます。キャラも伏線も巧みで、うまい作家だと思います。 次作に期待できそうです。

貴志祐介

「黒い家」

角川書店

2009.8.25

若槻は生命保険会社の京都支社で、保険金の支払い査定に忙殺されていた。顧客の家に苦情で 呼び出され、期せずして子供の首吊り死体の第一発見者になってしまう。ほどなく死亡保険金が 請求されるが、顧客の不審な態度から他殺を確信していた若槻は、独自調査に乗り出す。

たまたま続いた保険金事件です。作家の初期の作品で、ホラー展開は一部分です。執拗に保険会社に 来て支払いの催促をする男は、凶暴ではないから一層、いつ臨界点に達するかも知れない怖さを 感じさせます。その妻の他者に対する心がない人間像というのは、なかなか強烈なキャラでした。 何より怖いのは人間です。そんなことを考えさせられました。

スコット・プラット

「最終弁護」

ハヤカワ文庫

2009.8.21

めった刺しにされ、局部を切断された巡回伝道師の死体が発見される。逮捕された若い女性エンジェルは、 腕利き弁護士のディラードに弁護を依頼してきた。欺瞞に満ちた法曹界と司法制度に嫌気がさし、 なるべく早く弁護士を辞めたいと思っていたディラードは、最後の仕事にすべくエンジェルに会い、 無垢で美しいこの女性が無実であることを確信する。警察の捜査はずさんで、物的証拠も乏しい。だが 被害者の息子に恨まれ命を狙われたり、認知症の母と、麻薬常習者の姉との確執に苦悩する ディラードは、妻・キャロラインだけが支えだった。

テンポもよく、ディラードを取り巻く判事や検事や刑事、曖昧な証人、家族など描き分けがじつにうまい です。一見簡単そうな事件が、次第に重くのしかかり放り出しだくなる展開で、かろうじて踏みとどまる 辺りの描写もいいですね。ラストの衝撃の告白を裁判でどう扱うか、真実や正義も、嘘や悪も紙一重で 形作られているのがわかります。おもしろいです。

樋口有介

「風少女」

創元推理文庫

2009.8.19

大学生の斎木亮は、義父の最期に間に合うように帰省した。到着した駅で偶然を装った、中学時代の 同級生・麗子の妹がいて、1週間前に姉は事故死したと告げる。義父の葬儀のあと、同級生たちの 話を聞くうち、麗子の風呂場での事故死への不自然さを感じた。県警に勤務している叔父から情報を 聞き出し、さまざまに推理していく。

そんなに親しかったわけでもない麗子の事故死への疑問を、無理なくきちんと調べていく描き方は 好感が持てます。家族や他の登場人物も狭い地域で暮らしている生活感があり、それでいて亮の重く ならないストーリー展開もうまくまとめています。

今子正義

「モラルリスク常習者たち」

2009.8.18

保険調査事務所のベテラン・鷹野は、生命保険や損害保険の請求が出た際、事実確認をする仕事を 請け負っていた。事故の詐称や微妙なものが多かった。映画監督が交通事故で片目を損傷したという。 すぐにでも保険金を支払わなければないが、次の映画製作に膨大な資金を必要としていたという、 背景があった。裏付け調査を進める鷹野の前に、見えたものとは。

小説風にしたノン・フィクションといった印象が強いです。お金のためにそこまでやるのかという、 常習者たちの行為には驚かされます。闇金から生命保険で払わされることがあるだけではなく、自らの 強い意思で自傷しながら事故を装うなど、専門家ならではの考察が見えます。物語としてのおもしろさは あまりありませんが、「支払った保険料を返せ」という言葉など妙に説得力があります。

貴志祐介

「天使の囀り(さえずり)」

角川書店

2009.8.16

死を恐れる傾向にある恋人で作家の高梨がアマゾン探検隊に参加し、精神科医・早苗のもとに現地人との トラブルのメールが入った。心配する早苗の前に現れたのは、別人のようにポジティブで精力的になった 高梨だった。だが小鳥のさえずりが聞こえるという、気になることを話した。そして大量の睡眠薬と酒を 飲んで突然自殺してしまう。さらに探検隊の参加者が次々に不可解な死を選んでいく。アマゾンでなにが あったのか。早苗はジャーナリストの福家と連絡を取りながら、、調査を進めていく。

動物や薬剤に関する専門的な言葉が出てきますが、理解できるような描き方に工夫が見られます。ホラーは 苦手なのですが、映像ではないので読み終えられました。どのキャラも丁寧に描かれ、取りこぼしもなく、 ラストの微妙さに人間の心の危うさと正義を残すのも、効果的です。 10年前の作品ではパソコン事情の変化が、多少古く感じさせてしまうのが惜しいです。現在のパソコンや 通信事情が10年後どうなるかを予想して書くのは難しいでしょう。

小路幸也

「COW HOUSE カウハウス」

ポプラ社

2009.8.7

畔木(くろき)は総合商社で上司とトラブルを起こし、鎌倉の古い屋敷の管理者として転勤してきた。交際 している美咲も一緒だった。温情配転をしてくれた坂城部長が、ときどき私服で、上司の顔を見せずに訪れる ようになった。広い屋敷に元テニス選手だったじいさんと、中学生のふうかちゃんが遊びにきた。じいさんから ふうかちゃんに屋敷のピアノを弾かせてほしいと頼まれる。調律もしていないピアノで弾いたふうかちゃんは まさに天才少女だった。なんとかしてあげたい思いが、畔木をある計画立案へと向かわせた。

じいさんと部長との、過去のいきさつや繋がりが物語に深みを与えています。神戸で震災に合った畔木が、 美咲の愛情に支えられ、自分のペースで周囲を巻き込み、壮大なシステムを回転させていく過程に説得力が あります。大きな夢の実現という、ある意味では理想的な背景、キャラ、ストーリーがファンタジィの世界 を思わせます。それでも読んでいて楽しいのです。嫌な事件ばかり報道されるいま、こういう物語に 癒されたいのかも知れませんね。

貴志祐介

「青の炎」

角川文庫

2009.8.5

高校生の櫛森秀一は、電車代の節約のため愛車のロードレーサーで通学していた。家計を担う母と、妹の 遥香との暮らしだった。そこへ母が10年前再婚しすぐに別れた曽根が突然、居座った。妹へまで手を 出そうとする危険を感じた秀一は弁護士や警察にも相談するが、追い出すことができない。秀一は自らの 手で曽根を葬る「ブリッツ」計画を立てた。完全犯罪を目指した。

10年前の作品で、いまさらという時期ですが読みました。学校での友人たちとのやりとりと、ガレージに こもり殺人計画の準備をすることのギャップが、新鮮でした。じつに細やかな心理描写がリアルで、それで いて危うさを感じさせます。読みながら、視点が秀一と同調してしまいます。気になったデティールが ラストで、やはり明かされてしまいました。第2の殺人が必要だったのか。一人目の殺人の線を越えたとき、 その時点で別な領域に入ってしまうのでしょうか。結末や殺人を肯定するわけではありませんが、うまい 作家ですね。

白石かおる

「僕と『彼女』の首なし死体」

角川書店

2009.7.31

渋谷ハチ公の銅像の足元に、名前も知らない『彼女』の生首を置き去り、白石は仕事に出かけた。 総合商社に勤務する白石は、社内抗争と仕事に振り回される平社員にすぎない。トラクターのプレゼンの トラブルを、発想を変えて思いついたアイデアで切り抜けるが、手柄は当然のように上司のものになる。 だが白石を目の敵にする矢部副課長と、彼の婚約者で冴草秘書室長との確執もあった。同僚で親友の 野田だけには、ここ数日の落ち着きのない様子を読まれていた。停電が起きて安定しない、借りている家の 冷蔵庫には冷凍した『彼女』の死体があるからだ。しかも電話による脅迫もあった。

出だしのショッキングさがありながらも、ごく普通のサラリーマンの白石が関わる事件です。途中で白石の 犯行の理由が想像できてしまうのですが、それでも楽しめるのは人間像の描き方がしっかりしているからで しょう。アクションが漫画っぽいのが逆に、深刻にならずに軽い読み物として成立させる要因かも知れません。 「日常」と「殺人」との境界を見極めようとする、おもしろさがあります。

初野晴

「トワイライト・ミュージアム」

講談社ノベルス

2009.7.28

祐介は養子縁組直前に亡くなった大伯父の教授が残してくれた、博物館のオーナーになった。養護施設から祐介に 会いに来た幼いナナが交通事故に合った。そのことを巡り、秘密裏に行われているプロジェクトを知ることになった。 唯一ナナを助ける方法だと言われた。それは精神の時間旅行だった。博物館で仕事をしている枇杷と手をつなぎ、 「命綱」の役割をすることになった。祐介と枇杷が飛んだ先は、ナナがいる1640年頃のイングランドだった。

魔女裁判という時代設定にはかなりの飛躍がありますが、楽しめます。現代と過去を「行き来」することで情報を 持ち帰り、博物館で分析した情報を持って二人を救い出すというのはうまい方法だと思います。その時代の人の体を 借りて行動するというのが、おもしろいです。この分量でまとめるための無理はありますが、軽く読めシリーズに してもいいかも知れません。

北國浩二

「リバース」

原書房

2009.7.24

プロのバンドを目指すギタリストの省吾は、ライブの手応えを感じていた。だが恋人の美月は医師の篠塚と 付き合い始め、あっさりと振られてしまう。心臓移植手術の募金に応じるやさしさもある美月を、忘れられ なかった。美月の友人で心理カウンセラーの妙子は、そんな省吾に軽薄な女を忘れろと言う。だが連続殺人 事件が起き、篠塚に疑いの目を向けた省吾は、すべてを投げ打って美月を守ろうとする。周囲からストーカー 扱いされても、納得のいくまで止められなかった。そんな中、墓地で美月が襲われた。

未練たっぷりの省吾は、女性を見る目がないなと思いながら読んでいくと、心臓移植という大きなテーマも 取り込んでしまいます。布石がちりばめられ、ラスト近くの犯人像と、そこからの捻りもあり頑張って書いて いると思います。ミステリの定石を踏まえ、終わり方も美しいのですが、途中で先が読めてしまうのが残念 です。でもおそらく大きく成長する作家だと思います。

バリー・アイスラー

「雨の罠」

ヴィレッジブックス

2009.7.23

日米ハーフの殺し屋・ジョン・レインは、ブラジルで静かな暮らしをしたいと計画した。だがCIAから武器商人の ベルハジの殺害の依頼が入る。単純に見えた計画は思わぬ邪魔が入り、ジョン自身も命を狙われ始めた。マカオ、 香港、日本、アメリカと移動しながら、敵と味方を見極めていく。謎の女・デリカの正体とは・・・。

2作目です。前作同様、周囲を観察して危険を回避する日常的な行動があっても、危険は避けられないジョンの設定が 楽しめます。殺人のリアルさを全面には出していないのですが、かなりヘビーな描写があります。おもしろい作家だと 思いますが、細部を描くことに時間がかかり、ストーリーの進行が遅い印象があります。

