読書日記

ジェイ・アッシャー

「13の理由」

講談社

2010.9.3

少年クレイの元へカセットテープ7本が送られてきた。録音されていたのは、2週間前に自殺した同級生ハンナの 声だった。自ら死を選んだ13の理由を七本のテープのAB面に生前録音して用意し、自分の死後に 原因を作った関係者達に聴かせようと計画したものだった。噂が容易に多くの人を誤った印象に導くことと、 チャンスはあったのに他人が悪を為すのを止められず被害者を救えなかった傍観者だったことの罪を主張した。 自分が死ぬサインを出したのに、積極的に止めようとしてくれなかった人々への思いと感情に、クレイは叫び出し そうになった。

自殺への過程が斬新な手法で描かれた作品は、暗くならず次第に深いところに突き刺さっていきます。クレイの 一人称の文字と、ハンナの声の文字が文字サイズを変えて交互に描く斬新な方法は、同時進行のふたつの物語が 浮き沈みをしているようです。聞いている者とハンナの心が、糸を縒り合わせていくのです。死んだ者と生きて いる者が、会話以上に心を重ねていく効果がありました。2作目を読みたい作家です。

藤村いずみ

「闇に抱かれて眠りたい」

マガジンハウス

2010.9.1

敏腕弁護士・畿内の事務所に「殺してやりたい」と願うと、殺人事件が起きると駆け込んできたのは テレビ局のワイドショーの人気司会者・村崎美津子だった。秩父、多摩川、新宿で起こったピストルに よる三件の猟奇的な連続殺人事件がそうだと言う。しかも美都子には、アリバイがないのだった。まもなく 美津子が勾留され、畿内は調査していくうちに、意外な犯人像と犯行動機を目にすることになる。

苦手なタイプのキャラの美津子が、抱えている内面と、犯人の実像の描き方が濃厚でした。弁護士は 突っ込みを入れたくなる甘さでしたが、読ませる力がありますね。おもしろかったです。

石持浅海

「Rのつく月には気をつけよう」

祥伝社

2010.8.31

湯浅夏美と長江高明、熊井渚の三人は、大学時代からの飲み仲間で、毎回うまい酒においしい肴と、そこに誰かが 連れてくるゲストは、定番の飲み会にアクセントをつける格好のネタ元だ。気持ちよく酔いもまわり口が軽く なった頃、盛り上がるのはなんといっても恋愛話だ。

7編の短編集です。ゲストとの会話から、明晰な頭脳をもつ長江が隠れた真実を解き明かしていきます。 ゲストたちの恋愛話にまつわるちょっとした謎解きと、美味しそうなお酒と肴を一緒に味わえます。 暑い夏を、ちょっと涼しくしてくれると思います。

乾くるみ

「イニシエーション・ラブ」

原書房

2010.8.30

大学四年の「たっくん」は、代打出場の合コンで惹かれて出会った「マユ」とつき合うようになり、夏休み、 クリスマス、学生時代最後の年をともに過ごした。「たっくん」は地元静岡の会社に就職したが、急に 東京勤務を命じられた。週末だけの長距離恋愛になってしまい、いつしかふたりに隙間が生じていく。

作者はいつの時代を設定したのか、という疑問から始まりました。電話への奇妙な怖じ気や、見え見えの N局のアナウンサー的な青年と、少女趣味的なキャラとの出会いも、どんな意味があるのかと思うほど 作り物めいた雰囲気です。それらがブレてくるのも気持ちが悪く、投げ出してしまおうかとも思いました。 東京での仕事が絡んでようやく空気が変わったという時点での、キャラの崩壊かという変貌に、何か仕掛けが ありそうと気付きました。うまく頭の中で時系列の整理ができなかったまま、ラスト・シーンでやっぱりと いう終わり方でした。各章のタイトルの曲名やドラマの時系列もわからないままでしたが、その時代を 感じ取れない読者はおいてけぼりの印象です。他の作品を読んでみようと思います。

乾くるみ

「スリープ」

角川春樹事務所

2010.8.27

TV番組の中学生レポーターとして活躍中の羽鳥亜里沙(アリサ)が、カメラマンたちと一緒に、筑波の 「未来科学研究所」を訪問した。所長の誘導で高解像度スキャナーに入ると、視界が真っ白になった。 目覚めたアリサが見たのは、30年後の世界だった。当時同級生だった戸松所長の説明で、凍眠状態に されていたことを知る。蘇生も凍眠も極秘事項だったため、二人は研究所から逃走し静かな暮らしを 始める。アリサが知った30年後の日本は、道州制を導入していたり、大きな地震が起こったりしていた。 「もしあのときスキャナーに入らなかったら」、どんな30年を過ごしていたのかと悲嘆に暮れる。

凍眠技術は進歩しているとはいいながら、細胞・分子レベルでの再生は難しいのでしょうね。アリサの 見る30年後の日本は、想像しうる近未来の雰囲気です。ディテールが大変面白いです。いくつもの複雑な 謎が、一瞬で交差し解明される驚きは心地がいいです。最後の最後が悲哀に満ちたシーンが印象的です。 この作家も男性と聞いて納得です。

石持浅海

「君がいなくても平気」

カッパノベルス

2010.8.25

携帯関連会社ディーウィとベビー用品メーカー・ベイビーハンドの、業務提携によって結成された共同開発 チームは、着ロボのヒット商品を生み出した。祝勝会の翌日、二日酔いでゆるやかに仕事をしていたときに、 チームリーダー・粕谷が突然倒れて死んでしまう。死因はニコチン中毒。殺人か、事故死か。疑心暗鬼のなか、 共同開発チームに所属する水野は、同僚で恋人でもある北見早智恵が犯人である決定的証拠を掴んでしまう。 悩みながら粕谷の葬儀に参加し、戻りの新幹線車内でまた一人が倒れた。

チームと社内の複雑な思惑が交差する中、一人一人のプライベートを知る機会はほとんどありません。 付き合っている恋人のことでさえ、見えてはいないかも知れません。恋人の殺人を確信しながら証拠がなく、 そのまま仲のよさを周囲に見せている水野の、心理が大変おもしろです。追い詰められていく展開と、 次のターゲットは誰かを考えていくスリリングさがいいですね。ラストもありがちでいながら、ひと工夫が あって好感度が高かったです。

藤村いずみ

「ルート246 華麗なる詐欺師・倉田梨り子2」

角川文庫

2010.8.24

梨り子が「仕返し代行ビジネス」を始めて約1年が過ぎた。伝説の天才詐欺師だった父・寛治の 知り合いと称するおばちゃまや研介に支えられて、ビジネスは順調。振り込め詐欺に泣く女性の 風変わりな願いを叶えたり、孤独に付け込まれた老人のために奮闘する。しかし、行方不明の 父にはいまだ会えない。そんなとき、梨り子はおばちゃまの「秘密」を目撃してしまう。

相談を受けた梨り子が「おばちゃま」と峯田研介と策を練り、見事に仕返しをするのは痛快ですね。 わたしだったら、誰をターゲットにするだろうと考えてにやりとしてしまいました。それと絡ませて、 人情味のあるキャラとの距離感もいいです。

藤村いずみ

「ルート246 華麗なる詐欺師・倉田梨り子1」

新風舎

2010.8.23

親友、恋人、会社の上司に裏切られた失意の倉田梨り子は、ホームレスの善さんや「おばちゃま」と 知り合い、失踪した伝説の詐欺師の父から受け継いだ才能に目覚める。「憂さ晴らし、承ります」 他人の復讐に手を貸す「仕返しビジネス」を生業とするマダム・リリーは今日も国道246号沿いの 事務所で依頼人を待つ。

詐欺だとわかっていても深みにはまっていく、弱い人間への視線が意外と暖かいです。単なる 詐欺師でもなく、人情話に終わらないおもしろさです。人物のそれぞれのキャラも、いい味を出して います。失踪した父への、思いがけない痛烈な感情に気付かさせられる梨り子が、抜群の作戦と 行動力で、裏のまた裏をかく展開が楽しめます。

平山瑞穂

「プロトコル」

実業之日本社

2010.8.20

縁遠い大手ネット通販会社の有村ちさとは、「膨大な文字列をひとめで記憶できる」という類い稀な能力を 持つ反面、人並みの恋愛にはうとかった。父から習った「英語の綴りをどう読むか」に強いこだわりを持ち、 論理的な思考回路の持ち主だが、社内で妙な噂が広がり、恐れられていることにショックを受ける。情報 システム管理部の花守部長の指示で、一人のネットアクセスログを調べ、アダルトサイトに4時間もひたって いる報告をした。それが社内の派閥争いに利用されてしまった。さらに個人情報漏洩事件が起き、ちさとが 上司の許可を得てサンプリングデータを業者に渡したものだと思われた。会社はすばやく記者会見で謝罪をし、 人事異動を行った。

不器用でまじめな主人公ちさとの設定が、おもしろいです。家族を置いてブラントン将軍と一緒に海外を 放浪してる父親と、ずっと待つ母と遊び人の妹・ももかのキャラも、複雑に物語を進めていく展開です。 仕事という縦糸と、家族や会社の人間が横糸に織り込まれ、人の心に深く潜むモチベーションを見つめていきます。 システム管理や、顧客情報流失などの事件の後処理に、にやりとさせられます。「寝た子を起こすな」。 父親の像も、たぶんそうかなと考えた設定ですが、見せ方がうまいです。

石持浅海

「ガーディアン」

2010.8.18

社内のプロジェクト・チーム6人は、プレゼンテーションの準備に余念がなかった。幼時に父を亡くした 勅使河原冴はデザインの担当だった。飲み会で冴が「ガーディアン」と呼ぶ危険からバリアする力を、 同僚に暴露されてしまう。「ガーディアン」は、冴の危険を回避するためだけに発動する。悪意を持った 攻撃はより激しく無能化する。不可思議な力を目前で見てしまった同僚たちと帰る途中の階段で、一人が 真っ逆さまに転落して死亡した。警察は自殺として扱かったが、冴は落ち込んだ。

1章2章は冴のストーリーで、3章は娘の円に引き継がれた力が起こす事件を描いています。バリアする力が 事件を引き起こしているのではないかと悩む姿に、共感します。ちょっぴりわたしにもその力があったらと、 空想してしまいます。おもしろい人生になりそうな気がします。娘の円がその力を利用したラストは、ここまで やるかと潔さを感じさせますが、後味が微妙でした。完全にリアル世界と切り離せたら、問題はないのですが。

打海文三

「ピリオド」

幻冬舎

2010.8.17

人里はなれた山村で、年老いた父親の看病をしながら暮らすを、探偵をしていた頃の同僚・万里子が 訪れて自分の叔父が殺されたことを告げる。数日後、真船は山を降り東京へ向かう。京浜工業地帯の 町工場と歓楽街が近接する街で、真船は友が残した痕跡を必死に追った。浮かび上がる不可解な事実とは、 倒産直前の印刷会社の乗っ取りと、忽然と消えた9億円の土地証書の行方だった。

考えられた設定でザクザクと早い展開は嫌いではありません。ただ、この作品は真船の人物造形が くっきりせず、万里子を始め周囲の人間との繋がりの根底にある感情が伝わってきません。残念です。

万城目学

「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」

ちくまプリマー新書

2010.8.16

かのこちゃんは小学一年生の元気な女の子だ。マドレーヌ夫人は犬の夫の外国語を話す優雅な猫で、 周辺の猫仲間の間でも特別な存在だった。かのこちゃんとすずちゃんは「ふんけーの友」だったが、 すずちゃんが転校するという。

猫本はたくさん読んでいて好きです。ただ、この作品はあまりぴんと来ませんでした。素直に読める 文章ですが、あまりにも狭すぎる日常で物足りなさが残ります。

キャサリン・マーシュ

「ぼくは夜に旅をする」

早川書房

2010.8.12

内気な14歳のジャックは交通事故に遭ってから、不思議な体験をするようになった。人が消えるのを見たり、 奇妙な会話を聞いたりするようになったのだ。考古学教授の父に診察を勧められ、ニューヨークを訪れた ジャックは、グランドセントラル駅で謎の少女ユーリに出会う。ユーリといっしょに向かった駅の地下9階は、 死者の世界への入り口だった。8年前に謎の死をとげたジャックの母を探そうと、二人は地下の住人に話を きいていく。だが、汚職刑事クラバーと地獄の番犬で頭が3つあるケルベロスが二人を追いはじめた。

不思議な関わりを持ったユーリの複雑な女の子の心理を知ることで、少しづつ亡くなった母と父の心を理解 しようとするジャックの成長物語です。普段は内気なジャックが、行動的になってのびのびと死者の国を 探索していく描写が、夢のように美しく感じられます。死者の国で暮らすゴーストたちが、陽気で明るい 雰囲気を持っているのも、冒険を楽しめる背景でしょう。元の世界に戻ろうと必死になる姿が、いいですね。

藤崎慎吾

「祈望」

講談社

2010.8.11

母と姉が白昼、惨殺された。逃げるのが面倒だからと逮捕された犯人は、まだ少年だった。少年法に 守られた犯人と、センセーショナルな事件で社会の好奇の目に晒され、二重に苦しむこととなった 遺族の私と父、弟の生活は一変した。逃げるように暮らした。20年後、認知症で入院した父が記した 3冊のノートを見つける。それは、父が事件を自分なりに調べ、医療少年院に送られた少年に迫ろうと した軌跡だった。父は殺人犯に接触していたのか。そして私には殺人衝動が生まれてた。殺人衝動と いう負の連鎖は繰り返されるのか。

何故、人を殺すという一歩を踏み出してしまったのか。その原因は、本人のせいなのか、脳の個人差に よるものなのか、それとも外因によるものなのか。犯罪を犯す人間と、犯さない人間との間に一体何が あるのか。言い尽くされたテーマではあるけれど、現代的なアプローチをしている真摯な姿勢の作品を、 久々に見たような気がします。他の作品も読んで見たいです。

