読書日記

デヴィッド・ヒューソン

「ヴェネツィアの悪魔 上・下」

ランダムハウス講談社

2008.12.20

10年前に殺されたバイオリニストの墓から、ガルネリのバイオリンが盗まれた。 ヴェネツィアの骨董商・スカッキの館にアルバイトとしてやってきたイギリスの ダニエルは、地下で見つけた作者不詳の楽譜を自分の作品として発表するはめに 陥ってしまう。18世紀に起きた悲劇を追ううち、スカッキが殺害され、ダニエルの 周囲で不穏な動きが渦巻く。

演奏の場面描写がすごいです。18世紀から続く歴史や空気が、街を包み、人々を 動かしていく壮大な物語です。ダニエルの視点と、一人称の視点のふたつから語られる 構成もうまいです。なによりも黒々とした陰謀や、人の心の裏側まで描き切る力は、 特筆すべきものがあります。他の作品も読んでみたいです。

道尾秀介

「シャドウ」

東京創元社

2008.12.17

我茂洋一郎は妻の咲恵をガンで失った。残されたのは小学生の凰介との静かな 暮らしだった。幼なじみの水城徹と妻の恵、娘の亜紀が心配をしていた。親子2代が それぞれに同級生という付き合いだった。洋一郎と水城は同じ相模医科大学で 仕事をしている。二人はそれぞれに、秘かに精神薬を飲んでいた。そんなころ、 水城が研究室に残っていた夜、その屋上から恵が投身自殺をした。家に残されいた 遺書らしいメモを、亜紀は見つけたが知らなかったことにした。凰介はときどき 見る不思議な映像に思い悩んでいた。そんな二つの家族を心配していた田地教授に、 相談してみる。

二つの家族それぞれの視点から、起きていることを描き分け、複雑な過去の記憶も、 自殺の件も、次第に明らかになっていきます。けれど絡まった人間関係が、まったく別な 表情を見せていくのが、構成のうまさと相まって収斂されていきます。裏の裏の裏。 道尾さん、やりますね。

畠中恵

「いっちばん」

新潮社

2008.12.15

病気がちな薬種問屋長崎屋の若旦那は、近所の菓子屋の栄吉が修行に行っている 安野屋で栄吉の腕が上達したのか、気になっている。こそ泥に入った八助は主人に 助けられ、腕を買われ菓子作りを手伝うことになる。それを見て栄吉は肩を落とし、 菓子作りを止めようかと思う。だが八助の言動に不審なものを感じた栄吉は、店の 被害を食い止める。主人の褒め言葉と若旦那の励ましに、菓子作りへの道を貫く ことを肝に銘ずる。

しゃばけシリーズで、5編の短編集です。鳴家たち怪しの者たちの、設定キャラに ほっとしてしまいました。最近の畠中さんの剣呑さに、胸を痛めていたのです。 それでも各事件は以前とは違う、味が加わっています。よく言えば大人になって 人間の心理を描くようになったし、それがまた初期の手放しで楽しいとは言えない 感じもあります。作家としての、これからの大変さを思います。

コーマック・マッカーシー

「ザ・ロード」

早川書房

2008.12.12

破滅が間近い世界では、灰が降り積もり寒くなっていく。動物や植物も死に絶えている。 生き残ったわずかな人間が、南を目指す。父親と幼い息子が、カートにわずかな荷物を 乗せて歩く道を遮る者がいる。盗賊や人狩りが横行する中を、必死に生き延びようと、 二人は身を隠しながら進んでいく。時にはほかの弱者を助けようとする息子の天使の心を、 どこまで維持できるのか。父は最後まで、息子に火を運び続けることを託そうとする。

おそらく近未来を見るような、食料も衣服も、そして希望も見いだせない世界に、胸を 打たれます。モノトーンの物語に、引込まれてしまいました。訳の黒原敏行もみごとです。 マッカーシーは2作目ですが、すごい作家ですね。

橋本紡

「橋をめぐる」

文迎春秋

2008.12.9

深川を中心にした周囲の6本の橋をめぐる短編集です。隅田川の花火が、 地元の人にとっては昔からあるお祭りのひとつだというのは、新しい発見 でした。家を出て東京で仕事をしていて、ふと戻ってきた姉と、迎える弟の 話。元銀座一のバーテンが営む、小さなバー。志望校を家庭の事情から諦め るしかないのかと悩む高校生と、幼なじみたちが渡る堤防の上の風景。両親の 不仲から祖父に預けられた小学生が、地域ぐるみの繋がりのある地で感じる 温かい人と人との関係。

そんな忘れかけた、育った街の空気がとてもうまく伝わってきます。もしかしたら、 大切なものはもうすでに失われているかもしれないけれど、手に握りしめていたいと 思わせてくれる暖かなストーリーです。

C・J・ボックス

「ブルー・ヘブン」

ハヤカワ文庫

2008.12.5

12歳の少女アニーと弟・ウィリアムは、森で銃殺現場を見てしまう。 犯人4人に追われ、必死に森を逃げ寂れた牧場に入り込む。牧場主・ジェスは 幼い二人を匿い、保安官への協力を装った元警察官の犯人たちと対決する。 牧場を再建するための銀行家・ハーンと、秘かにある事件を調べていた元刑事・ ヴィアトロも加わり、二人を母モニカの元へ帰そうとするが・・・。

息をつかせない展開のスピード感と、二人の必死の知恵と、ジェスたちの策が、 犯人たちの巧妙さとが、うまく絡まっておもしろかったです。そしてモニカは もちろん、ジェスの家族との関係を築いていく物語が織り込まれていて、うまい 作家です。結末の着け方はアメリカならではという印象ですが、やむを得ない ところでしょう。