道尾秀介

「龍神の雨」

新潮社

2009.7.17

蓮と中学生の妹・楓は、義父をうとましく思いながら暮らしている。義父の楓への危険が迫っていると感じた蓮は、 湯沸かし器をつけっ放しにし、寝ていた義父が死んでくれたらと願いながら仕事に出かけた。一方、義母とうまく いかない中学生の辰也と弟の圭介は、蓮の勤める酒屋で万引きに失敗する。店長の半沢は不在で、蓮は諭すだけに した。大雨の中、蓮が帰宅すると楓は義父の死体を指し示す。乱暴されそうになったので抵抗したら死んだと言う。 蓮は必死に考えを巡らす。

全体に降り掛かる雨を感じ、雨の飛沫を浴びているような印象が残ります。うまいですね、道尾さん。やはり 長編で力を発揮する作家だと思います。心理に添って描いていくので、登場人物の視点でつい読んでしまいます。 次第に多方面から姿を現す事件の真実が、やはりラストで捻りがありました。題材の悲惨さを感じさせずに、 巧みに描く素質があると思います。おもしろいです。

バリー・アイスラー

「レイン・フォール/雨の牙」

早川書房

2009.7.15

山手線の車内で男は突然くずおれ、絶命した。それを見届けて、ジョン・レインは電車を降りた。日米ハーフの 男・レインは、東京で幾度も政治がらみの暗殺を手がけてきた凄腕の殺し屋だった。ある夜、彼は美貌の ピアニストみどりと出会い、心を奪われる。意外にも、彼女はレインが山手線で殺した男の娘だった。だが、 次にレインが依頼されたのはみどりの暗殺だった。彼女を救う唯一の手段は、政界に潜む依頼主の謀略を レイン自ら暴くことだった。

日本を舞台にした男は、ヴェトナム戦争を体験したフリーランスの殺し屋という設定もおもしろいです。 日米関係や日本の政治情勢、裏事情にも迫りますが、リアリティさに欠けるものの、物語としては楽しめます。 あまりパーフェクトではないキャラ設定が、ドジな印象があるのが難点でしょうか。それでも2作目を読んで 見たくなりました。

広川純

「一応の推定」

文芸春秋

2009.7.10

保険調査事務所の村越は、定年間近の身だった。電車事故でホームから転落して死亡した原田の調査を 命じられた。自殺であれば保険金の支払いはなく、事故であれば支払われる。家族からの話を聞くと、 孫の海外での心臓移植手術に多額のお金を必要としていた。仕事上の借金もあった。周囲からの自殺説を 心から追い出し、無心に事件を追いかけていった。

丁寧な論理の積み上げ方が見事です。派手さはどこにもなく、ひたすら聞き取り調査を続ける展開ですが、 引き込まれて読ませるものがあります。転落した場面を誰も目撃していない状況から、いくつもの推定が 考えられます。だからラストがひと際印象的で、光り、読後をさわやかにしてくれます。

カズオ・イシグロ

「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」

早川書房

2009.7.8

ベネチアのサンマルコ広場には、音楽あふれている。カフェバンドでギターを弾くヤネクは、演奏中に 有名なガードナーを見いだした。母が熱烈なファンだったアメリカの歌手だった。話すことに成功し、 ある依頼を受けた。27年間連れ添った妻へのサプライズの贈り物をしたいのだと。・・「老歌手」

初の短編集です。音楽があふれる世界で、人生の黄昏を迎えたミュージシャンたちの心象を描いて います。叶わなかった夢。かつての栄光。残り火のように消えない音楽への思い。それらが紡ぎ出す、 甘く哀しい、まさに夜想曲にふさわしい物語です。じっくりと味わいたい作品です。

平山瑞穂

「全世界のデボラ」

早川書房

2009.7.6

ヒロは地図帳で目に止まった栗早湖を見に行こうと、すでに結婚している塔子を誘った。宿だけを押さえた 行き当たりばったりのぶらり旅を楽しもうと思った。だが目的の湖にはなかなかたどり着けず、どこか奇妙な 村人たちの態度が気にかかる。やがて優柔不断な自分の性格を思い知らされることになる。・・「十月二十一日の海」

7編の短編集です。ひとつひとつに、とても濃密な世界がありました。設定はなんとも言えない突き抜けた 設定でありながら、リアリティがあり、不思議さがあり、描き出したい世界がしっかりと構築されています。 人間の心の深いところにある感覚が、引きずり出され突きつけられるようですが、決して不快ではありません。 おもしろい作家です。

北國浩二

「夏の魔法」

東京創元社ミステリ・フロンティア

2009.7.3

童話作家の夏希は9年ぶりに、少女の頃の思い出の島を訪れた。病気のため、22歳にも関わらず老婆にしか 見えない体はガンの宣告も受けていて、もうすぐ人生を終えようとしていた。最後の作品も書き上げるつもりで パソコンも持ってきていた。かつての初恋の相手・洋人はたくましく聡明な青年になり、コテージでアルバイトを していた。イルカを観光として賑わう島の美しさと、洋人との交流に願う哀しい思いとは。

年老いた体と、22歳の心の夏希の切ない思いに胸を打たれます。童話の持つ残酷さも知りながら、作品を 仕上げようとする葛藤もうまく描かれています。洋人や島の人々の、やさしさも夢のようです。だからこそ、 夏希の心に吹き上げた激しさが引き起こす、ラストの思いがけない展開が、単なる美しいストーリーで終わらせ ませんでした。年齢、体の外観を受け入れがたい精神年齢とのギャップ。まるで自分のことのように読んで しまいました。美しく、哀しく、切なく、けれど足元はしっかり地面を踏んでいる作家のようです。次作に 期待したいです。

エイミー・ベンダー

「燃えるスカートの少女」

角川文庫

2009.7.1

愛を交わした翌朝、彼は猿になっていた。さらに逆進化をし海亀になった。ガラスのバットの中の彼を見つめ、 わたしは涙を流す。人間だった彼は、人間は寂しい、そして考え過ぎだとよく言っていた。亀になった彼は わたしのことを覚えているのだろうか。・・「思い出す人」

16編の掌編集です。幻想と細やかな日常の行為とで、紡ぎ出される不思議な世界がありました。思いや考えと、 言葉と、冷たく拒否する世界と、自在に行き来する少女のしなやかな幻想に包まれる感覚が、心地よいのです。 その魅力に引き込まれて、一気に読んでしまいました。

スティーヴ・ロペス

「路上のソリスト」

祥伝社

2009.6.26

ロサンゼルス・タイムズでコラムニストとして活躍しているロペスは、騒がしい街の路上で、2本の弦で バイオリンを弾く男と出会った。ナサニエル・アンソニー・エアーズは、ボロボロの服で大きなカートを 引いていた。コラムのネタにしようと少しづつ話すうち、かつてジュリアード音楽院にいたという情報や 有名な音楽家と時期を同じくしていたことを知る。かつてはコントラバスを弾き、その後チェロも弾いて いたが移動にはバイオリンが簡単なので、いまはバイオリンを弾いているという。その一方で彼は精神を 病んでいると思われる行動もあった。ロペスのコラムへの反響は大きく、バイオリンやチェロの寄贈の 申し込みもあり、支援施設へナサニエルをなんとか住まわせようと奔走する。妻や娘たちとの時間を削ることに 家族も理解を示してくれた。だが統合失調症のナサニエルとの関わりは、次第にロペスを変えていく。

路上のソリストのドキュメントであり、関わったロペスの心の軌跡でもあります。コラムニストのロペスが 必死に、ナサニエルの生活を助けようとするが、果たしてそれはナサニエルを幸せにすることなのか。常に ロペスは悩み、コンサートを聴きにいけるまでに回復をしてもなお、すぐ崩れ去る危うさとの共存がありました。 ロペスが次第に友人として動くうち、逆にナサニエルに学ぶことも多かったと語ります。音楽家としての すばらしさと病気の難しさを、共に生きていこうとするロペスの姿勢こそ、すばらしいと思います。 現在映画化され上映中のようです。劇場まで行くかどうかは、ちょっと迷うところです。

沢村凛

「カタブツ」

講談社

2009.6.23

結婚を間近に控えた昌樹は、三年前の交通事故で2日間の記憶が喪失している。婚約者の家を訪れたとき、 初めて来たはずの海に身覚えたあった。さりげなく家族から聞くと、その海岸で殺人事件があったという。 ・・「マリッジブルー・マリングレー」

須磨は仕事の取引先で知り合った樽見と妙に気が合い、ときどき酒を飲むようになった。だが上司からは 冷酷な人間だという注意を受ける。そう思っていない昌樹は、訪れた樽見の部屋に深夜の無言電話がかかって くる。・・「無言電話の向こう側」

6編の短編集です。さらりとした筆致で、日常にある小さな心のすれ違いをうまくまとめています。 短さの中にちらりと見せる心の奥にあるものを、信じたい、あるいは信じる人間像を描いたいます。 1編だけ、そうでないものが紛れ込ませてあります。きらりと光る短編です。

水原秀策

「メディア・スターは最後に笑う」

宝島社

2009.6.22

天才ピアニスト瀬川恭介は誘拐され、放り出されて発見されたとき、ポケットには切り取られた指が入っていた。 それはかつてピアノを指導したことのある堂上亜紀のものだった。復帰をかけたコンサートは間近に迫っていたが、 恭介は警察とマスコミ攻勢に翻弄される。テレビ局記者の奈緒は、恭介犯人説に疑問を抱き独自に調査を進める。

鼻持ちならないエゴイストの恭介と、俗物だらけの家族やマスコミ関係者と警察の猥雑さに、辟易しながらも 読んだのは、ピアノ演奏と深い理解を感じさせる描写があったからです。出だしも車のトランクで聞くピアノの 音であり、ラストのピアノ演奏のシーンもうまいです。

スティーグ・ラーソン

「ミレニアム 2 火と戯れる女 上・下」

早川書房

2009.6.20

ミカエルは、「ミレニアム」誌の仕事に没頭している。責任者のエリカは、大手メディアグループから引き抜きの 話を持ち込まれ、承諾はしたものの心は揺れていた。だがフリーのダグとミアが人身売買組織の実態に迫ろうと していたとき、二人は殺されてしまう。一方天才ハッカーのリスベット・サランデルは手にした大金で、新居を 手に入れ世界のあちこちを旅行をしていた。戻った彼女を待っていたのは、憎しみに炎を燃やすビュルマン弁護士の 復讐の策だった。

第1部で強烈な印象を残した調査員のリスベット・サランデルを、前面に出した第2部です。ミカエルは、大事な ところでは猛然と走り出す優秀な男性ですが、彼女の前では精彩を欠いてしまいます。それはエリカなど登場する 女性たちの、個性的で境遇と立ち向かう強い意志を持った女性たちに向ける、作者の鋭さの現れかも知れません。 とにかくおもしろく、楽しめ、ハラハラし、ラストまで息を詰めて読んでしまいます。次作も楽しみです。