辻村深月

「光待つ場所へ」

講談社

2010.8.9

文学部二年生・清水あやめは、「感性」を武器に絵を描いてきたという自負がある。だが授業で男子学生・ 田辺が作った美しい映像作品を見て、生まれて初めて圧倒的な敗北感を味わった。・・「しあわせのこみち」
美人でスタイル抜群で博識でオタクなチハラトーコは、言葉に嘘を交ぜて自らを飾る「嘘のプロ」だ。 恩師、モデル仲間、強気な脚本家との出会い・・「チハラトーコの物語」
中学校最後の合唱コンクールで指揮を振る天木だが、本番一ヶ月前になっても伴奏のピアノは途中で止まり、 歌声もバラバラ。同級生の松永郁也が天才的なピアノの腕を持つことを知った彼は、松永に伴奏を依頼する ・・「樹氷の街」

論理的に胸の中をそこまで分析し、えぐらなくてもいいのにと、思うのはわたしだけでしょうか。題材的には ラノベで読めると思うし、無理に『文学』的にしてしまったのは、賞を意識する立場になったせいかも知れません。 別な方向性を見つけてほしいと思います。次作はもう読まないかも知れない、残念な作家です。

石持浅海

「八月の魔法使い」

光文社

2010.8.6

入社7年目の総務部主任・小林拓真は、お盆期間ののんびりとした空気の中で仕事をしていた。簡単な書類に 社判をもらうだけのはずだったが、係長が提示して部長席にちらりと見えたのは、とんでもない書類だった。 その頃、社長以下役員勢揃いの会議室で企画部長が、ゆるい企画のプレゼン中だった。拓真の恋人の金井深雪は 指示通りにオペーレーターとしてプロジェクタを操作していた。だが、資料に紛れ込んで映し出されたのは、 存在してはならない「工場事故報告書」だった。急に物々しい雰囲気になり、深雪は拓真にSOSを送る。 役員会議室と総務部で、同時に混乱が起きた。

総務部が現場から離れたところで、さまざまな推理を繰り広げる展開と、雲の上の役員室を微妙にシンクロさせ ながら話が進むのが、いままでにないおもしろさです。社長が見いだそうとしていたものとはなにか。拓真が、 実は切れ者の係長との対決に足を踏み入れてしまうのはなぜか。組織の絡みが克明に描かれながら、リアリティを 突き抜けたところで構築された推理劇です。かつていかに人を動かすかを考えながら仕事をしていて、会社の 「見えない黒幕」と言われたわたし自身を見るようでした。決して華々しくはない、企業内部の駆け引きに興味を お持ちの方にお勧めです。

藤村いずみ

「あまんじゃく」

早川書房

2010.8.4

折壁嵩男は有名大学病院の外科医だったが、同僚の不可解な死に関わり弁護士の横倉に出会い スカウトされる。横倉の仲介で医療ミスや金のことしか考えない医者に「殺された」家族から 金を貰い、被害者が苦しめられた方法で復讐を請け負うことになる。「半殺しにして」と突然 切り出すお下げ髪の女子中学生。妹が受けたのと同じ苦しみを味わわせてくれ、と乳ガン専門医の 殺害を依頼する男。元外科医の殺し屋はクライアントの希望に添った驚愕の方法で依頼を遂行して いく。しかしかつての恋人・梶睦子との再会から嵩男の足元は揺らぎ始める。

短編10編の構成で次第に嵩男とそこに繋がる裏の顔を、浮き上がらせていきます。殺しの顔と 裏腹の、亡くなった祖母から教わった雨の描写が、叙情的で美しいです。乾き切ったキャラに したくなかったのでしょうか。「必殺仕掛人」的な部分は、ある意味で溜飲が下がるところも あり、おもしろく読ませます。ただ、ラストの組織の話はリアリティなさ過ぎで、陳腐でしょう。 匂わせておいて、シリーズものにした方がよかったのではと思いました。

中野順一

「想い火」

徳間書店

2010.8.2

高校時代に巻き込まれた放火事件で崩壊した家族だった。火災原因調査員となった茜は、心から尊敬できる 上司・刀根の下で働ける幸せを感じる日々も束の間、たったひとつの小さな炎が、平和な職場を一変させて しまう。自分の手で放火犯を捕まえたいものの、職業上、火災現場以外での活動は許されない。しかし、 なりふり構わぬ茜は、捜査権を武器に嫌がらせをする警察とぶつかりながら、ついに「弔い」の調査をはじめる。

火災原因調査員という仕事の、おもしろさがあるのですが、ミステリとしては安易です。登場人物やタイトルから 犯人がわかってしまいます。捻りもなく、淡々と読めます。もう少し考えた方がいいかも知れません。

ドン・ウィンズロウ

「犬の力 上・下」

角川文庫

2010.7.30

メキシコの麻薬撲滅に取り憑かれたアメリカ麻薬取締局(DEA)の捜査官アート・ケラー。 叔父が築くラテンアメリカの麻薬カルテルの後継バレーラ兄弟。白の館の高級娼婦ノーラ。 ヘルズ・キッチンから殺し屋へと育っていく若者カラン。彼らと不思議なつながりを持つ 司祭パラーダ。彼らが好むと好まざるとにかかわらず放り込まれるのは、30年に及ぶ壮絶な 麻薬戦争。米国政府、麻薬カルテル、マフィアら様々な組織の思惑が交錯し、物語は疾走する。 麻薬カルテルの密輸の実態、組織化、陰謀、暴力抗争、政治的暗躍と権力との癒着、それに ともなう政治・官憲の腐敗と、復讐、暗殺、そしてそれらに立ち向かう正義、人々の愛憎。 裏切りに継ぐ裏切りが繰り返され、味方は実は偽りの味方だった。もはや正義は存在せず、 怨念と年月だけが積み重なる。叔父の権力が弱まる中でバレーラ兄弟は麻薬カルテルの頂点へと 危険な階段を上がり、カランもその一役を担う。アートはアダン・バレーラの愛人となった ノーラと接触。バレーラ兄弟との因縁に終止符を打つチャンスをうかがう。

すさまじいまでのリアルな戦闘、処刑、殺しの描写に、ぐいぐいと引き込まれてしまいます。 絶対的な正義も存在できず、アートも清濁飲み込む男に描かれています。アダンも、難病の娘を 抱える父、妻を愛する夫で、ノーラ対し熱い思いを持つ情夫である反面、組織の要として対立 勢力との激しい抗争にあけくれる顔を持っています。民衆救済を実践する司教フアンも、ノーラと 特異な友愛関係を結んでいき、アートも心からノーラへの愛情を感じているなど、自分の属する 位置を変えながら銃を片手に疾走し続けるのです。 最後まで地獄絵図が繰り広げられる場を生き延びる のは、人間の心奥深くにある狂気「犬の力」なのでしょうか。無駄や曖昧な感情を削り落としたハードな 文章が印象的です。それにしてもすごい作家ですね。軽快な探偵ニールシリーズとは全く別な 顔を見ました。

藤ダリオ

「出口なし」

角川書店

2010.7.26

命がけのゲームのために監禁された男女5人が5組。「あなたたちが無事にお家に帰るには、クイズの 答えを探して、ゲームに勝つしかありません」というメールが、置かれていたパソコンに届く。完全な 密室で、そして残された酸素は12時間だった。クイズに不正解の場合は、命が危うい恐ろしいお仕置きが 待っていた。

映画やゲーム好きな感覚で、描いています。小道具の使い方も、うまいなと思わせますが 、収斂しない まま放置されたり、結末も途中で予測ができてしまいます。確かに出口のないゲームですね。

小路 幸也

「僕は長い昼と長い夜を過ごす」

早川書房

2010.7.23

ゲームプランナーのメイジの睡眠サイクルは、五十時間起きて二十時間眠る。気楽な素人監視のアルバイトで、 対象者のアクシデントから二億円を手にしてしまう。決して表に出ない金を狙い、奪還屋、強奪屋に誘拐 されそうになったが、サポートをすると名乗り出た謎のナタネさんや、ネットで知り合ったハッカーの リローたちに救われる。そんなとき札幌の兄から15年前、強盗に殺された父親の件で相談の電話が入る。

会社内で気のいい人たちに囲まれて、うまくやっていたはずの人生が、突然巻き込まれた大事件と 家族の過去に対面することになってしまいます。ゲームプランナーのメイジらしく、さまざまなストーリー 展開を想定し分析し対応するという設定が、無理なくソフトな雰囲気のままおもしろく展開していきます。 裏の世界との駆け引き材料もうまいし、真相が明らかになっても誰一人救われない、知らないままの方が 丸く収まることもある過去の収斂の仕方も、小路さんらしいです。ラストの逸話は、そうくるか、と唸ら せます。睡眠サイクルが単にメイジの素質のひとつに過ぎなかったのが、もったいない感じです。これだけでも 膨らませても、おもしろい物語ができそうです。

石持浅海

「この国。」

原書房

2010.7.21

一党独裁の管理国家であるこの国では、国家に対する反逆はもっとも罪が重く、人材育成をなにより重要視 する。小学校卒業時に将来の職業階層が決められ、非戦平和を掲げる士官学校は公務員養成所となっていた。 国家反逆罪の主犯が公開処刑を行われる場所で、治安警察の番匠少佐はテロリストとの裏の裏を読み合う攻防を 繰り広げる・・「ハンギング・ゲーム」
経済は豊かで、多くの女性が売春婦として限定期間の仕事をしている。そこでサタの客ばかり連続して殺された。 事件の真の犯人は誰か。番匠少佐は解決に乗り出す・・「エミグレイティング・ゲーム」

5編の連作です。歪んだ世界を物語の舞台にしてしまった、石持さんの感覚はすごいです。死刑さえもひとつの 娯楽として受け入れてしまっている国民の姿や、警官とテロリストのどちらも「この国」のために行動を起こして いて、どちらもが独自の論理で動いています。ゲームと言ってしまえばそれまでですが、どこかの国への皮肉を 感じて、思わずにやりとしてしまいました。

サイモン・カーニック

「ノン・ストップ!」

文春文庫

2010.7.20

電話の向こうで親友が殺された。死に際にトム・メロンの住所を殺人者に告げて。その瞬間から 平凡なサラリーマンのトム・メロンは謎の集団に追われはじめた。子どもたちを義母に預けるが、 妻とは連絡が取れない。そして妻はオフィスに血痕を残して消え、トム・メロンは警察に殺人犯と して追われる。警察と暗殺者集団に追われる身となり、さらには幼い子供まで人質に取られる。

瞬時の判断力でかろうじて、難を逃れ、妻子を救おうと必死になるメロンと、妻を事故死で亡くした 過去を持つ刑事・ボルトの視点で描かれます。展開の早さが読者に疑問を持たせずに引っ張っていき、 捻りの部分で立ち止まらせ、更に謎を深めさせます。ラストも、次の事件があるぞと余韻を持たせて 終わります。うまいけれど、登場人物があまり好きになれないのも、珍しい作品です。実際の事件は そういうものかも知れませんが。

石持浅海

「扉は閉ざされたまま」

ノン・ノベル

2010.7.16

久しぶりに開かれる大学の同窓会。成城の高級ペンションに七人の旧友が集まった。完璧な密室を つくることができると、伏見は客室で事故を装って後輩の新山を殺害、外部からは入室できないよう 現場を閉ざした。眠っただけなのか、事故か、自殺か。友人たちは部屋の外で安否を気遣う。犯行は 計画通り成功したかにみえた。ただひとり優佳だけは疑問を抱き、伏見に接触してくる。緻密な偽装 工作の齟齬をひとつひとつ解いていく優佳と伏見の、開かない扉を前にした息詰まる頭脳戦が始まった。

おもしろい展開でした。閉ざされた扉を前にして繰り広げられる、心理、論理がなかなかスリリング です。犯行シーンから始まり、扉をたたき壊すのも、警察に通報するのも、セキュリティ会社に連絡 するのも躊躇わせる理由があり、それが引きつけて読ませます。なぜ伏見は殺害から発見までの時間 かせぎをしたのか、そして動機がいまいち希薄のが、惜しいです。

松久淳

「どうでもいい歌」

小学館

2010.7.14

ヒットチャート50位あたりを推移する「どうでもいい」青春賛歌ソング専門の作詞家・浅田。ゴースト 本の執筆が多いライター・稲垣。とうに全盛期を過ぎたイラストレーター・美野島。再現ドラマ専門の 役者・橋口。テレビ局のスチールカメラマン・金森。決して大ブレイクするわけでもないけど、まあまあ 「食えている」どこか中途半端な仕事のレベルにいる五人の男たちの人生が 交差した時、ある小さな 奇跡が起きる。

なぜこの本を手に取ったのか、選択した時期の自分はどんな心の状態だったのでしょうか。格別な仕事 でもなく、ごく普通の会社員として迷いの中にいます。フリーターの成れの果てという姿で、ただ目に 宿る強い光を持つ男性の写真に引かれて手に取りました。世の中に星の数だけ存在している歌の中に、 ありきたりな言葉を繋ぎ合せたようなどうでもいい歌があるように、人生の中で何か大きなことを成し 遂げたわけではない人々がたくさんいます。少しうらぶれた男たちの心のありように、途中で放り出させ ない何かがありました。わずか190ページの5つのストーリーが、心に残ります。

橋本紡

「半分の月がのぼる 上」

アスキー・メディアワークス

2010.7.12

いつ死ぬか分からない意地っ張りのヒロイン・里香と、バカだけど里香のために必死になる主人公・裕一。 そこには奇跡はなく、あるのは現実ばかりで、やがて2人の幸せが終わる時が迫っている。

原作ラノベの1巻から3巻を改稿した486ページは、持ち歩いて読むにはつらいので、休日一気読みに しました。ありふれた物語で悲しい過去を持つ医師・夏目や、元ヤンキーの看護婦の亜希子さん、裕一の 親友・司といった脇役も限界があります。読んでいてイライラしてしまいました。下巻はスルーしようと 思います。