西川美和

「きのうの神さま」

ポプラ社

2009.6.16

狭い村から脱出する唯一の方法は、大きな町の高校に受かることだった。そのため、わたしは不便なバスで 塾通いをしていた。バスから降りると、自転車と男の人が倒れていた。村を「パトロール」するシゲちゃんだった。 運転手の一之瀬は1時間はかかるだろう救急車を呼びに行った。見ていてと言われたわたしは、シゲちゃんの そばでじっと待っている。・・「1986年のほたる」

5編の短編集です。交わされるわずかな言葉と、主人公の心の中で揺らめく様々な思いが、そこで生きてきた 人々の人生の断片を鮮やかに見せてくれます。映像的でいて、そのシーンに含まれる世界の広がりが、すごい と思います。「ディア・ドクター」で村の新しい医師に見せる、ほろ苦い味わいは秀逸です。

田山朔美

「霊降ろし」

文芸春秋

2009.6.15

近所付き合いの煩わしさに頭を悩ませる朝子は、通販でミニ・ブタを買い部屋で育てることにした。 不機嫌な夫と娘と会話がなくても、ブタが慰めだった。そんな中、目障りな隣家の奥さんが姿を消し、 夫の浮気相手が消えた。・・「裏庭の穴」

精神的に不安定になった母を心配していた高校生の友紀は、おばの庸子から頼まれて拝み屋の片棒を かつがされている。止めたいと思っているが、あるとき心の中に入ってくるものがあった。・・「霊降ろし」

平凡な日常の、わずかな亀裂から見える思わぬ深淵をうまくまとめていると思います。ただ、新鮮さが 感じられないのが残念です。作者に、物語が壊れてもいいほどの熱い思いがあったら、すごい変貌を 遂げそうな気もしますが。

貴志祐介

「新世界より 上・下」

講談社

2009.6.12

新世界220年。早季は遅れたが呪術を身につけ、好きな瞬たちと同じ上の全人学級へ入学できた。 町長の父も図書館司書の母も喜んだ。幼い頃から子どもたちは悪魔と業魔の教訓を教えられ、決して 町周囲の八丁標から出ては行けないと知っている。それでも日常的にはバケネズミやフクロウシ、 風船犬を見かける。早季はいつも瞬、真理亜、覚、守の5人で、夏季キャンプも一緒に行動した。 八丁標から出て利根川を下るうち、図書館の備品だと名乗るミノシロモドキをつかまえ、全く知らなかった 暗黒の人間の歴史を知ることになった。それでも平和な暮らしは続き、町をあげての夏祭りを迎える。 だが悪魔と業魔が策を弄した地獄が待っていた。

魔の世界という分野の作品として2作目です。こんなに引きつけられて読むのはなぜだろうと、途中 何度も自分に問いかけてしまいました。想像力が刺激され、容赦のない殺傷も壮大な仕掛けもあっさりと 受け入れてしまうのです。基点がどこにでもいそうな人間くささと、呪術との落差もおもしろいです。 そして地獄の戦いを戦い抜いた後に見えてくる、絶望的な人間としう存在に残されているわずかな希望や 未来のほの明るさに救われるのです。おもしろいですね。

永嶋恵美

「明日の話はしない」

幻冬社

2009.6.9

小児病棟に長期入院している真澄にとっては、明日という言葉は嫌な薬や検査があるから「明日の話は しない」と思い決めていた。真澄は、トコちゃん、ファドと仲がいい。ファドには双子の姉・ミドが よく見舞いにくるが、真澄たちはミドをきらった。追いつめられたミドがファドに「あんたの病気は 治らなくて死ぬんだ」と言い放つ。自分の死が近いと知っている真澄はファドに一緒に死のうと もちかける。

ホームレスの亜沙美はなんとか日々を送っていた。そこへ格安でエンコーをさせる高校生が現れる。

スーパーのアルバイトをしているユウは、狭い部屋に4人で暮らすことになった。ある日銀行強盗の計画を 立て始めた。

3編の独立した物語がラストで、みごとにつながり収斂されます。一人一人の心の動きを描くのが、とても うまいです。それもどこにでもいる子どもであり、生活者なのです。さりげない言葉や仕草が、臨場感を 際立たせます。見え隠れしていたものが、ラストでふいに明確な色と形と本質を見せます。うまい作家 だと思います。

梨木香歩

「f 植物園の巣穴」

朝日新聞出版

2009.6.8

植物園に勤務する男は、治療に行った先の奇妙な歯医者夫妻と知り合った。治療を受けながら、男は 子どもの頃の記憶が呼び覚まされる。川の流れが、植物園の水と重なり、ねえやの千代がいつか妻の 千代と重なり、いつか男は流れのままに弄ばれていく。

久しぶりに読んだ梨木さんは、すっかり熟成した文章になっていました。水というのは形を取らない、 どうとでも姿を変える存在です。その中で、時間軸を揺らし、記憶を揺らしていく男の描き方が、独特の 世界を作っていきます。じつに怪しい時間を過ごしました。

沢村凛

「笑うヤシュ・クック・モ」

双葉社

2009.6.5

両親の死後、引きこもりがちだった皓雅は、卒業後10年の大学の同窓会に出席した。かつてのメンバーで コンビニ自営の栄司、昇平、利男、海外出張直前の大樹が揃い、昔の飲み会の残金100円でサッカーくじ totoのシートを買いみんなでマークした。証拠を残そうと撮りっ切りカメラで写した。それぞれの日常に戻った頃、 くじが1等の6千800万が当たった。だが大樹の家で預かっていたtoto券はマークした数字と違い、確認 しようとしたカメラは、日光で別なものと取り違えられていた。現像した写真から、持ち主を捜そうと いうことになった。手がかりは古代遺跡のヤシュ・クック・モ展だった。

toto券の確認から始まった追いかけが、カメラの持ち主、そしてヤシュ・クック・モへと軸がぶれて いくように見えながら、一人一人の胸の内が見えてきます。雨の中、外でずぶ濡れになりながらヤシュ・ クック・モ展来場者を探す場面は、読む方もうつうつとした気分になりますが、鮮やかな出会いがあり ほっとします。カメラの持ち主を探す行為は、まるで恋人探しです。殺人事件が起きるわけではなく、 ラスト近くでようやく出てくる男の死体が、事件といえるだけですが、その捻りもうまいと思います。

結城充考

「プラ・バロック」

光文社

2009.6.3

所属する殺人事件から外された本部機動捜査隊のクロハが向かったのは、レンタル倉庫の解錠の立ち会い だった。冷凍庫から出たのは、14体の遺体だった。集団自殺の線が濃くなっていく。捜索願の出ていた家族の 確認で一人の身元が判明したが、彼女のパソコンのデータは完璧に削除されていた。ネットで集めた自殺志願の 人間の裏に、奇妙な陰を感じたクロハは、警察に送られてきた遺書のメールのファイルの解明を、電脳犯罪 対策室のサトウと取り組んだ。女性へのあからさまな差別が織り込まれている警察の中で、真相を知ることだけに 意識を集めようとしていた。

一見、無機質な文体と展開ですが、警察内の嫌な体質と折り合っていくクロハの思考としては、そうなるでしょう。 なかなかうまい目のつけどころの、警察小説です。ブツ切りの文体は、読者の好みが分かれるところかも 知れません。悪くないとわたしは思います。他の作品も読んでみようと思います。

永嶋恵美

「せん-さく」

幻冬社

2009.6.1

ネットゲームのオフ会参加者は、年齢も服装もバラバラでおもしろかった。解散のあと専業主婦の典子は、 家出希望の中学生「遼介」にしばらくつき合い足を伸ばすことにした。行き先を決めない小旅行だったが、 流れのまま盗難車に乗った典子は人を跳ねてしまう。その頃、尚斗にハンドルネームを使われた遼介は、 二人で立てた計画を裏切られ歯噛みをしていた。そこへ刑事が現れ、両親を撲殺した容疑で尚斗を追っていると いう。計画は大きく狂ったことを知る。

背景の10年前のネット環境の頃は、誰かと繋がりたい熱い思いに心をおどらせた時代でした。通信料を 惜しんで、必死にサイトを覗きすばやく掲示板に書き込む、本来繋がるはずのない人と人が出会います。 そこに潜む危険をじわりと、あぶり出していく描き方がうまいです。心に秘密を抱える主婦・典子は幸せな 暮らしを願っていただけなのに、大きく外れていきます。中学生二人のそれぞれの像も、存在感があります。 絶望的な展開も、ラストでわずかに明るさを残してくれるので救われます。

万城目学

「プリンセス・トヨトミ」

文芸春秋

2009.5.30

政府からも独立した組織、会計検査院の調査員3人は大阪に来ていた。「鬼」とあだ名される松平、少し 抜けているが勘の鋭い鳥居、理論派の女性・旭は、35年間検査の入っていない団体に入った。そこは 大阪公園の地下にあり、連綿と続く歴史の証拠を見せつけられることになる。一方、女の子として 生きたいと願う中学生の大輔は、蜂須賀組の息子から執拗ないじめを受けるが、幼なじみの茶子に 助けられている。ある日大輔は、父・真田幸一に連れられ「本物」の大阪城に入り、父から子への 伝達の儀式を受ける。

壮大なファンタジィというか、大阪の二重性の妄想なのか、こんなストーリーを作り出すとは、万城目 さんを少し侮っていたかも知れません。とにかくおもしろいです。豊臣家という歴史上の物語を、現代と 繋げてしまう巧みさはすごいです。調査員のキャラの配置もうまいし、男と女の間で揺れる大輔と、 男勝りの茶子のキャラ立ちが強烈です。そして繰り広げられる、大阪の男たちの行動と、上手をいく 女たちの立ち位置はしたたかですね。にんまりして読み終えられる物語です。

瀬川深

「ミサキラヂオ」

早川書房

2009.5.28

漁港に面したミサキに開局したラヂオは、早朝から深夜まできまぐれに流れる。DJはリクエストを読むが、 とんでもない遅れた日にズレて放送されたりする。地形か電離層の関係か、15分あるいはひと月前の放送だったり する原因は不明だが、人々はそれも楽しんでいる。経営者の社長、ミュージシャン崩れのスタッフたち、喫茶店の マスター、高校生、音楽教師、診療所のドクトル。そんな中、喫茶店の片隅で小説を書いていた土産物店主が、 文学賞を受賞する騒ぎが起きる。

ねじれた時間軸の不思議な世界の味わいがあります。コマ撮りの映画のような描き方がうまいです。引きずられる ようにして読みました。地の文章のなかに会話が練り込まれ、次々にシーンが変わっていき、めまいがしそうです。 群像劇で距離感を置いた描き方でありながら、接写した空気感があり、個性が光ります。いままでにない、おもしろさ なのです。ミサキに暮らす一人一人の思いが伝わって、哀切さがなんとも言えません。不思議な作家です。

コーマック・マッカーシー

「すべての美しい馬」

早川書房

2009.5.26

テキサス州の牧場の少年・グレイディは、祖父の死後すっかり無気力になった父と牧場を嫌っている母を見て、 自分の道を見つけようと親友・ロリンズと共に馬に乗りメキシコへ不法入国する。鹿毛馬に乗り二人の前に現れた ブレヴィンズと、一緒に旅をした。牧場で雇われ、野生の馬を馴らす。だが牧場主の娘・アレハンドラに恋を したことで怒りを買う。

壮大な大自然を感じながら旅をし、牧場で働き、自分が何をしたいのか見つけていくグレイディの、成長物語 です。その中でも、馬との交流や愛情あふれる描写がすごいです。死の瀬戸際まで行き、立ち上がる姿も印象的 です。ストーリーはさらりとした筆致で進んでいくので、あっというまに読めてしまいます。

永嶋恵美

「一週間の仕事」

東京創元社

2009.5.25

高校生の恭平の、幼なじみ・菜加にはなんでも拾ってくる癖があった。渋谷の雑踏で拾った子どもを、家に 送り届けるが、母親が帰ってこないので自宅に連れ帰った。翌日そのアパートで4人の集団自殺の遺体が 発見される。こまった菜加はおぼろげな子どもの記憶する、祖母の家に連れて行こうとするが迷ってしまう。 授業中の恭平に、連絡が入る。同級生の忍の手助けで学校を抜け出す恭平だが、思わぬ事件へと発展していく。

冷静に計画的に考える恭平と、方向音痴で突っ走る菜加が周囲を巻き込んでいくストーリーが楽しいです。 授業のさぼりとか、保健の先生とのやり取りも懐かしい学校の雰囲気が出ています。そしてがらりと転調して 突き止める結末まで、読ませてくれます。

道尾秀介

「鬼の跫音」

角川書店

2009.5.22

6編の短編集です。子どもが飼い始めた鈴虫が、男の過去を蘇らせてしまう。..「鈴虫」教室で嫌がらせを 受ける少年が、不思議な女性と出会い、秘密が守れるなら助けると言われた。・・「悪意の顔」

ごく普通の暮らしの中に、ふと見える人の心の奥にあるものを鬼と捉え、うまくまとめていると 思います。ただ道尾さんは長編に向いているのかも知れません。自分の中にも何かあるのではないかと、 覗いてみたくなるようなきっちりとした作品ですが、物足りなさが残りました。

永嶋恵美

「転落」

講談社

2009.5.20

ホームレスになった「僕」は、小学生の女の子・麻由に食べ物をもらい、彼女のために近所でいたずらを 起こした。次第に要求をエスカレートさせる麻由の首に、手をかけた。逃げた先は、かつての友人・高山の部屋 だった。介護施設で給食員をしいる高山は、ある理由から匿うことにしたが、捜査の手が施設にまでのびて くる。

ホームレスの暮らしや、一人暮らしの女性が介護施設で仕事をしていく感覚などが、とても生々しいです。 命をつなぎ止めるために食することに、ローアングルから迫った描写がすごいです。殺人事件に複雑に絡む それぞれの思いが、緊張感を漂わせラストに一気になだれ込みます。描かれる世界は陰鬱で好きな世界では ありませんが、強く引きつける力があります。

デイヴィッド・アーモンド

「肩甲骨は翼のなごり」

創元社推理文庫

2009.5.18

心臓の悪い赤ちゃんのため、引っ越してきたばかりのマイケルは、たいくつを持て余していた。 両親が崩れるから近づくなと言われたガレージに入り、不思議な生き物を見つけた。テイクアウトの 食品とアスピリンとビールをもってきてほしいと言う。体を支えると、肩甲骨の辺りが膨らんでいた。 食べ物を運んだり、隣の家の少女ミナと一緒に話をする奇妙な関係が続いたが・・・。

翼を持つ生き物との関わりを通して、暖かい家族から少し疎外感を持った少年が、冒険を通して 成長していく物語です。翼の感触が手に伝わってきそうなリアリティがあります。そして、動物臭も 含めて、存在を受け入れるのがいいですね。家族との心のつながりをどう繋ぐのか。大人の事情を 子どもが理解して、家族との愛情を確認してく過程が、印象的です。子どもの頃の、空を飛びたかった 気持ちを思い出しました。

ラーナ・ダスグプタ

「東京へ飛ばない夜」

ランダムハウス講談社

2009.5.15

東京に向かっていた航空機が悪天候で、とある国に臨時着陸した。ホテルの手配も間に合わなかった 乗客13人が空港で一夜を明かすことになった。退屈しのぎに「夜話」をすることにした。それぞれが 語る物語は、不思議な世界に誘った。

すばらしい腕を持つ服の仕立て屋と王子の話。耳かきが最高にうまい男が、新しいビジネスに誘われる 話。13話の話の魅力に引かれ、一気に読んでしまう不思議な怪しい魅力があります。生々しくそれでいて ありえない際どい物語。どれもネタバレをしたくないので、是非手に取ってみてください。お勧めです。

瀬川深

「チューバはうたう mic Tuba」

筑摩書房

2009.5.13

会社勤めの私は一人でチューバを吹く。学生時代の吹奏楽がきっかけだった。けれど吹奏楽部でも オーケストラでも、どうにも居心地が悪く止めてしまった。一人河原で、吹き続ける。ある日、 インディペンデントのクラリネット吹きと出会い、あちこちで演奏することになる。そんな私の耳に 飛び込んできたのは、「Muzicanti auri(ムズイカンティ・アウリ)」という音楽だった。

「チューバはうたう mic Tuba」「飛天の瞳」「百万の星の孤独」の3編の短編集です。「チューバ・・」が、 出色です。決して単独演奏になり得ない楽器でありながら、引かれ続ける女性のチューバへの思いが、延々と 熱く語り続けられます。ラストの盛り上がりがすばらしいです。「百万の星の孤独」のプラネタリウムを通して、 伝えられる思いにも引かれました。

安田賢司

「二重人体」

講談社

2009.5.11

電車に飛び込み自殺を図った女性を助けた直後、高梨は気を失った。病院で目覚めた時 高梨は二人になっていた。コピーしたようにそっくりな二人は、アルファ(α)とベータ (β)と呼び、一緒に暮らすことになる。大学は目的が曖昧になり、ほとんどサボっていた。 アルバイトと、仲間たちとスロットに入れ込んでいた高梨は、1日交代で出かけ報告し合う ことにした。だが知り合った帆波と親しくなるうち、二人の距離は広がり始める。

アルファとベータの二人の視点から、展開していきます。同じ顔、体を持つもう一人の自分が いたら、どうなるだろうとおもしろく読みました。人生から降りかけていた高梨が、最後に 出る万葉集の集中講義の場面が印象的です。ダメ人間の集まりだと思っていた仲間の意外な面や、 過去に秘密を抱える帆波のことを知るうちに、自分自身を見つめ直していく流れも好感度が高い です。ただラスト近くになると、無理に終わらせようと走り過ぎているのが残念です。長編体質の 作者には厳しかったのではないでしょうか。誤字誤植がラストに集中したのも、締め切りの せいでしょうか。読んでいていらいらするほどの酷さです。編集者あるいは作者が、投げやりのまま 出版した印象です。

橋本紡

「もうすぐ」

新潮社

2009.5.8

ネット新聞を担当する由佳子は、産婦人科医逮捕事件を取り上げることになる。苦悩する不妊治療の 女性や、関わる産婦人科の医師や看護師たちのがんじ絡めの医療制度への絶望感。そんな中、怪しい 宗教まがいの団体も現れる。そして友人が深夜、出産を迎える。

出版社での由佳子の視点で物語が進み、全体を面白いものにしています。個々の件は、妊娠と出産を めぐる現実の厳しさを描きながら、心の見つめ方がやさしく描かれていて救われます。現実はもっと厳しいの かも知れません。逮捕事件や「お産難民」など深刻で解決の糸口さえ見えない、難しい問題だと思います。 そういう現状を切り取り、波紋の一滴を落とした作品だと思います。いままでのファンタジックな作品とは がらりと違った、けれど橋本さんらしい視点が見えて、ほっとしました。

西川美和

「ゆれる」

ポプラ社

2009.5.6

東京でカメラマンとして活躍する猛は、実家でガソリンスタンドを経営し父親の世話に明け暮れる兄・稔と 久しぶりに再開した。幼なじみでガソリンスタンドの従業員として働く智恵子と、山奥の吊り橋に出かける。 だが、稔と智恵子が二人でいるときに智恵子が吊り橋から落下する。事故か、殺人か・・・。

猛をはじめ登場人物の視点から描かれ、真実が混沌としていく展開がおもしろいです。少し粗い文章と、 ラストの独りよがり的に感じてしまう行動には、疑問が残ります。キャラが類型的な域を出ていないのが 残念です。

朱川湊人

「いっぺんさん」

実業之日本社

2009.5.5

いっぺんだけ何でも願いを叶えてくれるという神社があると、祖母から聞いたうっちんは、友だちの しーちゃんの願いを託すべく、行ったことのない神社を探しにいく。白バイのおまわりさんになりたいと いう願いをかけたが、しーちゃん自身が重い病気にかかって死んでしまう。うっちんは事故で怪我をした弟の ために願いを使ってしまう。だが神様はとても粋な計らいをしてくれる。「いっぺんさん」

8編の短編集です。朱川さんの好きな部分と、ホラー系の嫌な感じが入り交じっています。表題の 「いっぺんさん」がほのぼのとしています。最後の現代における因習を描く「八十八姫」は、不思議さと 深い思いが印象的な作品です。

ジョン・ハート

「川は静かに流れ」

ハヤカワ・ミステリ文庫

2009.5.1

5年前、殺人の濡れ衣を着せられ故郷を去ったアダムに、親友ダニーから助けてほしいと電話が入った。 川辺の町に戻ると、父の経営する農場は変わらずに迎えてくれた。だが、アダムを勘当した冷ややかな父と 義理の母と妹弟、不機嫌な顔のかつての恋人・刑事のロビン、ダニーの父ですら敵意を見せる。農場で可愛がって いた幼かったグレイスにも、嫌いだと言われる。だがそのグレイスが、何者かに襲われ暴行を受けてひん死の重傷を負う。 さらに農場の穴でダニーの死体を発見した。どちらもアダムを疑わせる不利な状況だった。

5年経過した故郷で、さらに苦境に追い込まれたアダムが、必死に考えをめぐらせ行動し切り抜けていく 展開がおもしろいです。殺人事件と、家族や恋人や関わる人間の心理を絡ませた巧みな筆致はすごいです。 自分の言葉や行動を、周りの人間がどう受け取るか。それがどんな変化を与え、戻ってくる相手の言葉は 諸刃の鋭さを持っているのです。ラストもそれだけに重みがあります。2作目ですが、うまい作家です。

朱川湊人

「さよならの空」

角川書店

2009.4.28

テレサ・クライントン教授の発明したウェアジゾンは、地球のオゾンホールの拡大を止める物質だった。オゾンホール からは、太陽の強烈な紫外線が降り注ぎ生物のDNAを破壊・死滅させるのだ。世界中で食い止めるためにウェアジゾンの 散布が始まった。だが、夕焼けが消えるという現象を引き起こした。日本上空でも散布が予定され、最後の夕焼けを 見ようと人々は空を見上げた。その頃、テレサは日本を訪れ横浜に向かっていて、少年トモルに出会った。