石持浅海

「温かな手」

東京創元社

2010.7.9

大学の研究室で仕事をしている畑寛子は、休日なのに出勤した研究室で、院生の死体を見つけてしまう。警察の捜査が 始まり、同居しているギンちゃんが駆けつけてくる。話を聞いたギンちゃんはたちまち、事件の真相を見抜いてしまった。 ギンちゃんは人間の生命エネルギーを糧にする謎の生命体であり、宿主であるパートナーの「おいしい」清らかな生命 エネルギーが濁らないようにしてくれる。寛子がストレス食いをしても余分なエネルギーを吸われるので、スリムな体を維持できる。 偶然遭遇した殺人事件や騒動にも、鋭い観察をもとに鮮やかに解き明かし、気持ちを清浄化してくれるのだ。北西匠は ギンちゃんの妹・ムーちゃんと同居している。北西はムーちゃんが絡まれた電車の痴漢犯人が、ナイフを刺される現場に 出くわしてしまう。

謎の生命体の存在感が、微妙にそそられます。こういう人(生命体)と、暮らしてみたいなどと思ってしまいました。 同居人が7つの事件に巻き込まれ、兄妹の生命体が解明していきます。人間の心の歪みを描きながら、信じられる人間も いることを強く感じさせてくれます。ラストで描く、老人ホームの入居者の女性の姿は切ないですね。人間とそうではない 生命体との哀しみが伝わってきます。違いをぶつけるのではなく、違いを認め合い受け止め共存することで、もしかしたら 世界は成り立っているのかも知れません。

打海文三

「愛と悔恨のカーニバル」

徳間書店

2010.7.8

19歳の姫子は、町の中で小学校時代の友人の翼と出会った。ある日翼が姿を消してしまう。姫子を訪れたアーバン・ リサーチの探偵・佐竹が、翼を追う。そして連続猟奇殺人事件が起こる。耳が削がれ、腹を喰いちぎられたた死体は ほんとうに翼が犯人なのか。守ろうとするアーバン・リサーチの手からすり抜け、姫子は翼の心の闇に踏み込む。

翼と彼の姉・むぎぶえとの隠された関係や、翼を逆恨みした少年たちの狂気、その掴もうとしても掴めない人と人の 繋がりをたぐり寄せようとしているようです。簡潔な文章、会話は性別を押し殺し、描かれる狂気の世界を現実感の ないものにしています。翼の心を知りたいと、わたしも思ってしまいました。凄惨な殺人者の心の直中を覗いた気分 です。古典的なトリッキーな女性の造形が少し残念です。現実にはありそうもないですが、わたしはこの作品のような 心理もアリです。

アラン・ブラッドリー

「パイは小さな秘密を運ぶ」

創元推理文庫

2010.7.6

11歳の少女フレーヴィアは、イギリスの片田舎で、化学実験に熱中する日々をすごしてる。ある日、何者かが コシギの死体をキッチンの戸口に置いていき、父が尋常ではない恐れを見せた。そして翌日の早朝フレーヴィアは 畑で赤毛の男の死に立ち会ってしまう。男は前日の晩に、父と書斎で口論していた相手だった。

目を輝かせて物事を見るフレーヴィアを、一癖も二癖もある他の登場人物が独特の空気感をもたらします。 テンポもよく、細かなシーンの謎をしっかりと考えていく過程も楽しめます。もう少し、現代寄りの作品を 読んでみたい作家です。

伊藤計劃

「メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット」

角川文庫

2010.7.2

暗号名ソリッド・スネークは、悪魔の核兵器「メタルギア」を幾度となく破壊し、世界を破滅から救ってきた。その 伝説のスネークの肉体は、急速な老化に蝕まれていた。利潤追求の経済行為となった「全世界的な戦争状況」を 終わらせるため、そして同じくクローンとして生み出された宿命の兄弟リキッド・スネークを葬るため、さらには 自らの呪われた血を断つために中東、南米、東欧の戦場に赴く。

スネークと共に最も長く戦争を生き抜いてきた、語り部のオタコンをうまく設定したと思います。単なる殺しのゲームでは ないけれど、あまりにも悲惨で不毛な戦争シーンは目を背けたくなりました。「戦争経済」という言葉は、ふと現実に 立ち返らせてくれます。自分たちから遠く離れた場所で、自分たちが得をするように破壊が起きることが理想的というのは、 現実社会をそっくり映し出してみせます。そして戦士の一人一人の姿が、人間以上に人間的思考で苦しんでいました。 おそらく作者のメッセージを、読者はしっかりと受け止めることになるでしょう。夭逝が惜しまれます。

福田和代

「プロメテウス・トラップ」

早川書房

2010.6.29

天才ハッカーと謳われた「プロメテ」こと能條良明は、平凡な一プログラマーとして生きていた。能條に謎の男からIC チップ解析の依頼が舞い込んだ。一見簡単に思えたその仕事が、アメリカを脅かすサイバーテロ組織との闘いに導いて ゆく。パスポート偽造、ソーシャル・ハッキング、スーパーコンピュータでのチェス対決、政府機関へのハッキング等、 強大な敵に次々と挑む。

ネットワーク上の知恵比べの設定がいいです。十年前ならハッカーもの大好きなわたしとしては、いいと思いますが、 あまりインパクトがなく、プロメテ、パンドラ、村岡、シャオトン、登場人物のキャラも、まるでパソコン上の造形で 魅力に欠けます。文章には読ませる力があり、そこそこ楽しめます。

平山瑞穂

「マザー」

小学館

2010.6.25

バイトをしながら佐川夏実は夢に向け、吉祥寺でストリートライブをしている。演奏する『不在証明』では、 おぼろげな記憶の彼のことを歌う。彼との写真もあるが、それが誰なのか夏実には思い出せない。怪し気な中年の 自称ギタリスト外間と、レコード会社の落合が近づいてくる。夏実をライブで知った伊神雄輝は、大学のサークルで 「都市伝説」を追っていた。そこへ伊神に「理想の人物を作れる」という携帯ソフトが送られてくる。ではあの 不釣り合いな友人カップルは、このソフトを使ったのだろうか。理想の人物が生まれるということは、消える人物も いるということなのか。謎は深まっていく。

SFすれすれの辺りで、物語をうまく展開しましたね、平山さん。おもしろくて、つい電車を乗り越しそうになり ました。バイト先の人間像やレコード会社の人物像や大学生たちの群像も、しっかりとキャラ立ちしています。 人間の記憶という曖昧なもの、人間の存在という曖昧なものを、新しいタッチで切り結んでいると思います。 だからこそ、切なさが胸に痛いです。ラストはそうするしかないだろうと、納得させてくれます。すでに3作読んだ 平山さんが男性だったことは、初めて知りました。

石持浅海

「水の迷宮」

カッパ・ノベルス

2010.6.23

三年前に不慮の死を遂げた水族館職員・片山の命日に、事件は起きた。一通のメールは、展示生物への攻撃を予告する ものだった。水族館という限られた空間、しかも大勢の客がいる中で、次々に 水槽に仕掛けをする犯人に翻弄され、 事態は悪化していく。姿なき犯人の狙いは何か。そして、再び殺人事件が起きた。

警察に届けると水族館の将来はないという設定から、職員とわずかな外部者で謎解きをする展開が、おもしろくもあり 限界も感じさせます。途中で犯人像が浮かんでしまいましたが、水族館の裏側などの細かなディテールと、そこに働く 職員たちの動きがいいですね。亡くなった片山の夢の全貌が明かされるラストが、ちょっときれい過ぎるかも知れません。 幻想的、非日常的な空間の水族館のイメージで、物語のほころびがかろうじて救われたと思います。

日明恩

「鎮火報」

講談社ノベルス

2010.6.21

「お前みたいなバカは消防士にはなれない」「絶対なってやる」。仁藤との売り言葉に買い言葉で、雄大は 消防士になった。軽蔑していた父と同じ職業に愛着など持てるはずもない。だが、いつしか雄大は消防士と いう職業に誇りを感じ始めていた。外国人アパートを狙う連続放火事件の消火にあたったことを境に、 少しずつ変化が起こる。水をかけると燃え上がる不思議な現象。いつも「良い人」キャラの入局管理局の小坂が その場に居合わせる。なにかがおかしい。事件に振り回されるうちに気づかされた真実は、思いがけないもの だった。

前作の救急隊に続く、消防署を、実によく調べて書いています。主人公があまり切れ者でない設定で、漫画的に 軽く展開させていきます。それでいて、細かな描写が最後に収斂されていき、なかなか見事な書き方です。 父と息子、そして関わる人間臭さが、鼻に着く寸前で押さえられています。ぐいぐい引きつけられる筆致には、 脱帽です。次も読んでみたいです。

打海文三

「ぼくが愛したゴウスト」

中央公論社

2010.6.19

臆病で生真面目な十一歳の少年・田之上翔太は、はじめてひとりで人気ロックバンドのコンサートに行った。 その帰りに翔太は駅で人身事故発生の瞬間に居あわせてしまう。「見るな」と言った青年とは、あとで再び 会うことになる。家に戻った翔太は、この世界に微かな違和感を抱きはじめる。両親、姉、大切な友人、全く 同じにようでいてその実は「ちがう」人間だった。彼らには「心」がなかった。事故現場で合ったヤマ健も 違和感を感じていたことから、元の世界へ戻ろうと奔走するが・・・。

よくあるパラレルワールドを描いているようでいて、じつによく「人間の存在」を考え抜かれています。 静かな文体で切実な哀しみに満ちた文章も、時間の経過とともに一人称の翔太の文章も変わっていきます。 知る世界も広がっていきます。だからなおさら、元の世界に戻れない哀しさがやりきれません。ラストを 納得できるかどうかは、人間性への考え方で決まるような気もします。絶望的な状況なのに、かすかな希望が 救いです。

乾ルカ

「あの日にかえりたい」

2010.6.16

介護士の卵でボランティアにきた「わたし」は、施設で会った80歳の老人が語る嘘のような失敗続きの半生記に ただ聞き入る・・「あの日にかえりたい」
いじめられっ子の家出少年と動物園の飼育員のひと夏の交流・・「真夜中の動物園」
地震に遭った少年が翌日体験した夢のような一日・・「翔る少年」
高校時代の仲間と15年ぶりの思わぬ再会を描く・・「へび玉」
落ち目のプロスキーヤーが人生最期の瞬間に見た幻・・「did not finish」
ハクモクレンの花の下で出会った老女の謎・・「夜、あるく」


6篇の短編集です。時空を超えた小さな奇跡を、そっとなぞりながら見せる明るい光があります。乾さんの、 また新しい一面が見られました。どんな作家に成長していくのか、楽しみです。

近藤史恵

「薔薇を拒む」

講談社

2010.6.14

施設で育った内気な少年・博人は、進学への援助を得るため、同い年の樋野と陸の孤島にある屋敷で働き 始めた。病気の夫人は気にかかるが、図書室もあり勉強を教えてくれるコウさんに助けられ、将来を見つめ られるようになった。エキセントリックな、令嬢の小夜に淡い恋心を抱くが、樋野の方がより熱烈だった。 だが、同じ使用人が殺される事件が起き、穏やかだった生活は一変する。

なぜ今、作者はこの作品を書こうとしたのか、モチベーションは低かったのではないでしょうか。人物も事件も どこかで読んだことのある雰囲気です。ラストがなんとなく納得できないのは、博人のキャラに肉付けが 薄いせいかも知れません。もっとギラギラとした強烈な熱い暗い心がないと、こういう結末にならないと 思います。ただ単にうまくすり抜けて、いい目を見ただけだと思うのです。次作に期待します。

明野照葉

「フェイク」

徳間文庫

2010.6.11

二人で子犬を拾ったあと、交通事故で死んだ・・「タミちゃん」。
夢の喫茶店を開店したのに、異様な客が押し寄せる・・「増殖」。
ほかに「ドリーマー」「化粧」「同級生」「えんがちょ」「ひっつきむし」「辻灯籠」の8編の短編集です。 どの作品も短篇ならではのキレの良さに加え、背筋がざわついてくる話は、怖いけど読まずにはいられない 独特の雰囲気があります。身近に起きたら、怖いでしょうね。

井上夢人

「あわせ鏡に飛び込んで」

講談社文庫

2010.6.9

瞬間接着剤で男をつなぎとめようとする女・・「あなたをはなさない」
悩み相談の手紙だけで構成された・・「書かれなかった手紙」
留守番電話が男を追い詰める・・「さよならの転送」
2台のパソコンが会話する・・「ジェイとアイとJI」
幻の名作・・「あわせ鏡に飛び込んで」

10編の短編集です。1973年「岡島二人」を解消し、井上夢人として書いた頃からの作品です。発行された 本で読んだ記憶があるものが、いくつかありました。時代的な背景の違いがあるのですが、それを超えた 魅力があります。携帯電話もネット環境もまだ始まったばかりの頃、こんな落とし穴がありそうという、 捻った怖さ、そういう意味ではいつの時代にも通じる怖さです。寡作な作家が、大切にこだわってきた 作風はとても引きつけられます。いま同じ題材を、作者が書くとどんな怖いものになるのか、想像してみます。

米澤穂信

「追想五断章」

集英社

2010.6.7

古書店アルバイトの大学生・菅生芳光は、報酬に惹かれて女性の奇妙な依頼を請け負う。依頼人・可南子は、 亡くなった父が生前に書いた、結末の伏せられた五つの小説を探していた。調査を続けるうち芳光は、 未解決のままに終わった事件“アントワープの銃声”の存在を知る。二十二年前のその夜何があったのか。

時代はいつなのかと思うほど、人物設定も人間関係も古風なしがらみがあります。最後には意外な真相が 用意されていますが、どうも作者が思い入れを持って描いたとは思えない、距離感のある作品です。構成は うまいけれど、なにかが足りないと感じます。