世界を救うための物質が持つ、副産物の現象。夕焼けへの愛着は、誰でも懐かしい思い出と共に持っています。着眼点は とてもいいですね。老教授と少年というキャラが類型的な域を出ないのが、ストーリーの深みを欠いてしまったかも 知れません。作者の思いはわかるけれど、いまいち伝わってこない感じが残念です。

拓未司

「禁断のパンダ」

宝島社

2009.4.27

柴山幸太は神戸でフレンチスタイルのビストロを営む新進気鋭の料理人だ。妻の友人と木下貴史との結婚披露宴に 出席し、中島という老人と知り合いになる。人間離れした味覚を持つ有名な料理評論家で、幸太のビストロを 訪問することになる。一方、神戸ポートタワーで男性の刺殺体が発見された。捜査に乗り出した県警捜査第一課の 青山は、被害者が木下の父が営む会社に勤務していて、さらには義明も失踪していることを知る。

披露宴フレンチの、幸太の料理の描写がみごとで、美味さ伝わってきます。けれど後半からは、食欲への尽きる ことのない好奇心に向けられ、気持ちが悪くなります。キャラがいまいち類型的なので、怖さも半端なホラーさ 加減です。関西弁の会話が読みにくく、ストーリーへの情熱に引っ張られて読みましたが、苦手です。

スティーグ・ラーソン

「ミレニアム1 ドラゴンタトゥーの女 上・下」

早川書房

2009.4.25

月刊誌『ミレニアム』の発行責任者ミカエルは、大物実業家ヴェンネルストレムの違法行為を暴露する記事を 発表したが、名誉毀損で有罪になり『ミレニアム』から離れることになる。失意のミカエルは、大企業グループの 前会長ヘンリックから、40年前に失踪した兄の孫娘ハリエットの調査を依頼される。1年間の困難な調査に 取りかかり、タトゥーを入れた女性調査員リスベットの働きで事件は意外な展開を見せる。

ヴァンゲル家200年の複雑な家系図に、読むかどうか迷いましたが、途中からぐいぐい引きつけられ読んでしまいました。 意外とまっとうな展開で、キャラがしっかりしています。ミカエル以上に、リスベットがとても魅力があります。 少ない証言や証拠をもとに、推測しその裏付けをとる膨大な作業の緻密さと、意外にスピード感のあるストーリーが おもしろいです。3部作ということなので、次が楽しみです。

朱川湊人

「わくらば日記追慕抄」

角川書店

2009.4.23

人や物の「記憶」を読み取れるという不思議な力をもった姉の鈴音と、姉想いのワッコ。固い絆で結ばれた二人の 前に現れた謎の女は、鈴音と同じ力を悪用して他人の過去を暴き立てる御堂吹雪の冷たい怒りと憎しみに満ちた まなざしが鈴音に向けられる。

シリーズ2作目です。ワッコの回想として描かれる、人の心の両面に向けられる視線がいいですね。時代背景も 美しいです。鈴音とは光と影の吹雪のキャラが、次の作品への伏線になるのかも知れません。楽しみです。

安田賢司

「トゥデイ-すべてが壊れる午前零時」

新風舎

2009.4.22

高校生の演劇部に所属する良哉は、地区大会に向けて練習に励んでいる。そして大会当日を迎えた。 だがその9月20日は、良哉には延々と訪れる一日に過ぎないのだった。しかも少しづつバリエーションが 違うのだ。さらには親友啓太や恋人桃子、さらに周囲の人間まで巻き込んでいく。そして、良哉を眺める謎の 少女の視線を感じてしまう。

二段組600ページの長編です。多世界理論や量子力学を駆使した、新しい展開も面白いです。始まりの まどろっこしさも途中から引き込まれ、一気に読んでしまいました。終わってみると、すべてが伏線だったのだと 納得できます。この作家は次の作品が書けるのだろうかと心配なほど、全力投球の作品でした。

朱川湊人

「わくらば日記」

角川書店

2009.4.18

小学生のワッコは、病弱で美しい姉さまに心酔していた。そして姉さまが時々使う、過去を見る 不思議な能力をあこがれの巡査に話してしまったため、本庁の刑事から事件現場を「見る」ことを 依頼されてしまう。その度に体調を崩し臥せってしまう姉さまを気遣うワッコだったが・・・。

背景は戦後の昭和期だろうと思うのに、描き出される人の心は現代に通じ、事件もまた現代に肉薄し、 心の両面性を浮き上がらせていきます。朱川さんは美しい時代の書き割りもうまいし、心理を描くのも うまいのです。そして深いところで、人間の持つ生きている哀しさ、希望を信じているのでしょう。 とても後味のいい作品です。

黒武洋

「ファイナル・ゲーム」

角川書店

2009.4.17

RPGゲームに逃げ込んでいた貫太郎は、かつての「試全倶楽部」のメンバーともども、桜の指示する 孤島の研究所の建物に集められた。案内役の美輪、貫太郎、数馬、達雄、英太、玄に対し、桜は 「試全倶楽部」解散のためのファイナル・ゲームを宣した。死を迎えた最後の顔写真をコレクション したいと言う。闇の中、トランシーバーと写真を送るための、デジカメとパソコンと飲料が与えられた。 殺人という非日常の行為も、美輪の死体が発見され、メンバーの中に「犬」がいると告げられ疑心暗鬼に なったことで、一気に現実になった。

設定としてよくある孤島でのミステリも、黒武さんの手にかかると濃い物語になってしまうのです。 極限での心理を、外から見える貫太郎像とその内部を中心に据えて描くと、じつにおもしろいです。 かつての互いの心理もダブらせながら、7年後の自分を分析していく手法も効果的です。新作が 待ち遠しいです。

東直子

「ゆずゆずり」

集英社

2009.4.15

仮住まいのマンションでくらすイチ、サツキ、ナナ、そしてシワスたちは、新しいマンション探しを 始めることにした。仮の住まいに移転してくるまでの思いや、不動産業者、引っ越し業者への思いが、 シワスの視線で描かれる。

小説でありエッセイ風であり、4人の関係も曖昧なまま、日々の思いがおもしろい着眼点で繰り広げられます。 ふんわりと、無理をしない暮らし。時間の進行がゆっくりになったような雰囲気が、読み手の力みもなくして くれます。その空間に同じように漂っている、もしかしたら貴重な時間かも知れません。

サラ・パレツキー

「バースデイ・ブルー」

ハヤカワミステリ文庫

2009.4.14

シカゴの私立探偵のヴィクは、事務所を構えているビルの取り壊しが近づき、税務確定申告も迫っていた。 40歳の誕生日が近づいているというのに、親友や恋人との間もぎくしゃくし始めていた。そんなヴィクは ビルの地下室の隠れ住む母子を見つける。彼らを救い出そうとホームレス救済組織の知人に連絡するが、 ある夜事務所で彼女が死んでいるのを、発見する。自宅へも侵入者があり荒らされる。

巻き込まれ型の事件に、正義感に駆られまっしぐらに突き進んでいくヴィクが、どこか憎めない存在です。 出だしの落ちぶれ感から、ラストの派手なアクションまで、ぐいぐい読ませてしまいます。経済の裏側の 一端まで見せてしまうので、濃厚なディナーを食べたような感じがしてしまいました。もう少し軽くても いいような気がします。

鏑木蓮

「思い出探偵」

PHP研究所

2009.4.10

琵琶湖で溺死した息子の真相解明もできず、心身ともに病んだ妻の治療に当たるため、刑事を止め、 実相浩二郎は探偵になった。調査員の由美と佳菜子、役者志望のアルバイト・本郷と仕事をしている。 今回の依頼は、愛猫の思い出の大切なペンダントを無くしたが、拾って近くの喫茶店に預けてくれた人がいた。 無事に手元に戻った喜びから、わずかな手がかりからその人を捜してほしいというものだった。

4章の調査事項を描く丁寧な運びと、単なる思い出というより、その人の生きてきた証とも呼べる深い歴史を 探っていくような調査に好感が持てます。調査員の心の中もしっかりと描かれ、依頼人にとって最良の結末が いいですね。戦後の混乱期から今に至る、庶民の暮らし方や考え方まで切り取って見せる方法は、成功して いると思います。こういう探偵者があったら、わたしも依頼したいと思います。

中村文則

「何もかも憂鬱な夜に」

集英社

2009.4.9

拘置所の刑務官「僕」は、施設で育った過去を持つ。夫婦を刺殺した二十歳の未決死刑囚・山井を 担当していた。なぜ控訴しないのか。一週間後に迫った控訴期限を前にしても、山井はまだ語って いない何かを隠している。仮出所後、すぐに逮捕された受刑者。先輩の刑務官が語る死刑執行の動揺。 友人だった男の自殺。「僕」は、さまざまな深いところにある何かを見つめていく。

嫌でも重い気分に引きずられながら、犯罪を犯した者と自分との境界線の曖昧さを見つめようとする、 姿勢に最後まで読ませられました。こういう仕事に携わって生きるというのは、大変なことだと思い ました。幼い主人公が見たという、父と母の最後はすさまじいものがあります。それらをくぐり抜け、 わずかな未来を必死に探ろうとする姿に、読む側も真摯にならざるを得ません。重いけれど、お勧めです。

シャンナ・スウェンドソン

「コブの怪しい魔法使い」

創元推理文庫

2009.4.8

あこがれのシャイなオーウェンにとって、自分が最大の弱点になることを知ったケイティは、 ニューヨークの魔法界のソフト開発オフィスを後にし故郷のコブに戻ってきた。だが田舎町で、 稚拙だが魔法を使った悪事の匂いを嗅ぎ付けてしまう。ケイティの身を心配し、会社の制止を 無視して現れたオーウェンを、家族には友人と紹介する。大掛かりな銀行襲撃の計画を知った 二人は、水や木の精たちやガーゴイルと共に阻止しようとする。

ケイティの兄弟や母、祖母たちの能力も明確になり、悪事に魔法を使うことへの明確な線引きをし、 オーウェンの気持ちもはっきりします。シリーズ4作目で、ようやく恋愛感情から一歩進みました。 二人が純情なので、ほほえましいくらいですね。魔法の力と、ごく普通の家庭や街の暮らしとの、 描き分けも楽しめます。次のシリーズも楽しみです。

三崎亜記

「廃墟建築士」

集英社

2009.4.6

4編の短編集です。「時の経過によって醸成される」廃墟建築物に、シンパシーを感じ 廃墟建築を目指すわたしは、建設会社の中でプロジェクトに加わった。理想的な廃墟建築を 造ろうとするうち、他社による偽装が明るみに出る。

「七階闘争」「廃墟建築士」「図書館」「蔵守」の4編は、タイトルと設定の妙はいつも 通りです。夜間図書の飛翔など、はっとする美しさと思いがけなさに息をのみます。ただ、 ますます自己完結していて、読者との距離を感じます。かつての愛すべき人間への視点は、 消えてしまったままです。心の中から熱い火が消え『虚無』の美を描かれても、読んでいて 悲しくなるばかりです。外に開かれた三崎さんの復活を祈っています。