伊藤計劃

「ハーモニー」

早川書房

2010.6.4

21世紀後半「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は医療経済を核にした福祉厚生社会を 実現していた。誰もが互いのことを気遣い、親密に“しなければならない”ユートピア。WatchMeと いう健康管理ソフトが全世界の8割の人間にインストールされ、老衰と外部からの物理的破壊によって しか、死ぬことのない世界を作り上げた。だが自殺する自由と意志が抑圧された、ディストピアなのか。 世界保健機構の生命監察機関に勤める霧慧トァンは、わずかに手に入る酒とタバコを飲める戦場に 立っていた。トァンは、少女時代に幼なじみ二人と共に自殺未遂を起こした過去がある。理想的な 医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、死んだはずの友人ミァハの影を見る。

「虐殺器官」に続く、SFでしか書けない世界です。意識を研ぎ澄ませた作者がたどり着いた、 「意識はなくてもいいのではないか」という点には必ずしも共感はできませんが、すべての生活を 保障された社会では、ただの個人の欲望であり、次の段階の世界に進むには邪魔な存在として描かれて います。とにかく作者のもつ明確な強い意志と構成力、論理の組み立て、文章力の力強さに驚かされます。 読後の哀しみの感情は、胸に痛いです。次作でどのように展開しようとしたのかは想像するしかない、夭逝が 惜しまれます。

深水黎一郎

「ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!」

講談社ノベルス

2010.6.2

新聞に連載小説を発表している作家のもとに1通の手紙が届く。その手紙には、ミステリー界最後の 不可能トリックを用いた「意外な犯人」モノの小説案を高値で買ってくれと書かれていた。差出人が 「命と引き換えにしても惜しくない」と切実に訴える、究極のトリックとは・・・。

「本を読んでいる読者」が作中人物を殺害するなんて事はあり得ない訳で、それを納得するためには かなり無理強引なトリックになるだろうと、その点で興味が引かれました。そして実際「読者に 殺されるためのある条件」が被害者に設定され、「この本を読んでいる読者」が犯人とは微妙に言い 難いのですが、おもしろく読めました。

山下貴光

「屋上ミサイル」

宝島社

2010.6.1

大統領がテロ組織に拉致監禁されるという大事件がアメリカで発生していたものの、 日本の高校生たちにとって、それは遠い国の出来事だった。それよりも、もっと目の前の ことにしか動けない。校舎の屋上でスケッチをする辻尾アカネ。リーゼント頭の不良・国重嘉人、 願掛けのため言葉を封印した沢木淳之介、自殺願望を持つ平原啓太。屋上への愛情が共通して いるということから、いつのまにか「屋上部」を結成することになった。屋上の平和を守るため、 通行人を襲う罰神様騒動、陸上部のマドンナ・ストーカー事件、殺し屋との遭遇などに巻き込まれる ことになる。

草食系の高校生たちの緩やかな思考回路に、なぜか惹かれました。井上陽水の「傘がない」の曲が 似合いそうです。れぞれちきちんとキャラが立って、肩肘張らない等身大の群像がなかなかです。 この屋上に、わたしもいたかったです。受賞作ということで酷評が多いですが、わたしは好きです。 ほかの作品も読んでみたいです。

吉永南央

「紅雲町ものがたり」

文芸春秋

2010.5.28

老いても自分の夢にかけた大正生まれの草(ソウ)は、離婚や息子との死別を乗り越え、紅雲町に コーヒーと和食器の店・小蔵屋を開いている。女子高生たちの会話を聞き、マンションの一室で 虐待が起こっているのではないかと、ひそかに調査を開始した・・「紅雲町のお草」

店の未収代金の請求書を見た草は、そこに小学校の同級生・桑原秀子の名を見つける。10年以上前に 店を改装する際、解体した古民家の廃材を安く分けてもらうために挨拶に行った相手は、草が小学校の頃、 嫌がらせばかりしていた秀子だった・・「クワバラ、クワバラ」

HPを作ろうと、草は大学生・白石慶太にパソコンを習い始めた。いつも冷静な白石が、急にやせ 始めたのを心配した。白石の友人・水野も気にかけ、高校生との援助交際が原因だと言う・・ 「0と1の間」

店の周囲をうろつく不審な男は、じつは店の常連客で運送屋の寺田の友人・大竹だった。昔、寺田に 借りた金を返そうと待っていたのだという。だがその2日後、大竹は自分の母を襲った容疑で逮捕される ・・「悪い男」

幼なじみの代議士・大谷清治の依頼で、急死した愛人・鈴子の葬儀に出席するため、草は京都に向かった。 鈴子の息子・清史に東京へ来させる説得も頼まれた。だが、たまたま拾った携帯電話が原因で、男たちに 追われることになる・・「萩を揺らす雨」

5編の短編集です。なにげない会話から謎を深め、放っておけない草が行動を起こします。事件を通して ひとりひとりの過去や人生が明らかになっていきます。それとともに、老いることや、自分の人生に対して 淡々としながらもしっかりと向き合い受け入れていきます。病に倒れた友もいて、自分の先も見えてきています。 それにしても、日々の暮らしを大切にしていく背筋をピンと伸ばした姿勢がみごとです。こういう老いが できたらいいですね。シリーズにしてほしいけれど、草は80歳近いので、書くとしたら別な人物にする しかなさそうです。吉永さん、おもしろいキャラ設定をしました。やりますね。

石持浅海

「リスの窒息」

朝日新聞出版

2010.5.26

名門中学に通う栞は、友人・聡子とともに狂言誘拐を企て、秋津新聞社に身代金を要求した。 秋津新聞社は、過去に別の記事で自殺者を出していることから、警察に通報しにくい事情があった。 矢継ぎ早に送られてくる、脅迫メールの内容と添付される写真はエスカレートしていく。身代金を 受け渡しはどうするのか・・・。

アイデアはおもしろいのですが、無駄な会話や行動の描写がいらつきます。まとめたら半分で済みます。 両親が死んだ直後に、女子中学生がすぐに悪事を思いつき実行するのであれば、その前の心理描写で納得させないと あまりにも荒唐無稽になってしまいます。ラストまで日記を書いている程度の浅い文章なので、途中放棄しようと 思ったほどでした。残念です。

朝倉かすみ

「ロコモーション」

光文社

2010.5.24

小さな街で、男の目を引くカラダを持て余しつつ大人になった、それでいて地味な性格のアカリは、 静かな生活を送りたくて、大きな街に引っ越し美容関係の仕事を見つけた。だが新しくできた屈託の ない親友・さくらちゃん、奇妙な客・セレブなティナ、奇妙な男・飛沢との関係が、彼女の心の殻を 壊していく・・・。

いい体をしたアカリが格別なキャリアを積み上げることもなく、ただ心地よい場所を漂流してしまう ことには、どうしても共感ができません。ただ、朝倉さんの作品にはいろいろな面を見せられて、驚か されます。寒い雪国の空気感が、もの哀しく伝わってきます。次作に期待したいです。

吉永南央

「Fの記憶」

角川書店

2010.5.21

名前も顔も思い出せず、ひょろりとした佇まいと癖っ毛の記憶しかないのに、40歳を過ぎた今、 ふと気がつくと心のどこかに住み着いていたかつての同級生「F」がいた。 建物の解体作業会社を経営している嶽沢は、事故やライバル会社の出現で苦境に立たされた。 失敗をした社員を殴りつけながら、高校生の頃にFを痛めつけたことを思い出す。抵抗しないFの 呪いのような言葉に苦しんだ。・・「右手」

中規模のシューズメーカーの相談課に勤める容子は、不良品の内部告発に揺れる社内で、 たった一人の部下がエキセントリックに乗り出し、容子も動かざるを得なくなる。正義を 貫くかを迷った容子は、チューリップの花を折っていったFのことを思い出す。・・「黒いチューリップ」

母親の度重なる浮気によって傾いた茶業「谷川園」を、有輔は高校生で立て直した。それから25年、 有輔は妹夫婦に家業を譲り秩父の山間の村への移住を考え始める。あのとき、母を殺さなかったのは ナイフを持ち、バス停に座る有輔に、「殺すより家出したほうがいい」とFが忠告したからだった。 ・・「夜明け前に」

吉永さんは、ますますうまくなってきました。「F」というのは、もっと曖昧なそれぞれの心の トゲとして残した方がよかったのではないかと思います。最終章で、Fの視線での暮らしが描かれますが、 少し優し過ぎて、ラストのよさはあるけれど平凡になってしまいました。惜しいです。

井上夢人

「魔法使いの弟子たち」

講談社

2010.5.19

山梨県内で致死率百パーセント近い新感染症「竜脳炎」が発生した。発生当初の感染者で意識が戻ったのは、 ジャーナリストの仲屋京介、めぐみ、興津老人の3名だけだった。彼らのウィルスから有効なワクチンが作られ、 拡大を防いだ。その後も病院内での隔離生活を続ける彼らは、「後遺症」として京介は過去と未来を透視 できる、めぐみは物体を動かし空を飛ぶ、興津はどんどん若返っていく不思議な能力を身につけていた。 その力を自分でコントロールできるようになったが、興津老人には別な能力も表れ事件が起きる。

出だしはウィルス・パニックものですが、次第に爆発的に発揮される特殊能力がSFストーリー展開となり、 一気に読ませるおもしろさでした。ただ9年ぶりの長編で、広げ過ぎた奇想天外な話をどこに着地させるのか、 心配しながら読みました。もちろん上手く収めましたが、作者ならもう少し違ったラストにもできたのでは ないかと、読者の欲張りな要望からは少し残念なところもあります。特別な能力を持った人間としての内面が 描かれて、孤独さや辛さが伝わってきます。その描き方はSFではなく、やはりミステリです。「岡島二人」から 読んできた好きな作家ですし、次作も読むことになると思います。オンラインノベルも気になるのですが、 そちらは書籍化したら読みたいですね。

バゼル・ジョシュ

「死神を葬れ」

新潮文庫

2010.5.117

ピーター・ブラウンはニューヨークのマンハッタン・カトリック総合病院の研修医で、病院勤務は 凄まじい忙しさで覚醒剤でも飲んでなければやっていられない。ある日、新規入院患者に 「ベアクローじゃないか」と言われ過去が暴かれる窮地に立たされる。ピーターはかつてダヤ人の 祖父母に育てられ、マフィアの殺し屋だったことがある。だが、その祖父母にも秘密があることが分かり、 過去と現在がシンクロする。新たな人生を送っていたピーターが、過去との戦いが始まる。

ピーター・ブラウン、本名ピエトロ・ブラウナが、ドラッグ、ノワール、スプラッタにまみれて いながら、フット・ワークも軽々と切り抜けていく姿を描いています。ブラックなユーモアが全編を 埋め尽くし、テンポの良さ、リズムは、原作はどんな表現なのかと読んでみたくなるほどで、訳の うまさだけではないでしょう。目にも留まらぬ早さの語り口で、膨大な情報、スピード感、大量に 流される血と、希薄な罪悪感で当たり前のように使われるドラッグで目眩がしそうでした。 だが追い詰められ、最後の手段での凄まじい戦いが強烈で、夢にうなされそうでした。苦手分野なのに、 最後まで読まされてしまう力とは、なんだったのでしょう。 

伊藤計劃

「虐殺器官」

ハヤカワ文庫

2010.5.14

9・11以降激化が加速する“テロとの戦い”は、サラエボが核爆弾で消滅した日を境に、転機を迎えていた。 先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加 していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを 追ってチェコへと向かった。彼の目的とは、大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とはいったいなにか・・・。

テロを一掃した先進国と、内乱の虐殺が急増した後進国という近未来が舞台ですが、現代の延長線上にある リアリティを強く意識させます。人造筋肉や痛覚神経の遮断を施した兵士が、殺戮に対する負うべきものを 見つけていく展開に、驚かされました。死と真っ向から対峙し、任務を果たしながら、なお人間の本質を 見極めようとする姿勢がすごいです。 思考の強靭さが、文章の硬質さになり、やわな日本人には書けない強烈な思考も、細部も、みごとです。 SFはあまり読まないのですが、この作品は高いレベルで心を揺り動かさずにおかないものでした。

石持浅海

「まっすぐ進め」

講談社

2010.5.12

書店で真剣に本を選ぶ美しい女性の、1点の違和感とともにまるで絵画のような光景に川端直幸は見とれた。 友人の紹介でその女性・高野秋と偶然に知り合う。2本の腕時計をしている秋も直幸に惹かれ、ふたりの交際は 始まる。だが、時折見せる隔絶したちらつく深い闇は、秋から消えない。バーガー・ショップで迷子のみさき ちゃんの面倒を見ているうち、リュックを下ろせないことに気付く。

魅力的なキャラの秋と、次第にその思考回路の魅力に気付かされる直幸が、じつにおもしろかったです。 日常の中で出会った謎を解決していきながら、秋の謎に少しずつ触れていく展開が前作とは別人のような うまさです。ラストも悲惨極まる事件への、きっぱりとした姿勢がみごとです。改めて、作者の力に触れ ました。他にもいくつか読んでみたいです。

詠坂雄二

「電気人間の虜」

光文社

2010.5.10

言葉にすると現れて電気で人を殺すという「電気人間」の都市伝説そのままに、電気人間について調べて いた人物やその関係者の間に発生する不審死が続いた。姉の死に疑問を感じた弟の日積は、様々に取材 データを残していた姉・美晴の足跡をたどり始める。訪れた遠海市で秀斗という少年と出会い、不思議な 地下壕を見いだす。

電気人間というあり得ないことをうまく題材に、料理に仕立ててしまった感じです。途中登場人物「詠坂雄二」 とライターとの推理が、斜に構えてさらりとさせています。前半がおもしろかっただけに、多少肩すかしを くらった気分がありますが、楽しめます。

吉永南央

「オリーブ」

2010.5.7

街中で喪服姿の妻・響子を見かけ不審を抱いた慎一は、葬儀場で故人の名が結婚前の妻と同じ「斉藤響子」だったことを 知る。そして翌日、彼女は姿を消した。笑顔の少ない響子は、ねだったり激しい感情もみせないが、一緒に暮らしていると 楽だった。慎一は響子の跡をたどろうとするが、手がかりはなく、唯一の肉親である母親とも連絡が取れない。さらに、 そもそも二人の婚姻届すら提出されていなかったことが判明する。彼女は何者だったのか、そして何の目的で慎一と結婚 したのか。・・「オリーブ」

5編の短編集です。 無くした大切ななにかを探すストーリーは、それぞれになくして初めてその存在の大きさを知ります。空気のように側に いてくれる妻。退院して戻った我が家の安息。知らなかった顔を持っていた亡くなった夫。見える姿をいつの間にかその人の 全てを知っている気になってしまいますが、人間の別な側面が見えることで、更にその人の思いがわかります。けれどそれが 失ってから、というのがちょっと哀しいですね。シンプルな文章が魅力です。

鬼塚忠

「カルテット!」

河出書房新社

2010.5.4

天性のバイオリンの才能があると音楽教室の先生に認められ、母の期待を背負う中学2年の永江開(カイ)は、 勉強もせず反抗期の高校生の美咲と両親と暮らしている。リストラで就職活動中の父・直樹と、パートに出て いる母・ひろみの間は離婚寸前だった。そんなとき祖母の誕生会に、家族で演奏会をすることになり、美咲は フルート、父はピアノ、母はチェロで、ばらばらになっている気持ちで果たしてカルテットはできるのか・・・。

仲のいい家族が存在しているのか、最近はとても判断が難しいところです。なんとか家族の再生をしたいと願う 開の気持ちが、かろうじて物語を成立させています。4人の視点に都合よく移動させ、説明が多く、書き込んで いない印象です。「悲しい」と文章で書いて、読者に悲しさが伝わるわけではありません。音楽一家でありながら、 誰からも音楽を演奏する感情や熱い思いが伝わってきません。演奏をしたことのない作者が想像できる範囲で書いて いるのでしょう。題材がおもしろいのに残念です。

乾ルカ

「夏光」

文芸春秋

2010.4.30

小学生の哲彦が疎開先の漁村で出会った喬史は、顔の左半分に真っ黒な痣があり、村人たちはそれをスナメリの 祟りと忌み嫌っていた。だが喬史の左目にはもっと恐ろしい秘密があった。死を見ることができる少年を描く「夏光」。 飛ぶマジックを見せる少年「Out Of This World」。相手の感情を匂いで知る少女の世界「風、檸檬、冬の終わり」。

5編の短編集で、作者のデビュー作です。時代の空気感や狭い村や町の閉塞感が、独特な雰囲気で描かれますが、登場人物が その中でもいまいる場所を離れたくないと思っています。残虐で絶望的な場所なのに、小さな明かりを消したくなくて、 自分の中で精神的な厚い壁を立てているようです。乾さんは、この書き方がデビュー作であれば、ホラーの道に進ませようと 編集者は考えたでしょう。でも他の作品を見ると、この作品は通過点だったのだろうと納得できます。それにしても、 乾さんはタダものではありません。

光原百合

「時計を忘れて森へいこう」

東京創元社

2010.4.28

高校生の翠は、同級生たちとの微妙な関係に心を痛めていた。不思議な魅力を持つ森の案内人で、環境教育などを 進めるシーク協会の護さんとの会話は、不思議なことに世界の見方が変わる気がした。森と護さんの魅力に引かれ、 ときどき森を訪れた。同級生の恵利が静かな坂崎先生に、激しく叩かれる場面に遭遇した翠と冴子は、その原因を 探ろうとした。

護さんが語る美しい物語が、静寂な森を訪れる人が抱えている悩みを軽くします。 人間関係のなかでの、ちょっとした 思い違いや誤解を翠が護さんに相談すると、さらりと別な見方があることを示してくれます。森の魅力と護さんの 人間像の魅力と、成長過程の翠の心の軌跡が心地よく感じられます。美しいものを美しいと語り、風や光を伝えられる、 貴重な作家だと思います。

小島正樹

「扼殺のロンド」

原書房

2010.4.26

その事故車は工場の壁にぶつかって激しく損傷し、ドアが開かなくなっていた。中には男女の遺体があった。だが 女は腹を裂かれ、男は無傷のまま、死んでいた。直前にすれ違ったドライバーはふたりとも生きていたと証言、さらに 男の驚くべき死因が判明して捜査は混迷を深め、第二、第三の事件が追い打ちをかける。

よくある捜査劇という始まりです。謎を追いかけていくのですが、警察の組織も方針もなく担当刑事が調べると いう設定には無理があります。警察に対する知識もなく、どんなに探偵を気取っても事件の謎にだけ焦点を当てても、 作品としてはだからどうしたと、突っ込みたくなります。

道尾秀介

「光媒の花」

集英社

2010.4.23

印章店を細々と営み、認知症の母と二人、静かな生活を送る正文は、ようやく介護にも慣れたある日、幼い子供のように 無邪気に絵を描いて遊んでいた母が、決して知るはずのない笹の花を描いていることに驚く。三十年前、父が自殺した日、 母は何を見たのだろうか。・・「隠れ鬼」

共働きの両親が帰ってくるまでの間、内緒で河原に出かけ、虫捕りをするのが楽しみの小学生の兄妹は、ある恐怖から ホームレス殺害に手を染めてしまう。・・「虫送り」

6編の短編集です。なにかの賞を受賞を目指していると強く感じさせるほどの、道尾さんの変化に驚かされます。 いままでと同じく、底に流れる人間の暖かさを描いているように見せながら、ぞくりとする氷を飲まされた感触が あります。深層に眠っていた閉じ込めていた記憶の、真の姿に愕然としました。悪意や殺人、性的虐待、貧困、孤独に 目を背けることができない現実が確かにあることを、突きつけられます。ラストで救われるのでほっとしますが、 どこかはらはらさせる危険な匂いが残ります。

藤ダリオ

「ミステリー・ドラマ」

角川書店

2010.4.21

ミステリ映画の巨匠と呼ばれる檜市監督が、生放送ドラマ本番スタート直前に倒れて しまい、フロアから指示を出すという。放送会場の建物全体は、ドラマが終わるまで 完全密封されている。だがドラマが始まってすぐ、監督室にいたはずの檜市が廊下で 殺されてしまった。さらに探偵役の主演男優が誘拐され、このままドラマを続けなければ 彼の命はないという犯行声明が口に差し込まれていた。自分も殺されてしまうかも知れない 恐怖が襲う。演出プランが知らされていない出演者が生放送ドラマを、アドリブでまさに 命がけで仕立てていく。

密室殺人でありながら、テレビで生放送されるという設定がおもしろいです。いくつかの 伏線が、読めてしまうところもありながら、最後までスリリング感を維持して読ませてしまい ます。ラストが少しあっけなさがありますが、楽しめます。

光原百合

「遠い約束」

創元推理文庫

2010.4.19

浪速大学文学部に入り、憧れのミステリ研究会に迎えられた桜子は、遺産相続を巡る遺言捜しの協力を 求める。

6篇の短編集です。優しさが伝わってくる大阪弁というのは、初めてです。関東大震災というのは、 当然だろうとは思いますが、こんなところにまで影響しているのですね。いい作品だけに、表紙や各篇の 漫画イラストがどうにも不似合いで残念です。編集者の問題でしょうけれど。

両角長彦

「ラガド」

光文社

2010.4.17

私立中学校に刃物を持った男が侵入する。女子生徒・藤村綾が、彼の行動を見て叫んだ。 「みんな逃げて」。綾は果敢に男に立ち向かうが、刺し殺されてしまう。逮捕された犯人は その時の記憶がないと供述した。警察内で秘かに行われたシミュレーションで、いくつもの 生徒たちの行動が浮かんでくる。犯人・日垣はモンと呼ばれ、娘の里奈が自殺したのは 「いじめ」によるものだと思い込んでいた。強力な父親の後ろ盾から、クラスのボスと 言われている生徒の存在、綾への教師からの驚きの指示が明らかになる。物語が二転三転 していくなかで暴かれる真相とはなにか。

文章の下の教室の図解で、番号化された生徒たちの行動とその思考が明確になっていきます。 ナンバーを顔に貼りつけて監督の指示通り動きだし、犯人との会話や、生徒同士の会話のときは カメラがズームアップするという、まるで芝居の鳥瞰図のようです。多人数を必要に応じて 浮かび上がらせる手法は、逆に考えると都合がよ過ぎるという弱点にもなりますが。題材は 書き尽くされたものですが、展開がおもしろいです。幾通りもの事件の裏で起きている学校と 生徒の関係や、教師も含めて絡み合う人間関係を、しっかりと構想を練って描いた作品です。 こういう書き方もあり、ですね。なかなか楽しめます。

乾ルカ

「プロメテウスの涙」

文芸春秋

2010.4.15

精神科医・凉子の元に、小学生のあや香は、やつれた母親に伴われて現れた。人格が変わったように 手足を動かすことが、次第に多くなったという。とりあえず薬を処方して次回に持ち越した。凉子は メンタルクリニックを開業している親友の祐美に、相談を持ちかける。祐美からはワシントンの大学で 研修を受けていて、医療刑務所で刑を執行しても自殺をしても死なない囚人がいるという話と、あや香と 似た症状の患者も来ているというのだ。

医師の怜悧な思考が徹底して突き詰めていく理論展開には、妙に説得力があります。凉子と祐美の関わり方も 好感度が高いです。死なない人間という事柄だけでも、なかなかのインパクトですが、そこに小学生との 接点を作るというのも、確信犯としての作家の力を感じます。おもしろい作家ですね。

深水黎一郎

「五声のリチェルカーレ」

創元推理文庫

2010.4.13

「昆虫だって擬態に失敗したら、当然待っているのは死、なんだから。人間だってそれと同じことだよ。 生きていたから殺した」昆虫学者を夢見るおとなしい少年・昌晴による殺人が起きた。素直に犯行を認めながら、 なぜか動機だけは言いたがらなかった。少年院送りが妥当と思われるケースだった。家裁調査官の森本が 接見から得たのは「昆虫だって・・・」という謎の言葉だった。

昆虫が好きで追いかけている少年が、クラスで「いじめ」の対象になってしまう当たりは、胸が痛みます。 子どもってほんとうに残酷な言葉を放ちますね。少年の昆虫に対する膨大な知識があるだけに、少年の視点での 読み方もできるし、家裁調査官の大人の思考もわかります。とても興味深く読みました。

併録されている短編「シンリガクの実験」もおもしろいです。相手の思っていることを見抜く力を持った 少年が、表には出ずに教室を、そして学校全体を動かしていく展開には驚かされます。転校生によって、 その行為を止めるというラストは、片方の唇に苦笑を浮かべたくなりますが。

光原百合

「十八の夏」

双葉文庫

2010.4.12

4篇の短編集です。文章が新鮮で、丁寧に人の心の動きを感知できる目線のよさがいいですね。展開は 先が読めそうでいながら、うまく伏線が張られています。良質の、初めて書いたミステリという感じです。 成長が楽しみな作家です。

小路幸也

「ダウンタウン」

河出書房新社

2010.4.9

旭川の高校生・森省吾は、孝生たちと軽音楽部でピアノを弾いている。先輩のユーミさんに誘われて狭くて小さな喫茶 「ぶろっく」に通うようになった。 そこは何故か年上の女性ばかりが集う場所で、ショーゴはカオリさんやりサさん、 カンさん、バンビさん、りょうちゃんたちに歓迎され、家から離れた場所で極上の時間を味わう。プライベートには 深くは立ち入らないそれぞれにも、ドラマがあることを少しづつ感じ取って行く。ケンゾーという写真家から、カオリさんの 喫茶店への思いを聞かされる。

小路さんは今まで小学生視点が多かったですが、高校生で青年に変わろうとする雰囲気の作品です。希望を見出そうとする人々を 、やさしい視点で描く暖かさの中に、 しっかりと現実を受け入れる姿勢が筋が通っています。高校生という過度期も、ラストのバンビさんの救出劇のカー チェイスも、なかなかうまく描いています。切なくなる人間の心。やはりうまいですね。

ディヴィッド・アンブローズ

「リックの量子世界 」

創元SF文庫

2010.4.7

美術誌や物理学誌の出版をしているリックは、妻と息子に囲まれた平穏な暮らしを送っている。重要な会議の途中に、 異様な感覚に襲われた。妻が危ないという意識に突き動かされ、駆けつけると無惨な交通事故車の中の瀕死の妻だった。 妻の死を目にして意識が遠のいた。だが気がつくと妻は無事で、なぜか事故に遭ったのは自分自身になっていた。妻に 正直に事態を打ち明けると精神病院に入院させられた。一時はパニックに陥ったリックだが、次第に冷静にならなければ 狂人扱いを受けると理解し、しかもリチャードという別の意識と同居していることを知る。なぜこの世界に紛れこんだのか。 もとの自分に戻れるのか・・・。

ひとつの体にふたつの意識という、統合失調症や多重人格といった精神的な問題とされてしまそうな状態です。 そこでリックが直面するのは、他者と自分にとっての世界観の違いです。本当の世界とは、どこにあるのかと いう心の問題にぶつかります。 また、元の世界のリックと意識の上で同居することになってしまったリック=リチャードは 仕事も生活スタイルも違い、妻との関係・家庭の有り様といったものが異なります。多世界解釈というものは、SF的には 量子理論が 背景になっていますが、この作品では不安や疑心、家庭・夫婦についてまで見直してみる物語になっています。 多少の時代の古さはあるものの、テンポもよく楽しめます。