大崎梢

「スノーフレーク」

角川書店

2009.4.3

車ごと海に飛び込む一家心中で、幼なじみ・速人は死んでしまった。六年後、高校卒業を控えた真乃は、 友人から彼とよく似た青年を見かけたという話を聞く。ほんとうは生きているのかもしれない。かすかな 希望を胸に、速人の死にまつわる事件を調べ始めた真乃だったがそんな真乃自身も速人そっくりの人物を 見てしまい、さらに速人の命日には速人のいとこ勇麻が現れる。

真乃が、知りたい一心で聞き込みを続け、速人の家庭の事情や心中の真相、速人の死体があがらなかった理由までが 次第に明らかになっていきます。ストーリーの展開も、関わる人たちの心理までうまく描き出し、用意されたラストが 切ないですね。大崎さんは文章もうまくなったと思うし、いろんな分野に挑戦する姿勢が好きです。今回の 作品は主人公が女子高校生という設定なので、あまり女の子の細かい心理が苦手なわたしは、別な分野を 描いてほしいというわがままな願いでいます。

道尾秀介

「カラスの親指」

講談社

2009.4.2

武沢は鍵開けの腕を持つテツさんと組んで、詐欺で暮らしていた。かつて武沢は、会社の同僚の借金の 保証人になりヤミ金から多額の債務の取り立てを受け行き詰まった。ヤミ金から雇われ、「わた抜き」と 呼ばれる債務者の最後の金を脅して取り立てた。だがその女性が自殺したことを知り、債務情報を持ち出し 警察に自首した。摘発を受けたヤミ金のヒグチからの脅迫が始まった。

軽いタッチのいままでの作品とは別な、しっかりした手応えがあります。賞を狙っていますか?道尾さん。 執拗なヤミ金業者からの放火や、追い詰められていく人の心理が、重くならずしかし深く描き読ませます。 ラストの捻りも、さらなるどんでん返しも納得のいくおもしろさでした。少しづつ繋がる人間関係や、 見える顔とほんとうの顔。それらが引き起こすストーリーが、一気に読ませます。

柳広司

「東京プリズン」

角川書店

2009.3.30

日本人戦犯収容施設・巣鴨プリズンでは裁判の準備が進んでいる。 探偵・エドワードは、脱獄を繰り返し、記憶喪失状態のキジマの記憶を取り戻すことを条件に、 所内に入る許可を得た。目的の行方不明者を探すうち、外からの持ち込みが不可能に思える所内で、 青酸カリによる死者が続くという事件が起きる。監獄の中で歪み捻れる殺意と狂気が吹き荒れる。 一方ではキジマの捕虜虐待の真相は謎のまま、証人集めは着々と進んでいくことに、エドワードは 疑問を感じる。

緻密に練り上げられたミステリです。ぎらぎらした印象で、観察眼の鋭いキジマの存在感が物語を おもしろくしています。占領軍による統治、それを受け入れる日本人の心理を浮き上がらせていきます。 ミステリのトリックはすぐに気付いてしまったため、どうしても興味は人物像に向かいました。その点では 文化の違うエドワードを主軸においたために、戦争下の人々の心理や社会的なシステムが、単純化したものに なってしまった気がします。長編を費やして現れたものが小さすぎる点に不満が残ります。

神永学

「コンダクター」

角川書店

2009.3.29

アパートの一室から頭部のない白骨死体が発見された。死後数年は経過しているが、部屋には放置された 期間は短いという故意に作り上げられた現場は異様だった。石倉警部は謎の解明に動き出す。一方、 海外留学から戻った結城は、演出家の相葉からミュージカル公演のオーケストラの指揮を依頼された。 出資の依頼も受け、日本での復帰に賭ける気になった。フルート奏者・奈穂美は狭い場所に閉じ込められる 悪夢に苦しんでいた。バイオリニストの秋穂は、結婚間近のピアニストの玉木との行き違いに悩んでいた。

構成力がある作家だと思います。ただ視点の動きが煩雑で、人物が描き分けられていません。ラストに それを使ったトリックを明かしても、それなら尚更キャラの特徴を明確に出すべきだと思います。雑多な知識を 使いすぎて、登場人物が都合よく出てきて展開し、なんとも作家のご都合主義とプライドが邪魔をして います。それでも読ませる筆力はある作家ですが。

カーレド・ホッセイニ

「君のためなら千回でも 上・下」

ハヤカワepi文庫

2009.3.27

「君のためなら千回でも!」召使いの息子ハッサンはアミールにこう叫び、落ちていく凧を追った。同じ乳母の乳を 飲み、一緒に育ったハッサンは知恵と勇気にあふれ、頼りになる最良の友だった。だが12歳の冬の凧合戦の日、 臆病者のアミールはハッサンを裏切り、友の人生を破壊した。深い自責の念にかられながら生きることになった。 戦乱に巻き込まれたアフガニスタンからかろうじて脱出し、アメリカに渡って作家として成功を収めた。だが 26年を経て、ハッサンの父からの電話にアミールは、妻子を残しアフガニスタンに向かった。

父の愛情を求める臆病で体の弱いアミールの葛藤や、民族間の深い溝や争い、その中でも友情やいじめや暴力も 含め、子どもたちの世界があります。輝いていた子ども時代の、深く心に悔いを残す事件が、大人になったときに どこまで償えるのかを考えると、最後の方は絶望したくなります。ラストに美しいシーンで締めくくられるので、 読後には象徴的な希望が残ります。2008年に映画が日本でも公開されていたのですね。見たかったです。

黒武洋

「半魔」

徳間書店

2009.3.24

不思議な自分の「力」におびえる女子高生、陽子、理砂、寛美は、お互いを認め合う奇妙な 出会いをした。陽子の17歳の誕生日「魔」が現れ、燃え盛る我が家で母が焼死した。そのあと、 同じ年頃の少年少女が、次々に自殺するという事件が続いた。

異世界へ半歩踏み出した世界が好きで、それ以上超えた世界というのは今まであまり読んで きませんでした。黒武さんの言葉の深さと心理描写のうまさに導かれるように、引き込まれて 読んでしまいました。「力」を使うシーンも、イメージを喚起されました。心に潜む怒りや 感情の爆発にも、ラストの終わり方にも共感してしまうほどでした。

スコット・フィッツジェラルド

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

イースト・プレス

2009.3.19

南北戦争後のボルチモアで、貴族社会に属しているロジャー・バトン夫妻に初めての子が生まれた。 だが生まれて数時間の赤ん坊は、70歳の老人以外の何者でもなかった。腰が曲がった、170センチの 赤ん坊との暮らしが始まった。おもちゃやぬいぐるみを与え赤ん坊として扱おうとするが、ベンジャミンは 百科事典を読みタバコを吸った。祖父との時間を楽しんだ。次第に若返っていく彼は、18歳のときは 50男に見え、イェール大学に合格したが大学側から入学を拒否された。父の金物卸商を手伝い商売は 上手くいった。社交界で出会った令嬢と恋をし結婚し息子も生まれた。だが、どんどん若返っていく彼は 深刻な問題を抱えていく。

映画の原作です。わずか80ページ足らずの短編です。淡々と、でも実に巧みに描写される社会や人々が、 まるで風景画のように美しくリアルです。映画との違いが大きくありますが、基本に流れる哀しみが 胸を打ちます。老人、壮年、青年、少年と、それぞれの世界の輝きが見えるのです。ラストは思わず 目が潤みます。お勧めです。

朱川湊人

「本日、サービスデー」

光文社

2009.3.18

文具の営業課長・鶴ヶ崎は、仕事の先が見えてきたかと冴えない気分だったが、ついにリストラ勧告を されてしまう。そんな鶴ヶ崎の前に、悪魔と天使が姿を見せる。悪魔は「きょうは何でも願いが叶う、 サービスデーだ」と告げる。天使は本来は知ってはいけないことなので、1日監視につくと言う。 仕事が急にうまく回りだし、家族や周囲の人間に尊敬の目で見つめられる。だがリストラ勧告をしてきた 上司の出張時の態度に思わず「飛行機、落ちてしまえばいいのに」と内心思ってしまい、乗客570人を 乗せた飛行機が墜落した。天使に喰ってかかるが、なかったことにできないと言われてしまう。だが 鶴ヶ崎はあきらめず、非常手段を用いることにした。・・・「本日、サービスデー」

5編の短編集です。どこかとぼけた口調がありながら、意外に人間への愛情が感じられます。確かに 一生に一度、こんな何もかもうまくいく日があったらどんなにいいだろうと思います。でもその裏には、 意外なものが見えてくるという、うまい構成でした。他の作品も読んでみたいです。

托未司

「蜜蜂のデザート」

宝島社

2009.3.16

神戸でフレンチスタイルのビストロを営む料理人・柴山は、店のにぎわいに溺れることなくいつも 最高のものを出す努力を怠らない。デザートだけは自分でまだ納得がいっていなかった。そんな柴山に、 声をかけてきた男がいる。それが次々に起こる事件の始まりだった。

おいしい料理を扱ったミステリの、新しい作家です。美味しそうな料理だけに、食中毒という嫌な題材が ちょっと胃もたれしそうになりました。でも推理も展開もなかなかうまいのです。料理人のプライドがどこに あるのか、喜びがどこにあるのかが素直に伝わってきて、読後感はさわやかで救われます。次作に期待でき そうです。

スティーヴン・ギャロウェイ

「サラエボのチェリスト」

ランダムハウス講談社

2009.3.14

セルビア人勢力の攻囲下にあったサラエボ。戦争犠牲者の鎮魂のために、ひとりのチェリストが統弾も恐れず、 22日間街路で“アルビノーニのアダージョ”の演奏を続けていた。無差別攻撃の恐怖に怯え極限状態に おかれた、水や食料の欠乏に苦しむ生活を強いられる市民の耳に届いたチェロの音色は、はたして何を もたらしたのか。

実話をもとにした創作です。1991年、かつてオリンピックも開かれたボスニアのサラエボの内戦が始まります。 チェリストを守るため、狙撃兵としての任務に就く女性・アロー。4日に1度、隣人の老婆の分も含めポリ容器 6個を腰と両手に下げ、危険地帯を横切って水を汲みにいく男・ケナン。妻子をイタリアに避難させ、パン工場に 勤めて給料代わりのわずかなパンの支給から、妹夫婦に分けているドラガン。それぞれの心理や人々を静謐な タッチで描きながら、かすかではあっても祖国の復興を願っているのです。そしてどんな状況になっても、 人として生きたい、誇りを捨てたくないというぎりぎりの切ないまでの選択をしていきます。すごい作家ですね。 邦訳されたら、他の作品も読んでみたいと思います。

小路幸也

「わたしとトムおじさん」

朝日新聞出版社

2009.3.12

帆奈(ハンナ)ニールセンは、ニューヨークの両親と離れ祖父母とトムおじさんと暮らしている。 古くからの建物で蕎麦屋の八島庵を始め、たくさんの店や学校までも、観光施設「明治たてもの村」に 移されて営業していた。古い家具や建物を、古く見えるように修理する仕事のトムおじさんのところに、 かつての同級生が訪ねてきたことが、思いがけない波紋を引き起こす。