朱川湊人

「銀河に口笛」

朝日新聞出版

2010.4.5

小学3年生のモッチ、エムイチ、ニシ、ムー坊の4人組は、「ウルトラマリン隊」を結成した。やがて不思議な力を持つ 少年リンダが転校してきた。ミハルも加わり、猫を探し、自転車を探す。そして急死した母親が残した貯金通帳を探し出すが 副委員長は、進学できずいなくなってしまう・・・。35年たった今、リンダの力を覚えているのはなぜかモッチだけだった。

新しい分野を描こうとした朱川さんの作品は、どうしても小路幸也さんと比較してしまいます。まだ練れていない分、 あるいは上手く進むかも知れませんが、この作品だけではもうひとつ何かが足りません。これからの変化を楽しみに したいと思います。

道尾秀介

「球体の蛇」

角川書店

2010.4.2

17歳の友彦は両親の離婚により、隣の乙太郎さんと娘のナオの家に居候していた。奥さんと姉娘サヨは7年前、キャンプ場の 火事で亡くなっていた。どこか冷たくて強いサヨに私は小さい頃から憧れていた。だが彼女が死んだ本当の理由を、誰にも 言えずに胸に仕舞っている。乙太郎さんの手伝いとして白蟻駆除に行った屋敷で、友彦はサヨによく似た女性に出会う。 彼女に強く惹かれた私は、夜ごとその屋敷の床下に潜り込み、老主人と彼女の情事を盗み聞きするようになる。だがそれは、 さらなる悲劇を引き起こす。

道尾さんはすっかり大作家に成長した印象です。初期の作品とは違う世界を書いてきています。どこまで人間の感情を表現 できるかということを真摯に追求した作品だと思います。他人を想うからつく優しい嘘・狡い嘘、偽善・・・などが絡み合い、 登場人物それぞれが抱える秘密の数々は、いくつもの顔を見せ、変貌していきます。題材としてはあまり好きな分野ではない のですが、巧みな心理展開に引き込まれてしまいました。決して過去に戻ることができない、切なさが胸に残ります。痛いです。

光原百合

「扉守 潮ノ道の旅人」

文芸春秋

2010.3.31

瀬戸の海と山に囲まれた懐かしいまち・潮ノ道にはちいさな奇跡があふれている。不思議なきらめきと魔法が 行き交う、特別な場所で不思議な光景が見える。

持福寺住職の了斎(りょうさい)をはじめ、片耳ピアスの青年、時空を超えた絵を描く絵師、編み物作家など、不思議の力を 持つ人たちが、日常と異世界の境界者が、共存しています。ただ、時にそれを乱すものが現れると、境界の扉を開け 追い出すのです。ふわふわと美しいのではなく、怖さも描かれ、さりげない日常にしてしまう力量に感心させられます。 2作目ですが、過去作品をたどってみようと思います。

サンティアーゴ・パハーレス

「螺旋」

ヴィレッジブックス

2010.3.30

絶妙な語りと緻密なプロット、そして感動のラストで大ベストセラー小説『螺旋』の作者トマス・マウドは、本名は もちろん住んでいる場所すら誰にも明かさない“謎”の作家だった。出版社は定期的に送られてきていた原稿が ストップしたため、「なんとしても彼を見つけ出せ」社長命令で編集者ダビッドは、その作家がいるとされる村に 向かうことになった。簡単に見つかると思い、妻・シルビアには休暇旅行と嘘をついて同行した。だが奇妙な6本指の村人の住む暮らしと、 ダビッドの怪しい行動に、ついに腹を立てたシルビアは離婚すると言い放って戻ってしまう。一方、麻薬依存症の 青年フランは、盗んだバッグに偶然入っていた『螺旋』をふと読み始め、その物語に夢中になってしまう。

ダビッドのだめ男ぶりが徹底していて、読みながら皮肉のひとつも浴びせたくなりました。遺伝的に6本指の人が 集中して住んでいる村は、同じような例を知っているので、特にこだわらなくてもいいように思います。村人との 交流を通して、突き止める作家の真の姿には、思わず敬虔な祈りを捧げたくなりました。長くてかなり苛ついて 読んだのですが、読後感はいいです。

北森鴻

「うさぎ幻化行」

東京創元社

2010.3.26

飛行機墜落事故で不慮の死を迎えた音響技術者・義兄の最上圭一の同業者に譲った遺品から、「うさぎ」に不思議な “音のメッセージ”を遺していたと知らされる。圭一から「うさぎ」と呼ばれ、可愛がられたフリー・ライターの リツ子がメッセージを聞くと、環境庁が選定した日本の音風景百選を録音したものと思われるが、どこかひっかかる。 録音されたと思われる水琴窟や、列車の音、祭り囃子、教会の鐘などの音源の場所を訪ね歩くうちに、音風景の奇妙な 矛盾に気づく。そして、もうひとりの「うさぎ」の存在を知ってしまう。

北森さんの文章は、分厚い重低音を重ねた上に、華やかなソリストの歌が入るオーケストラのようです。ぐいぐい 引っ張られて読みました。音を訪ねる旅の旅情と、冷静に音源を突き詰めていくリツ子がのキャラが、いい設定です。 この世のものとは思えない音の絶妙な味わいを感じさせてくれます。「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」と いう人気の旅客列車に乗車した登場人物が、奇妙な出来事を見かけて、その謎解きをしていく別風景も、いつのまにか ひとつの絡み合った物語になり、ラストへと収斂していきます。ただ、いままでの北森さんらくしない終わり方が、 引っかかりました。

なお、北森さんは心不全のため2010年1月ご逝去、48歳の若さでした。シリーズ途中のものもあり、北森作品を たくさん読んできた読者としては、とてもとても残念です。この作品が遺作になると思われますが、これからも読めると 毎回楽しみにしていたのです。心よりお悔やみ申し上げます。


岸田るり子

「ランボー・クラブ」

東京創元社

2010.3.24

自分が偽りの存在だと悩み不登校になった中学生の菊巳は、色覚障害者サイト「ランボー・クラブ」に掲げられた フランス語の詩が、なぜか読めることに気付いた。ある日、そのランボーの詩が書き換えられ、詩が暗示する 殺人事件が起きる。カウンセラーの小林先生と幼い頃の記憶を思い出そうとするが、なかなか手がかりがなかった。 一方、川端病院長は11年前に失踪した妻と息子を捜していたが見つからず、ミツイ探偵事務所に捜索を依頼する。

色覚障害の少年の視点で展開する事件に引かれましたが、多少の無理があります。補う形で登場する人物たちも、 どこか都合がよすぎてリアリティに欠けるかも知れません。冷静な少年という設定でおもしろく読ませるのですが、 読後にあっというまに印象が薄れてしまいました。散漫なありふれた仕立てのような感じがします。

T・ジェファーソン・パーカー

「カリフォルニアガール」

早川書房

2010.3.23

変動する1960年代のカリフォルニア州南西部の都市タスティンのオレンジの出荷工場の廃屋で、頭を切り落とされた 若い女性の死体が発見され、保安官事務所の部長刑事ニックは現場に急行した。被害者は、子どもの頃から知っている 愛らしかったジャニルだと知り、ニックは愕然とする。現場には新聞記者として活躍するニックの弟アンディも駆け つけていた。容疑者として、現場近くにいたホームレスの男が捕らえられたが、その取り調べをするかたわら、ニックは 別の手がかりを求めて捜査を始める。この事件は、彼が初めて指揮をとる殺人事件だった。一方、アンディも独自に 調査を開始した。ニックとアンディは、牧師である長兄のデイヴィッドの助力を得てやがて、ジャニルが麻薬捜査に 関わっていたことや、妊娠していたことなどが判明し、事件は複雑な姿を現す。

時代背景が生んだ最悪の病巣としての、猟奇的な殺人事件を描きながら、記者の信念、教会と地域の信者とその家族の 複雑な心まで浮かび上がらせてきます。わたしとしてはドライビング・ミサなどが、興味深かったです。良質の読み物 だと思います。

乾ルカ

「メグル」

東京創元社

2010.3.19

「あなたはこれよ。断らないでね」足を引きずる無表情の大学学生部の女性職員・ユウキさんから半ば強要され、 仕方がなく足を運んだ大学生たちは、そのアルバイトに秘められたものに驚かされた。
父親が入院する病院の売店で棚卸しをする女子大生が冷凍庫から見つけたのは・・・「モドル」
不在中の飼い犬に「生肉」を与えるだけの高額アルバイトとは・・・「アタエル」
学生が暮らす家を、自分の家だと言いはる奇妙な女性の庭仕事を手伝うことになる・・・「メグル」

5編の短編集です。日常から一歩踏み出した奇妙なアルバイトの、一話ごとの味わいがなかなかうまいです。 人間の惨さと、悲しみと、理不尽さ、そのすべてを受け入れるしかないと作者は感じているようです。ラストで ユウキさんとは何ものなのかがわかり、切ない心情が伝わってきます。おもしろく印象的です。他の作品も 読んでみたいと思います。

鏑木蓮

「救命拒否」

講談社

2010.3.18

講演中の救命医師・若林が爆破事件で重傷を負った、現場に駆けつけた救急救命士・中杢に医師が「ブラック・ タッグ・・」と言い残す。タグの表示は死を意味する。大阪府警の刑事たちは、事件の裏側に隠された真相に辿り着けるのか。

どうも関西弁の会話が読みづらいです。地の文章と違うので、テンポが分断されます。緊急を要する現場での、 医師の判断が管轄する役所によって、じつに曖昧だということを、初めて知りました。視点が刑事から救命士、 さらに事情聴取の教師にまで移るのは、都合よすぎるでしょう。全体的にも説明のために輻輳する描写も煩わしい です。直しに直しを重ねて書いたのはわかりますが、理が勝ちすぎておもしろさがいまいちでした。

ヘニング・マンケル

「タンゴステップ 上・下」

創元推理文庫

2010.3.17

警察官・ステファン・リンドマンは舌ガンの宣告に動揺し休暇を取っていたが、退職した先輩警官・モリーンが無惨に 殺されたことを知る。恋人ともぎくしゃくしていた彼は現地に向かう。地元警察と協力しながらも個人的に 調査をしていく。聞き込みに廻り、現場を訪れる。そしてすぐ近くで第二の殺人事件が起きる。モリーンの娘・ ヴェロニカの登場で一層複雑な展開となる。

なぜモリーンは、人里離れた森の中で隠遁生活を送っていたのか。なぜ、残忍な殺され方をしたか。ステファンの 観察眼が次第に真実に近づいていく展開は、やはりおもしろいです。第二次世界大戦のナチス、そして現在もなお 息づくナチズムの信奉者たちが関っていることがわかってくる。 スウェーデン社会の闇の部分が、怖いです。 観察力を裏付けるための膨大な伏線が張られ、収斂していく予感を感じると、一気にラストへと走ります。 必死にたどり着いた人間たちのもの悲しさが、ひたひたと打ち寄せてきます。読み始めは長いなと思うのですが、 終わってみるとあっというまでした。

日明恩

「ロード&ゴー」

双葉社

2010.3.12

消防隊員・生田はベテランの運転手だ。二カ月前に異動してからは、慣れない救急車のハンドルも握らなければ ならなくなった。そんなある日、路上で倒れていた男を車内に収容したところ、突然、その男・悠木がナイフを手に 救急隊員を人質に取る。同じ頃、警察とTV局に謎の男から犯行声明が入った。男は悠木の家族を人質にしていることと、 悠木に爆弾を持たせていることを告げ、二億円を要求する。そして都内の救急病院を回るよう指示する。 果たして犯人の狙いは何か。過熱するマスコミに追われながら、次第に追いつめられて行く救急隊員たち。

なかなかの緊迫感です。ハイジャックはすでに書き尽くされていたと思っていたのですが、こういう攻め方も ありです。マスコミ車に囲まれながら暴走し、中継される救急車内の映像や、一人一人のキャラが、TV映像化を してもおもしろいだろう感じさせます。夢中で読んで久々に、つい電車を乗り過ごしました。

小路幸也

「リライブ」

新潮社

2010.3.10

命の灯火が消える瞬間、“バク”が囁きかける「人生の分岐点。そこからもう一度、やり直させてあげましょう。 ただし、ひとつだけ条件があります」という言葉に、戻りたいそのときを強く願う。

もう一度人生をやり直させるのなら、自分はどこに戻りたいかを、考えさせられます。そして別な選択をしたことが、 果たしてどんな結果になるかはわかりません。物語は複雑な二重構造になっていて、闇の中で交わされるわずかな会話で、 生き直したことの意味が見えてきます。なかなかうまく考えられていると思います。

ジェラルディン・ブルックス

「古書の来歴」

ランダムハウス講談社

2010.3.5

100年ものあいだ行方が知れなかった実在する最古稀覯本「サラエボ・ハガダー」が発見された。 オーストラリアの研究所にいる古書鑑定家のハンナは、すぐさまサラエボに向かった。 発見されたサラエボ・ハガダーは、500年前、中世スペインで作られたと伝えられ、ユダヤ教の祭りで 使われるヘブライ語で祈りや詩篇が書かれた書である。美しく彩色された細密画が多数描かれている 鑑定を行ったハンナは、羊皮紙のあいだに蝶の羽の欠片が挟まっていることに気づく。今はない留め金の 痕跡、ワインの浸み、塩の結晶、白い毛。それを皮切りに、ハガダーは封印していた歴史を紐解きはじめる。

古書を科学捜査することで、500年の歴史と関わった人々の過酷な運命の物語が見えてくる。 ユダヤ教へのイスラム教、キリスト教からの500年前からの強硬弾圧の時代があったのですね。そのすさまじさに 圧倒されます。うまい構成にぐいぐい引きつけられて読みました。北欧の決して忘れることのないナチス。そして それ以前の時代の事実の重さを、改めて知りました。貧しさ、戦渦、その下で必死に生きる人間を、わずかな希望が 支えてきたのです。ハンナのキャラもいいですし、ラストのインパクトのある反転はみごとです。お勧めです。

朝倉かすみ

「深夜零時に鐘が鳴る」

マガジンハウス

2010.3.3

雪降る札幌の街、ひとりで年の瀬を過ごす匂坂展子は、いつもと変わらない新しい年をむかえようとしていた。 そんなテンコの前に、元ヘビメタ男「根上くん」、ウェイトレス「そら豆さん」パン屋で働いていたはずの 「ミヤコちゃん」が現れる。デパートのカリスマ社員「えぐっちゃん」とは・・・。

元カレやカノジョが微妙なラインに並ぶと、そこには不思議に世界が広がっているという展開です。数作前の 「タイム屋文庫」と登場人物もつながり、あの「リス」あるいは「リコ」が思わぬ姿でフォノグラムのように 立ち上ってきます。ゆったりとした時間が流れ、ここちよい作品です。

小島達夫

「ベンハムの独楽」

新潮社

2010.3.1

ふたつの肉体にひとつの魂、五分先の未来が見える災い、文字で飢えを凌ぐ男の幸い、グロテスクな双子の仕打ち、 冷笑に満ちた大人の仕返しなど、9編の短編集です。

見る角度によって違う色に見えるという、タイトルのままのベンハムの独楽のような物語です。おもしろい切り口の 作品と、そうかと通り過ぎてしまう作品もありながら、全体としては楽しめました。

中山七里

「さよならドビュッシー」

宝島社

2010.2.26

ピアニストを目指す16歳の遥は、両親や祖父、従姉妹などに囲まれていた。だが、それはある日突然終わりを迎える。 大好きな祖父と従姉妹とともに火事に巻き込まれ、ただ一人生き残ったものの、全身に大火傷を負ってしまった。 だが彼女はピアニストになることを固く誓い、コンクール優勝を目指して猛レッスンに励む。ところが 周囲で不吉な出来事が次々と起こり、やがて殺人事件が発生する。

熱でのどをやられ声を失い、皮膚が焼けただれ 多くを移植で賄い、自分のものじゃなくなったような、 思い通りにならない体で、必死にリハビリを受ける辺りは、少しリアリティに欠けますが伝わるものがあります。 天才ピアニストで探偵役の岬先生との、 レッスンの空気や、発表会の演奏の熱さが、物語を突き動かしていると 思います。ミステリ要素は薄く、随所で伏線が強調されるので、おおよその予想がついてしまいますが、それでも 引きつけるのは、ピアノを弾くときの演奏者の高揚感かも知れません。何物にも代え難い演奏しているときの感覚が、 しばらくチェロを弾いていたわたしには、懐かしい心の記憶でした。成長していく作家かどうかは、微妙なところです。

桜庭一樹

「製鉄天使」

東京創元社

2010.2.24

辺境の地、鳥取県赤珠村に根を下ろす製鉄会社の長女として生まれた赤緑豆小豆は、鉄を支配し自在に操ると いう不思議な能力を持っていた。荒ぶる魂に突き動かされるように、レディース“製鉄天使”の初代総長として、 中国地方全土の制圧に乗り出す。「あたしら暴走女愚連隊は、走ることでしか命の花、燃やせねぇ!」中国地方に その名を轟かせた伝説の少女の物語だ。

いわゆる「不良」としての日々が、ひたすら主人公の目線で描かれていきま す。バイクを乗り回し一帯を疾風怒濤と なって駆ける小豆の行動は、突き抜けています。雄叫びが、聞こえるようです。小説の中でマンガ・ストーリーが 展開する運びは、好き嫌いが出るかも知れません。でもわたしは結構好きだったりします。根底にあるのは、枠を 飛び出せなかった時代への惜春の思いかも知れませんが。

宮下奈都

「遠くの声に耳を澄ませて」

新潮社

2010.2.22

息子が世界中を旅したいと言って、一人暮らしをしている母の元に届く絵はがきには「ここにも猫がいる」という短い 文章だった。・・「どこにでも猫がいる」

12編の短編集です。錆びついた缶の中に、おじいちゃんの宝物を見つけたり、幼馴染の結婚式の日、泥だらけの道を走った 記憶や、大好きなただひとりの人と別れたことなどが、看護婦、OL、大学生、母親の普通の人たちがひっそりと語りだす、 大切な記憶なのかも知れません。短すぎてうまく伝わらないものもあります。書き出しの独特の空気感が、印象に残ります。

中村弦

「天使の歩廊 ある建築家を巡る物語」

新潮社

2010.2.19

明治から昭和初期、天使によって人生を宿命づけられた孤高の天才建築家・笠井泉二は、依頼者が望んだ 以上の建物を造る不思議な力を持っていた。老いた子爵夫人には亡き夫と過ごせる部屋を、偏屈な探偵作家には 永遠に住める家を作った。そこに一歩踏み入れた者は、建物がまとう異様な空気に戸惑いながら、次第に酔い しれていくのだった。彼の手掛けた建築物は異空間に通じ、住人たちは現実と奇蹟の出会いに遭遇する。

明治はすでにわたしにとっては時代劇であり、読むのをためらった作品です。けれど読み進むうちに、人物が決して 時代の書き割りに寄りかからず、深い心情をたたえて屹立していました。多少類型的な人物設定はあるのですが、 現代に通じる視点の確かさを感じます。笠井の創造した美しく妖しく、人の人生を変える建築は、壮麗で幻想的な 世界に引き込まれます。迷宮をさまよう心地よさとめくるめく美に、ためいきでした。時代や人物によって話し言葉が くっきりと違いが出ていて、建築造形への審美眼と共に、しっかりした知識と想像力が活かされています。力の ある作家ですね。

ヒキタクニオ

「負の紋章」

徳間書店

2010.2.17

石渡宗介は妻・由美子と小学生の・佳奈との平凡な三人暮らしだった。ところが留守番中の佳奈が行方不明になり、 全身に無数の噛み傷が残る異常で無残な死体で見つかった。アキバでオタクたちの実態を目にし、復讐を決め、 知り合ったポリ子とその仲間たちと探すうち、犯人は警察に逮捕されてしまう。塀の中の犯人にどうしたら復讐 できるのか。

暴力とは縁のないサラリーマンが絶望し、死の淵から立ち上がり復讐を誓う姿が、壮絶です。オタクたちのキャラが 類型的で都合がいい設定過ぎる難点はありますが、それでもおもしろいです。オタクたちにも様々な種類の人間がいて、 初めて知る部分もありました。最終的に取る手段にも無理がありますが、ラストまで引きつけられて読みました。 ヒキタさん。すごい。

ヒキタクニオ

「俺、リフレ」

角川書店

2010.2.15

俺はスウェーデンで作られ日本に渡り、作家の伊作家に買われた。でかすぎて収まらない冷蔵庫だ。伊作夫婦が、幼い 天才ヴァイオリニストを預かってから、この家の雲行きが怪しい。「才能」を巡るバトルが始まったのだ。仕事と才能に 悩み、ぎくしゃくする家族に、崩壊の危機が迫っているってことを俺は知っている。

視点が冷蔵庫という設定での、新しい発見も特にはなく魅力が欠けると思います。ラストを持ってくるための、設定は わかるのですが、ヒキタさんは、どうしても設定に懲り、それを細部に至る書き方に魅力があるので、引きつけられて 読むけれど、後に残るかどうかというと難があるかも知れません。家族の様々な行き違う心理描写は、とてもうまいです。 第三者の視点の方が、もっと深く一人一人を書けたと思います。

ヘニング・マンケル

「笑う男」

創元推理文庫

2010.2.12

正当防衛とはいえ、人を殺したことに苦しむ警察官ヴァランダーは、うつうつとして仕事を休み、退職を決意するが、 そんな悩む彼を友人の弁護士が訪ねてきた。父親の交通事故死に腑に落ちない点があると言う。しかしヴァランダーは 相談に乗る余裕はなかった。その数日後、彼はその友人が射殺されたという新聞記事を見た。復職し、事件を追い始めた ヴァランダーが訪れた弁護士事務所の女性秘書が、自宅の庭に埋められた地雷から、かろうじて危機を救った。そして 彼の車には爆弾が仕掛けられていた。状況から推理したのは、ファーンホルム城という中世の城郭に住み、自家用 ジェット機で世界を駆け回る国際的な企業家であり富豪の男だった。しかし彼は各国の研究機関から名誉博士号を 贈られるほどのスウェーデン国内でも人望が厚い有名人だった。ヴァランダーは、まるで治外法権を持っているような この「笑う男」の真の姿に迫るべく悪戦苦闘するのだった。

長年の経験から鋭く研ぎすまされた直感と、納得するまで証拠を集めるヴァランダーの姿勢に好感が持てます。悩み ながら、社会の根源的な悲壮な事実と向き合う目の確かさが、魅力でしょう。全体がモノトーンですが、描かれる心の 葛藤に共感します。真っすぐに正義に向かう貴重な警察官像です。長編なのに、重さを感じさせず引きつけられます。 おもしろいです。次作も楽しみです。

山下貴光

「少年鉄人」

宝島社

2010.2.10

内向的で優しい小学生・太一は、フィギュアを買うための道で、二人組に脅されてお金を巻き上げられてしまう。助けに 入ってきた見知らぬ少年は、ひたすら殴られ続けた。太一はフィギュアが手に入らなかったことと、なにもできなかった 自分が情けなくて悔しい思いに駆られた。数日後、関西弁であだ名が「てつじん」という転校生がやって来た。助けに 入った少年だった。太一と、秀才・義之、学級委員・千秋、乱暴者の王様・和真も、次第に鉄人の ペースに巻き込まれ、お互いの秘密を共有し合うことになる。そんなとき、彼らは頻発している通り魔事件を追うことになる。

「世界を変える」という鉄人の言葉や、不思議な存在の「仙人」や「忍者」「喧嘩屋」と呼ばれる大人の力を借り、 通り魔犯を追いつめていく小学生たちの、冒険物語です。決して強くはない、どこにでもいる彼らが望んだものを 手にするために、泣いたり喚いたりして、それでもあきらめないところに引きつけられます。小学生視点ではない描写が、 ときどき気になりますが、しっかり書こうという意思は伝わってきます。視点の制約からか、文章のリズム感のなさからか、読みづらさがあるのが惜しいです。

豊島ミホ

「リテイク・シックスティーン」

幻冬社

2010.2.8

高校に入学したばかりの沙織は、クラスメイトの孝子に「未来から来た」と告白される。未来の世界で27歳・無職だと 言うのだ。イケてなかった高校生活をやり直せば未来も変えられるはずだと、学祭、球技大会、海でのダブルデートと、 青春を積極的に楽しもうとする孝子に引きずられ、地味で堅実な沙織の日々も少しずつ変わっていく。

クラスの中の微妙な空気感が、グラデーションのように揺れ動いていきます。誰でも思う、人生をやり直せたらという ことをしているのに、孝子は修正のさじ加減の難しさに悩みます。沙織はそばにいながら、プライベートを口にしない お互いの関係に傷ついたり、喜んだり、不満をぶつけたり、まっすぐ前を見つめていきます。おもしろい設定だと 思ったのですが、考えてみれば高校時代のどんなシーンも、自分キャラも、理想的な姿などありません。ほんの少しの 選択の幅を広げるのさえ、大変な気がします。全体の構成が長過ぎて、せっかちなわたしはもっとザクザクと削りたく なりました。半分の量で押さえられるのではないでしょうか。

ヒキタクニオ

「My name is TAKETOO」

文芸春秋

2010.2.5

2060年、第18回「ペルフェクション」は、精神と肉体の限界が試される過酷なバレエ・コンクールだ。 5年間その頂点に立ち続けるフィリップ・K・武任(タケトウ)に、魔の手が静かに忍びよる。

設定を近未来とさせたので、インプラントや完璧に管理されたドーピングなど、肉体に関わる極端な要素が 無理なく感じられます。瓶割刀とか日本刀を使ったインプラントが、じつに鋭角的に金属の触感が伝わり、 痛覚を遮断する機械がありながら、肉体が受ける傷や痛みが読んでいて自分のことのように痛いです。 トップであり続ける葛藤、年齢的な肉体の衰え、次世代の台頭、そして陰謀が渦巻く世界は、現実の世界 そのままです。強靭な意思を持つ武任の心の動きは、強烈です。芸術としての究極の美のバレエは、 コンクールのステージが、まるで決闘の場のような臨場感と緊迫感に満ちています。すごい作家ですね。

宮下奈都

「スコーレNo.4」

光文社

2010.2.3

麻子、七葉、紗英の三姉妹は、一人一人の個性の違いがある。骨董品店の父が、麻子に見せる品物は どれも忘れられない美しいものだった。祖母の厳しく毅然とした姿勢は、受け入れるしかない完璧さだ。 ささやかな憧れのような恋は、麻子はそこに、何かを、誰かを、ほんとうには愛することができない苦しさを 知ってしまう。

麻子の、自分より華やかな名前と容姿の妹、七葉にコンプレックスを抱くこども時代の描写が 印象に残ります。こんなに丁寧に書き込める作家は久々の感じです。伏線とも違う、散りばめられた物や 人が、必ずしもラストで収斂するわけではないのですが、作者のこだわりが感じられます。そのステップを 踏まないと先に進めない、そして気付くと走り出している物語があります。

相沢沙呼

「午前零時のサンドリヨン」

東京創元社

2010.2.1

須川が、高校入学後に一目惚れした、不思議な雰囲気を持つクラスメイト・酉乃初は、実は凄腕のマジシャン だった。放課後にレストラン・バー『サンドリヨン』でマジックを披露する彼女は、須川たちが学校で巻き 込まれた不思議な事件を、抜群のマジックテクニックを駆使して鮮やかに解決する。それなのに、なぜか 人間関係には臆病で、心を閉ざしがちな初。