不登校の帆奈の視点から描かれているので、垣間見える大人の世界の事情もどろどろせず、シンプルに 描かれます。それがかえって問題を明確にし、大人も子どもも進んでいけるのでしょう。近くにこういう 観光施設があったら、行ってみたいファンタジーの世界です。小路さんは、子ども視点の作品がとても うまいです。

仙川環

「終の棲家」

ハルキ文庫

2009.3.11

大日本新聞社会部に配属した朝倉智子は、学歴と資格へのプライドが邪魔して、現場記者と しては未熟だった。独居老人の医療問題を追ううち、取材する老人たちが次々に死亡する。

鼻持ちならないお高い女性記者が、周囲の人間関係の中で鍛えられ、現場を知っていきます。 医療問題への切り込みは物足りなく、成長物語としても甘過ぎで途中で放り出しそうになりました。

仙川環

「無言の旅人」

幻冬舎

2009.3.9

三島耕一が交通事故で重体になり、植物状態になる可能性もあるという。両親の安雄と芳子、妹の香織、 そして婚約者の公子は病室を訪れ、必死に看病に当たる。病室に釣り仲間だという安土が見舞いにきて、 息子さんは尊厳死を望んでいると話していたと言う。安雄が耕一の部屋から見つけた遺書が、家族や病院に 波紋を呼ぶ。

家族や医師の、それぞれの率直な気持ちが描かれます。決断することへの迷いや心残りまで、 踏み込んでいると思います。ただ、視点が都合よく移動しすぎて、読者としては煩雑な感じが します。人物設定がどうしても類型的なのは、仕方のないところでしょうか。単に社会問題を 扱うだけでない点は評価できます。

ジリアン・ホフマン

「心神喪失 上・下」

ヴィレッジブックス

2009.3.6

初の殺人事件で、補佐として抜擢されたマイアミの検察官・ジュリアは正義感に燃えていた。 妻と幼い娘3人を殺害したとして夫のデヴィッドが逮捕されたのだ。だが、弁護士がデビッドが 犯行当時心神喪失の状態にあったと主張する。詐病の可能性を追いかけるうちジュリアは、 自身の閉じ込めていた記憶の扉を開いてしまう。

確固とした検察側の裁判の進め方と、検察官の揺れる内面を描き進めながら、事件の真相を あぶり出していきます。息をつかせず引っ張る筆致はみごとです。同僚との絡みの描写も うまいです。ただ人物設定として、ジュリアの悩みに揺れる様子は、キャラ設定として 弱すぎるような気がします。前作までの強いキャライメージを、つい求めてしまったからだと わかっているのですが、読者ってわがままですね。

森深紅

「ラヴィン・ザ・キューブ」

角川春樹事務所

2009.3.3

初出荷記念式典も予定されていた、最新型の建設ロボットの不具合に水沢依奈は工場に駆けつけ、 すばやく間違えた部品を見つけ、180体の部品交換を指示した。その力を見込まれ、依奈は 特別装備機体室に異動になった。アンドロイドのアリーに偏執するヤンを始め、個性的な天才 たちの集まりだった。仕様の異なる10体のアンドロイドを、わずか20週で製造する新たな プロジェクトが、スタートした。

少し未来の世界という設定です。そぎ落とした鋭角な言葉のリズム感が、心地よい作家です。 思考回路が数学的なところが好きです。それでいてどこかに人間くささを愛している空気が あります。後半が少し息切れしたのか、ラストが惜しいです。長編を書いていくと、おもしろい 作家になりそうです。

黒武洋

「パンドラの火花」

新潮社

2009.2.27

横尾友也は35年間、死刑確定囚として服役していた。タイム・トラベルにより35年前の自分に 会い、説得して殺人を止めるか、死刑を受け入れるかの選択を迫られた。当然過去に戻ることにし、 監視役の17番と呼ばれる男と一緒に時空移動をした。だが人嫌いで衝動的な16歳の友也は、 かたくなに未来の男の言葉を拒否した。元の世界に戻る制限時間が迫っていた友也は、最後の 説得に臨む。

過去の自分に戻れたら、違う人生があったかも知れないと、わたしも思うことがあります。でも過去が あるから現在の自分があるわけですから、未来をどう生きるか考えて行きていくしかないわけです。 悔い改める日を過ごす人間にとって、殺人を起こす以前に戻れたら、殺人は絶対に阻止したかった 過去でしょう。それができるならという設定がおもしろいです。若い時の自分と、年月を経たから思慮が ある現在の自分をぶつけると、果たして説得できるのでしょうか。ラストのひねりも効果的です。

仙川環

「感染」

小学館文庫

2009.2.24

ウィルス研究医・中沢葉月は、外科医の夫・啓介の前妻・公子との間の息子が誘拐されたという連絡を 受ける。だが啓介と連絡がつかないので、やむなく公子のもとを訪れ、一緒に身代金を持って行くが、 焼かれた骨で発見された。葬儀のあと行方をくらました啓介を探すうち、連続幼児誘拐事件や臓器移植 との奇妙な接点に気がつく。

仙川さんのデビュー作です。よく練られた構成と、人物の配置もうまいです。臓器移植の専門的な領域も、 読者にわかりやすく描いています。人物の心理を描こうという姿勢は伝わりますが、少し浅いのが気に なります。この長さに収めるのにテーマが大き過ぎて、無理があるかも知れません。小説としてはぎりぎりの ところで成立して、読ませています。

鏑木蓮

「エクステンド」

講談社

2009.2.20

老舗呉服屋・向井雅也の邸宅で首吊り死体が発見された。五条署の新人刑事・片岡真子が 初めて担当することになった。謎の多い遺体は何を語っているのか。家主は知らない女性だと 言うが、被害者とつながる遺留品が見つかると、次第に供述を変えはじめる。京都府警は 逮捕に踏み切った。だが向井は何も語らない。拘留期限のタイムリミットが迫ってくる。

前作から大きく路線を変えた鏑木さんの刑事物です。器用な作家なのだと思います。キャラも ミステリの要素もラストのひねりもうまくまとめています。ただ、どうしてか印象に残らない のです。そうかと、納得はするけれどここが書きたかったという点を、感じられませんでした。 プロの作家として、シリーズ物を書いたりという方向性でしょうか。それでも、どんなふうに 変わっていくのか、楽しみな作家ではあるのです。

仙川環

「治験」

双葉社

2009.2.18

仕事を探してハローワークからの帰り道、怪しげな外国人から声をかけられた宮野は、 「ま、いっか」と話を聞いてみた。ネットで健康食品の販売をする会社で、前金の500万円で パソコンを購入し販売サイトを立ち上げた。弱っている愛犬にも商品を食べさせたところ 死んでしまった。そうするうち苦情を言いに来た猪俣一美から、架空会社でサイトも閉鎖 されたことを知る。一美はアメリカの研究機関に勤める立場上、この商品との関連を疑われたら まずいので、商品回収を手伝うと言う。さらには無断掲載されていたホー教授からの呼び出しに、 一緒にアメリカに行くことになる。

日本の立ち位置で、ちょっとアメリカの事情を知っている人の書いた、ミステリという 浅さは仕方のないところでしょう。一美も宮野もリアリティがなさ過ぎるが、宮野のいい加減さと まじめさの両面で、物語を成立させてしまう手腕はなかなかだと思います。仙川さんも おもしろい作家の一人です。

柴田哲孝

「悪魔は天使の胸の中に」

徳間書店

2009.2.16

城島刑事はあちこちで起きる不可解な金属バットによる殺人事件が、気になっていた。何者かに 躍らされたかのような、犯人の供述も不自然だった。週刊誌の記者・松永もまた事件を追っていた。 そんなとき元FBI捜査官でプロファイラーだったエミコ・クルーニルが来日し、脅迫文が届く。

某海外作家の傷痕を思わせるエミコ像や、自分の周囲への無警戒ぶりや、都合よく犯人像が できあがっていく筋書きも、日本という場所でFBI絡みの連続殺人事件を書くと、こうなるのは 無理はないだろうと思います。がんばっているのはわかりますが、残念です。

伊坂幸太郎

「モダンタイムス」

講談社

2009.2.13

渡辺は深夜残業で疲れきって戻った自分のマンションで、妻・佳代子に雇われた男に 椅子に縛り付けられ爪を剥がすと脅された。浮気相手の名前を明かしてとりあえず 解放された。会社では担当者が逃げ出した、新しいシステム開発を押し付けられ、 大石とともに仕事を始めた。だが、プログラムの中におかしな点があった。ある検索語で ヒットしたユーザの情報を調べる仕掛けだった。検索語に数年前の都内中学校で起きた、 侵入者による20人の銃殺事件があった。同僚の大石と、作家の井坂好太郎とともに事件を 調べていくうちに、とんでもない展開が待っていた。

伊坂さんはすっかり長編作家になりきりましたね。細部へのこだわりも、ストーリー構成も うまいです。それでいてどこか飄々とした軽さを残しています。そこが後味の良さに繋がる のかも知れません。拷問場面もエグくならずに書ける珍しい作家です。このまま守備範囲を 広げていったら、どんなことでも題材にできるすごいことになりそうです。次の作が楽しみな 作家の一人です。

ミーガン・アボット

「暗黒街の女」

ハヤカワ・ミステリ

2009.2.11

怪しげなバーの経理の仕事をしていたわたしの前に、グロリアという女性が 現れた。エレガントな服を着た優雅な身のこなしのグロリアは、暗黒街の ギャングの幹部だった。気に入られたわたしは、賭博、運び屋の仕事をこなして グロリアの信頼を得る。だが負け続きのギャンブラーに惹かれたわたしは、 彼のために行動を起こすのだが。

グロリアの存在感と、その姿を見つめて後を追う「わたし」の頭脳と野望が とてもリアルです。ノワールの世界を、じつにうまく描き出しています。 グロリアと「わたし」の短い言葉の応酬の緊迫感に、つい引き込まれて読んで しまいました。

道尾秀介

「背の眼」

幻冬舎

2009.2.10

作家の道尾は静かな東北の白峠村を訪れた。民宿温泉・あきよし荘の主人・歌川は気さくで 食事もおいしかった。数年間に子どもの誘拐事件が多発していると言う。子どもの頭部が 見つかったという滝の河原を歩くと、亡くなった子どもの祖父・糠沢と出会う。妻も亡く していて二人暮らしだったと歌川が教えてくれた。そして幻聴に恐怖を感じ、帰京した。 心霊現象探求所の同窓生の真備(まさび)に相談すると、助手の北見と共に白峠村に再び 行くことになる。そして事件の真相が次第に見えてくる。

道尾さんのデビュー作です。ホラーのジャンルになっていますが、ミステリで括られる作品 だと思います。張り巡らせた伏線や細部の描写や、人物を深く描き出し、ラストまで引っ張る 筆致は見事です。ラストがどうしても説明になったのはやむを得ないところでしょう。村の 天狗伝説や狐憑き、東海道五十三次の絵、殺人事件との絡みもうまいです。2作目からの 絞ったストーリーの原点として、おもしろいです。