トランプを中心にしたマジックが、心を表すためにうまく使われています。多少類型的なキャラが気になりますが、 飛び抜けて才能があるわけでも、優等生でもない群像描写がいいですね。高校生ならではの、些細な言葉で 傷つけ合うシーンは、なかなか引きつけるものがあります。読んでいていらいらしてしまう須川のキャラを、 もう少しなんとかしてほしいのは、わたしだけでしょうか。でもとにかくおもしろいという最大の魅力があります。

小路幸也

「キサトア」

理論社

2010.1.29

世界的に評価されるほどの芸術家でもある12歳の少年アーチは、双子の妹キサとトアと父親の4人暮らしだ。 海辺の町に越してきて5年、家族は平和に暮していた。アーチは色の識別ができないが、物づくりが得意だった。 日が出ている間しか起きていられないキサと、日が沈んでいる間しか起きていられないトアを、父とアーチは交代で 見ている。風のエキスパートの父は風車の管理をしながら、簡易宿泊所も維持している。人々の思いやりの優しい町へ、 水のエキスパート・ミズヤさんが、水の流れを調査に来た。

アーチの視点から描かれる物語は実に繊細で美しいです。語り継がれてきた双子を生け贄にするという伝説や、水の 事故さえも、風や水の音とともに映像として印象に残ります。ラストのマッチ・タワー・コンテストも、忘れられない シーンになりました。父とミズヤさんが「自然を相手に仕事をしているということは、戦うのではなく、逆らわず、 あるがままに受け入れ感じるから、自然は彼らに応えてくれるのだ。 この世界は信じられないくらいの微妙で、繊細で、 かつ絶妙なバランスの上に成り立っているのだ。」と言った言葉も残ります。小路さんの作品の中でも、格別の1作です。

明野照葉

「澪つくし」

文芸春秋

2010.1.27

タクシー運転手の市橋は、カッパ寺から乗り込んだ女性が伝えた住所に向かう。だがそこではないらしい。 「大丈夫。走っていれば見つかりますよ」と言い、停車したところが女性の家だった。市橋は、家に上がり 麦茶を飲んだ。・・「かっぱタクシー」
夫の急死で酒に溺れていた和美は、元の仕事仲間の堀江からの強引な誘いで仕事に復帰した。最初の仕事が うまくいった祝勝会の3次会で、「三途BAR」で和美は夫の追想に浸る。見守るマスターには、霊がわかる らしい。・・「三途BAR」

8編の短編集です。異世界というのは別個な空間にあるというより、暮らしているそばに陰のように存在 しているのではないかと、思わせました。すっと目を向けさえすればそこにある感じです。そういう感触と ともに、人間の弱さ、もろさに向けられる視線の穏やかな暖かさがあります。怖い話なのに、どこかほっと させるうまさに感心しました。

橋本紡

「彩乃ちゃんのお告げ」

講談社

2010.1.25

素朴で真面目で礼儀正しくて、一見ふつうの5年生だけど彩乃ちゃんには、周りの人のちょっとした未来が 見えている。幸運をよぶ少女と、日々小さなことで迷っている人たちのひと夏のファンタジィだ。
ボランティアで石段を掘り起こすことになっ高校生のた辻村は、じりじりと夏の熱に灼かれながら、ひとりで 苦悶し自分の道を探していく。そこへお使いでおにぎりを届けにくる彩乃ちゃん・・。「石階段」

3編の短編集です。教祖さまの彩乃ちゃんは、ほんの少し行く道が見えます。周囲の人たちが、彩乃ちゃんを通して 自分の内面を見つめ直していくようすは、少し苦く、そしてほほえましいです。さらりとした描き方は少し物足り ないけれど、読後感のいい作品です。

ヒキタクニオ

「遠くて浅い海」

文芸春秋

2010.1.23

1972年本土復帰の沖縄で生を受けた天願圭一郎は、若くして新薬の開発に成功し、巨大な富を得る。相棒の蘭子と 滞在していた、将司は、沖縄でその天才を消す依頼を受けることになった。依頼主の小橋川が付けた条件は、彼を 殺すのではなく、自殺するよう仕向けてほしいというものだった。ほしいものに囲まれ、欲のない圭一郎を、 消し屋の将司はどうやって追い詰めていくのか。

正面からプロの殺し屋と名乗って圭一郎に近づき、猛スピードで走らせたバイクでチューブを駆け抜ける遊びに、 将司もおもしろがって参加するところがおもしろかったです。チタンのインゴットで作ったバイクや、チューブの 特殊な金属の説明も楽しめるし、自分がバイクで疾走していく感覚まで味わえました。圭一郎の過去を挿入する スタイルも、いいセンスだと思います。16歳で暴力団組織を潰したのも、心理作戦を駆使しての「遊び」でした。 記憶は脳に蓄積され、取り出す方法さえあればコンピュータ以上の記憶がある、というくだりや、脳の驚異的な 働きも新鮮でおもしろいです。ヒキタさん自身が、天才なのかも知れませんね。

中村弦

「ロスト・トレイン」

新潮社

2010.1.20

サラリーマンの牧村は、ふとした切っ掛けで鉄道マニアの平間と知り合い、平間のなじみの店「ぷらっとほーむ」で 酒を交わした。携帯電話を持たない平間との連絡は、駅の伝言板だった。幻の廃線跡の噂があることを平間から聞いて まもなく、姿を見せなくなり、牧村が心配して訪れた家で、彼の弟から失踪したことを告げられた。知り合った頃に もらっていた名刺から、廃線マニアの菜月に会うと、一緒に探そうと言ってくれた。たどり着いたのは岩手県の 霧古の森の草笛線だった。そこで二人は不思議な体験をする。

以前、鉄道博物館を見た時に鉄道ファンではなくても、引きつけられたことを思い出しました。全国の鉄道乗車を 果たしたり、打ち捨てられた廃線跡を目にしたいというマニアの気持ちを、うらやましく思いました。そして 幻想的な、霧古の森の草笛線にまつわる描き方は、究極のファンタジィです。想像が膨らみ映像的に浮かぶすばらしい 描写でした。どこか懐かしくせつない、鉄道の魅力というより魔力に近い世界があります。丁寧な構築と進展が まどろっこしいけれど、ラストのための布石と考えれば納得もいきます。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に思い入れの あるわたしとしては、良質の作家との出会いがうれしいです。

米澤穂信

「儚い羊たちの祝宴」

新潮社

2010.1.18

五編の連作です。「バベルの会」という学生サークルが少しずつ話に絡んで、 終話で繋がります。 昭和の頃のレトロな雰囲気の館で繰り広げられる話は、上流階級の傲慢さや残酷さが黒々とした空気を 作っています。ごく普通の暮らしを送っていたのに、ふとしたことで危うく揺れ、人を殺してしまいます。 もしかしたら自己完結しているのか、殺人に悪意や恨み、後悔といった感情がなく、そのずれてしまっている 心理が怖いです。米澤さんに、こういう作品があったのですね。読まずに来た世界でした。

ヘニング・マンケル

「目くらましの道 上・下」

創元社推理文庫

2010.1.15

夏の休暇を楽しみに待つ警部ヴァランダーは、農夫からの電話で呼び出された目の前の菜の花畑で、少女が焼身自殺を した。ショックに追い打ちをかけるように、殺人事件発生の通報が入った。被害者は元法務大臣で背中を斧で割られ、 頭皮の一部を髪の毛ごと剥ぎ取られていた。必死のヴァランダーたちの捜査をあざ笑うかのように、次々に事件が起きる。 現場の証拠や観察の勘から、連続殺人事件の匂いを嗅ぎ取ったヴァランダーは、決して有能とは言えない持てる能力 すべてをかき集めて推理を展開する。だがまた事件は続き、さらにヴァランダーにも魔の手が伸びる。

猟奇殺人とも言うべき悲惨な事件を扱いながら、ヴァランダーが父と娘を思う気持ちと葛藤があり、犯人像も人間性を 持たせた描き方が、大変魅力的です。北欧のスウェーデンの理想的な社会福祉国家で起きる、悲惨な事件で ありながら、さりげない風景や行き交う車にまで美しいと感じさせる空気感があります。人を思う気持ちの強さに、 胸を打たれます。久しぶりにいい作家と出会えたという感じです。シリーズもののようですので、何作か読んで みたいと思います。

越谷オサム

「ボーナス・トラック」

2010.1.13

ハンバーガーショップで働く真面目で不器用な草野は、ある雨の晩、ひき逃げを目撃したばかりに、死んだ 若者の幽霊にまとわりつかれてしまう。だが死んでしまった亮太には悲壮感がまったくなく、お調子者だった。 草野は幽霊の亮太と一緒に、犯人探しをすることになった。

幽霊のキャラがおもしろいです。現実にいたら軽薄短小そのものですが、一瞬見せる悲痛な表情がせつないです。 バーガーショップの裏側や、二人のプロレス・ゲームのやりとりもおもしろく、ラストへの伏線もうまいですね。 細かな日常動作の描き方もいいし、幽霊の消え方もきれいです。死後もいいかも知れない、捨てたもんじゃないと 思ったことは、一人胸にしまっておきたいです。

明野照葉

「ひとごろし」

2010.1.12

フリーライターの野本泰史は、なじみの店「琥珀亭」で新顔の弓恵と出会う。はかなげな弓恵に少しづつ 惹かれていく。だが、店主夫婦はの態度がなんとなく弓恵に気を遣っていて、弓恵とは関わるなと言う。 妹からはときどきメールが来たり、たまに食事に誘う。妹までも弓恵を警戒した。

ずるずると女性に引っ張られていく男性の鈍さに、読んでいていらいらしました。前半は弓恵のミステリ アスな過去を探るという進み方でしたが、途中から思い込みや狂気が暴走する展開に、がらりと変わりました。 読ませる力があるので、なんとか読み終えましたが、女性の粘着質な執着が後味を悪くさせてしまいます。

道尾秀介

「花と流れ星」

幻冬舎

2010.1.8

霊現象探求所の真備は、売れないホラー作家の道尾とバーで会ったマジシャンに、彼が過去に彼自身の右手首を 消し てしまったトリックを言い当ててみろ、と迫られた。 もしできなければ、二人の右手を消す、というのだ。 ・・「モルグ街の奇術」
霊現象探求所には、傷ついた心を持った人たちがふらりと訪れる。友人の両親を殺した犯人を見つけたい少年。 拾った仔猫を殺してしまった少女。自分のせいで孫を亡くした老人。彼らには、誰にも打ち明けられない秘密が あった。

5編の短編集です。道尾さんの短編はいままであまりストンと落ちてこなかったのですが、今回はうまいと 思いました。秀逸は強烈な印象を残す「モルグ街の奇術」と、ラストの悲哀に満ちた「花と氷」です。 長編だけではなく短編がうまいというのは、切り取り方が鮮やかになった証だと思います。

越谷オサム

「階段途中のビッグ・ノイズ」

幻冬舎

2010.1.6

先輩たちの引き起こした事件のせいで、伝統ある軽音楽部が廃部になってしまう。暑い夏、 がけっぷちに立たされた啓人は、幽霊部員だった伸太郎に引きずられ、メンバーを集めていく。 だが、部室もないため階段途中での練習に騒音クレームがつき、蒸し暑い環境でやることになる。 顧問の加藤は、ただ仕事をしながら形だけの役割を務めていた。ガチガチに縛ろうとする教師への 反発、同級生への恋、不協和音の部員たちはどうなるのか。それでも文化祭は近づいてくる。 だが、かろうじてノッてきた軽音楽部にとんでもない事件が起きる。

ベタな青春小説ですが、存続をかけた部の復活にもどうしたらいいかわからない啓人は、教師に 対し声をあげられないだめキャラです。周りから支えられてようやく動き出します。その辺りが いいのかも知れません。高校時代の空気感が伝わってきます。教師側の苦悩も描かれた点は、これ までにない面だと思います。よくある類型的なキャラが多い中で、顧問が際立っておもしろいです。 予想通りの結末ですが、 いい気分で読み終えました。

宮下奈都

「よろこびの歌」

実業之日本社

2010.1.4

御木元玲は著名なヴァイオリニストを母に持ち、声楽家を目指していたが音大附属高校の受験に失敗 してしまう。新設女子校の普通科に進むが、挫折感から同級生との交わりを拒み、母親へのコンプ レックスからも抜け出せない。しかし、おなじくどこか挫折感を抱えたクラスメイトの千夏、早希、 史香、佳子、ひかりたちと過ごし、合唱コンクールを機に、頑なだった玲の心に変化が生まれる。

高校生の頃の自分がどんな感情を抱えてたのか、忘れていた部分を思い出した気分です。彼女たち 一人一人の物語が、心の揺れが、繊細に丁寧に積みあげられ、最後の1話で、みごとに収斂されます。 感情に走らず冷静でいてきちんと書ける貴重な作家かも知れません。出だしはよくある話なので、読むのを 止めようかと思いながら次第に引き込まれて読みました。児童書(高校生の)としてもきれいな作品です。

小路幸也

「僕たちの話をしよう」

メディアファクトリー

2010.1.2

インターネットも携帯電話も通じない深い山奥から、舞という少女が飛ばした赤い風船が 運んだ手紙が、受け取った同じ小学生から返事が届き、文通が始まる。どれほど遠くの ものでも見えてしまう健一、どんな匂いもかぎわける麻里安、そしてあらゆる音を拾う 耳を持つ隼人。不思議なチカラを備えた3人は集い、少女に会いに行くことを決めるが、 思いがけない事件が起きる。

それぞれが抱える家族との暮らしが見え、子どもだから制約される行動が、大人と子どもの 中間的な役割を果たすカンザキが救ってくれます。事件が少し浅いのはやむを得ないところ ですが、この分量の中で冒険ストーリーをきちんと終わらせてくれます。いつも読後これは 児童書かも知れないという思いを深めています。


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