黒武洋

「メロス・レヴェル」

幻冬舎

2009.2.6

牧文典は妹と両親と暮らしている。その生活は国の法律にそって管理され、 家族と言っても所詮は他人だと思っていた。軽い気持ちで応募した「メロス・ステージ」 という絆と愛情と信頼を競う、政府主催の多額の賞金の一種のゲームに、文典と 父・文尚が出ることになった。国を挙げて盛り上げるステージはTV中継され、応援団も 加わり華々しく始まった。10組の出場者が、5段階のレヴェルで勝ち抜き優勝者が決まる。 「レヴェル l」は穴埋め問題だった。3組が振り落とされた。

静かに日々が過ぎていく近未来で、頭脳ゲームや体力ゲームを組み合わせた過酷なステージが、 家族の繋がりを見つめ直していきます。ひと言で言うとそうなるのですが、それぞれの登場 人物の心理描写やステージのそくそくとした怖さに、飲み込まれそうになります。伏線も ラストにうまく収斂していき、読後感も決して悪くはないのです。途中でちょっとステージの 展開が嘘っぽく感じられた部分があるのですが、おもしろいのに変わりはありません。 楽しめると思います。

道尾秀介

「ソロモンの犬」

文芸春秋

2009.2.4

雨に降られて、立ち寄った喫茶店に、偶然メンバーが揃った。その時、男子大学生の秋内は 自転車便のアルバイト中で目の前で、大学女性助教授の小学生の息子・陽介が散歩させていた 犬が、突然車道へと飛び出し大型トラックに轢かれてしまった。見ていたはずの京也の言葉に、 嘘があるのではないかと考えていく。おかしな動物生態学の助教授の助力も得て、次第に 事件の真相に迫っていく。

登場人物の一人一人の言動を突き詰めていくおもしろさに、引かれました。秋内の心の中や、 京也の思いがけない陰の部分、女友だちの思い。それらを受け入れようとする姿勢に、好感が 持てます。青春のほろ苦さがいいですね。

辻村深月

「太陽の坐る場所」

文芸春秋

2009.2.3

高校卒業して10年のクラス会に集まった皆の話題は、どこか屈折している。いままで参加して いない女優になった「キョウコ」を、次のクラス会へ呼び出そうとあれこれ方策を考える。 高校時代の思い出は、悪意や恨みや様々な感情が吹き出し、一人一人にとって必ずしも楽しいわけではない。 「キョウコ」にとっての障害を取り除くことで、果たして彼女は来てくれるのか。

大人になってしまったいまの自分と、高校生の頃の自分を、登場人物ひとりひとりの語りで 話が展開していきます。女優として成功した同級生への嫉妬や、屈折した恋心や、不完全燃焼な 自分への嫌悪、見えをはるためのうそ。特に女性の描き方にどうも共感できませんでした。 わたしが苦手とする「女性」特有の空気があります。裏を読むとか、駆け引きをするとかに、 関わりたくないのです。いままでの作品で途中で投げ出してしまいたくなった作でした。

マーク・アルパート

「アインシュタイン・セオリー」

ハヤカワ文庫

2009.1.30

理論物理学者・クラインマンが拷問を受けて死亡した。愛弟子だった科学史学者・デイヴィッドに 謎の数字を残した。それはアインシュタインが封印した、究極の真理「統一場理論」への鍵だった。 理論が悪の手に渡れば世界の破滅してしまう。FBIや正体不明の組織に狙われたデイヴィッドは、 女性物理学者モニークとロボット工学研究所長・グプタとその孫とともに、必死に逃げるが・・・。

数字や物理という設定と、アクション要素と、人間の心理を息つく間もなく読ませてしまいます。 物理をはじめて理解できたような気にさせてくれました。わかりやすくしかも次第にその恐ろしさが 伝わってきて、はらはらの連続です。意外な展開もあり、映画にしても面白いだろうと思います。 お勧めです。

道尾秀介

「片眼の猿」

新潮社

2009.1.27

盗聴を専門とする探偵・三梨は、メーカーの谷口楽器からライバル会社・黒井楽器が デザインの盗用をしているのではないかという調査を受けた。盗聴を続ける三梨は、サングラスの 女性と知り合い、同業者から引き抜きに成功する。二人は黒井楽器から書類を盗み出すが、 殺人事件に巻き込まれてしまう。

冒頭からキャラのイメージを、読者の思い込みをたくみにミスリードしていきます。トランプを 使った謎かけや、同じアパートの住人たちの怪しい雰囲気が、おもしろい雰囲気を出しています。 ミステリとしても捻りの捻り、という遊びもありゲーム感覚で楽しめます。

桜庭一樹

「ファミリーポートレイト」

講談社

2009.1.23

美しいママ・マコと娘の口の利けないコマコは、過去から逃げ続けていた。マコの 昔自慢と奔放な暮らしを見続けてきたコマコも、いつか背が高くなりマコを超えても 娘であることを望んだ。だがふいにマコは湖に身を投げ、姿を消した。19歳のコマコは バーのカウンターで酔客相手に、空想の物語を語り始める。

母娘の濃厚な結びつきがこんなにも強いものかと、強烈に印象づけられます。母の 愛憎を一身に受けた娘が、一人で生きることを覚えるまでの壮大な物語です。全体が モノトーンの映像で、所々に真っ赤な色が妖しく美しいです。作家になり、物書きの 業を表現している辺りを含め、全体が「物語」なのだと強調するのは、桜庭さんの 決して自分を見せないポーズでしょうか。それでも読者は母と娘に感情移入して、 同調してしまうのです。もしかしたら現実と、想像の産物の物語とのあわいを、まんまと 振り回され漂わせられ、深く心に残してしまいます。うまい作家だと思います。

福田和代

「TOKYO BLACKOUT」

東京創元社

2009.1.20

周防刑事は、娘が妻の運転する車で轢かれたと聞かされ病院に急ぐ。その頃、東都電力は 一部の鉄塔の倒壊により、関東で大規模な停電が発生していた。テロの可能性も含め、警察は 非常事態に対処していく。殺人事件、強盗事件。あらゆるものが、一人の男をあぶり出していく。

全体の構成が竜頭蛇尾という印象です。パニック物にするには筆が足りないし、テロリストに 迫るには底が浅く、家族の再構築にもならず、星空が見たいというロマンは陳腐に終わって しまいます。最後まで読ませる力はあるのですが残念ながら、この作家の資質には合わない テーマかも知れませんね。

道尾秀介

「向日葵の咲かない夏」

新潮社

2009.1.16

小学4年の1学期最後の日、休んだS君の家にプリントを届けにいったミチオは、 S君の首つり死体を見つけてしまう。ところが学校に知らせに行き、岩村先生や 警察が行くと形跡は残したまま死体が消えていた。ミチオは母親から嘘つきと 責められるが、蜘蛛の姿をしたS君が現れ自分の死体を探してほしいと言うのだった。

いままでの作品とはひと味違う、ホラーっぽさを持っています。動物の惨殺死体が そう感じさせるのかも知れません。蜘蛛のS君や妹のミカの存在で現実との境界を 曖昧にしながら、百葉箱の検針のアルバイトをしている泰造老人の視点と交差させる 手法が、いくつもある想像・仮定の選択を広げるのに効果的だと思います。 ちょっとダークですが、おもしろさを増したこの作家の方向を見ていきたいと思います。

麻見和史

「ヴェリサリウスの柩」

東京創元社

2009.1.14

大学医学部の解剖実習で、遺体の体内からチューブ状の異物が見つかった。 手術の際の置き忘れ事故だろうか。助手の千紗都は、チューブの中からメモを 発見する。それは園部教授への警告状だった。次にはネズミの集団にその 遺体が食い荒らされ、更に下半身を切断されているという、事件が発生した。 だが警察には届けず千紗都は気になり、調べることにした。だがついに殺人 事件が発生してしまう。

献体の裏側や医学部への下調べはしっかりしてあるのだが、教授の人間像に 奥行きがなさ過ぎます。もっとも広げると医学部そのものへの膨大な切り込みが 必要になってしまうのでしょう。警告のメモを布石に、戦前の地下研究室まで、 なかなかうまく処理をしていると思います。類型的な人間像や、作品の浅さが 加わり、現実感のないストーリーになってしまい残念です。

久坂部羊

「破裂」

幻冬舍

2009.1.13

裁判に持ち込んでもなかなか勝訴できない医療ミスを暴こうと、ノンフィク ション作家・松野は、大学病院の医師・江浮ゥら情報を得ようとしていた。 未熟な医師が、手術の経験を積んで一人前になる過程の「痛恨のミス」を 追ううち、心臓手術で縫合針が体内に残ったために死亡した患者の家族が 浮かび上がってきた。江浮フ室内が荒らされ、松野は暴漢に襲われる。 教授選挙を目前にした時期に、その患者から訴訟を起こされた香村医師は 絶対にミスを認めるわけにいかない。医師・麻酔医・看護士などの組織 ぐるみの隠蔽を暴けるのか。

視点が次々に変わり、都合の良すぎる人物設定と展開に加え、冗長な文章が、 構成的にも致命的だなと思いながら、それでも最後まで読ませます。しっかりと した細部の描写がおもしろいからでしょう。医療の内部への興味は満たしてくれます。

トム・ロブ・スミス

「チャイルド44」

新潮文庫

2009.1.9

国家保安省の敏腕捜査官・レオは、国家のためにならない人物を迷うことなく探し出し、 告訴していた。今回逮捕したのは獣医のアナトリーだった。スパイ容疑だがどこか間違い ではないかと感じさせた。だが狡猾な部下の策略にはまり、罪を否定できなくなってしまう。 さらに妻・ライーサへの容疑を自ら告発する立場に追い込まれる。ライーサは無実だと 断定したことにより、共に片田舎の民警に追放される。そこでは少年少女が際限なく惨殺 されていた。遺体の刻印が、レオに何かを告げていた。

スターリン独裁国家の下での、思考・言論の統制がそくそくと背筋を寒くさせます。その中で 夫婦の絆を再確認し、犯罪を暴いていくレオの姿勢が決してヒーローではなく、弱さを抱えた 人間として描かれます。それでもなお犯人を追いつめていき、ラストの重さ深さが胸に 突き刺さります。連続殺人だけではない、壮大なストーリーになっています。すごい作家が 現れた感じです。

恒川光太郎

「草祭」

新潮社

2009.1.6

雄也は小学生のとき、春と一緒に不思議な野原に行ったことがある。悪ガキたちから 逃れようと、水路伝いに階段を上ると、そこはあった。何かしら怖い空気があり、 黒くぼやけた霧のようなもの(のらぬら)に追いかけられた。中学3年の初夏、春の 父親から、春が行方不明になったと連絡を受けた時、その野原を思い出した。やはり そこにいた。だが、二人で見たのは雄也の母の死体だった。・・・「けものはら」

5編の短編集です。いままでの作品から一歩、怪しの世界に踏み出した印象です。 恒川さんは真面目な性格なのではないでしょうか。しっかり描こうとするあまり、 かえっておもしろさから遠ざかった気がします。現実と怪しの世界を楽しみたいと、 わたしは思っていたのです。どこを目指すのか、ちょっと読みたい方向と違っていくかも 知れませんね。


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