初野晴

「退出ゲーム」

角川書店

2008.12.2

高校の文化祭を前に、1年のチカはフルートで吹奏楽部、幼なじみのハルタと共に 化学部から盗まれた猛毒の硫酸銅の結晶を探すことになった。校内の掲示板には 脅迫状が張り出された。このままでは文化祭が中止になる。部活の存続を賭けて、 二人は必死になっていく。

4作の連続短編集です。細かな伏線やひねりも考えてあり、楽しめます。軽く 読めてしまい、チカに振り回されながらも謎を解いていくハルタのキャラも いい設定だと思います。

麻見和史

「真夜中のタランテラ」

東京創元社

2008.11.28

公園で両足を切断されたダンサー・志摩子の死体と、近くで赤いダンス靴をつけた義足が発見された。 猟奇的な犯人なのか。「仲井義肢」は会社の看板とも言える、義足のダンサー・志摩子の義足の 製作もしていた。営業の徹は、病院の医師とともに患者に最適の義肢を作ろうとしている。 志摩子殺人事件は、会社を潰すことが目的なのか。兄のように頼りにしている、再生医療の 研究をしている鴇(とき)や、義足ユーザーの妹の奈緒と一緒に、事件の解明に乗り出す。 だが今度は奈緒が誘拐されてしまう。

童話「赤い靴」の怖さとともに、進行していく展開に引込まれてしまいました。義足の 仕組みとユーザーの心理も初めて知りました。ホラーかと思わせるほどの、そくぞくと した怖さがあるものの、描かれている人間像はごく普通の生活者です。うまくバランスを 取っていると思います。そして捻りのあるラストもなかなかです。ただ、最後に犯人の 側の視点での説明は、蛇足かも知れません。全体の中に書き込むべきだったと思います。

不知火京介

「マッチメイク」

講談社文庫

2008.11.26

派手な流血シーンも、ショーとして売り物にするプロレスで異変が起きた。額を割られたダリウス佐々木が、 蛇毒で死亡する。殺人か事故死か。謎のダイイング・メッセージ。新人の山田聡は、同期で経理もわかる 本庄と、謎を解明しようとする。華やかなリングでの活躍と、それを裏で支えるシナリオを作るマッチ メーカーや、無名のレスラーたちの存在も、次第に見えてくる。だが前座レスラー丹下が、240キロの バーベルを首に落として死に、脅迫めいたカッターや不祝儀袋が送りつけられると、山田は震え上がった。

プロレスの世界を知らない読者にも、わかるようなストーリーになっています。ただ事件と、レスラーの 心理まで描くのはかなり難しかったのではないでしょうか。ラストの盛り上げが少なく、さらりとし過ぎて います。もっと揺さぶりがほしかったです。全体のバランスの悪さが惜しまれます。

辻村深月

「ロードムービー」

講談社

2008.11.21

小学生のトシとワタルは、家出をした。ワタルのいじめをかばったトシは、今度は トシがクラス全体からのいじめを受けてしまった。それでもずっと夢だった児童会長に 立候補し、ポスターを破かれたり、妨害されながらも最後の演説会に臨んだ。いつもは おどおどしているワタルの、必死な応援演説が受け入れられた。それでも二人で家出をする 理由があったのだ。

3編のストーリーに、不覚にも涙が出てしまいました。辻村さんは、児童書を書こうとした わけではなく、しっかりと子どもの心を描きながら、伝える目線はきっちりと大人に向け られています。子どもの頃の自分を思い出してしまいました。うまく言葉を大人に届け られない小学生や中学生と、その橋渡し役の大学生やおばあちゃんがいいですね。こんなに 深く子どもの心を描く作家に、毎作やられてしまいます。次作も楽しみです。

小路幸也

「空へ向かう花」

講談社

2008.11.19

祖父と二人で住んでいる古いビルの屋上で、カホは屋上から飛び降りそうなハルを止めた。花屋で アルバイトをしている学生キッペイの助言で、カホはハルとも一緒に屋上に花の庭園を作ることにした。 事故で死んだユキナを喜ばせようと考えたのだった。そんな矢先、祖父が急死する。カホは、庭園は どうなるのか。

カホに関わるそれぞれの人の視点で、短く描かれている心は、みな背負いきれないほどの重さを抱えています。 家庭の崩壊という状況で、子どもたちが大人が考える以上に、深く考え抜き生きていこうとします。 傷つきやすく、でもたくましい子どもたちの姿が、印象的です。

真藤順丈

「地図男」

メディアファクトリー

2008.11.17

俺が仕事で移動中に、ときどき出会った「地図男」は付箋や紙切れを挟んだ関東の大きな 地図帳を持ち、道を尋ねると途端に饒舌になった。次々に語られる物語は終わることを知らない。 見せてもらうと俺は、つい、そこに書かれた物語を読んでしまうのだった。3歳で音楽の天才児。 東京23区の区章をめぐる戦い。奥多摩のムサシとアキルの恋物語。だが、仕事先の西東京で 会ったとき、地図男は満身創痍で地図も破られ瀕死の状態だった。

関東を駆け巡る妄想物語という雰囲気があります。センテンスの短さが、独特のリズム感を持ち、 ぐいぐい引込まれていきます。最後はもっと地図に書き込まれた物語を、読みたい欲求に駆られて しまう不思議な作家ですね。

七河迦南

「七つの海を照らす星」

東京創元社

2008.11.14

児童養護施設「七海学園」には、さまざまな事情から家庭で暮らせない子どもたちが 暮らしている。保育士・北沢春菜は、子どもたちの間で噂になっている幽霊話を、 確かめようとする。児童相談所の海王さんに相談すると、思いがけない真実が見えてくる。 幽霊を見た子に真実を告げるかどうか。不思議を不思議のままに、受け入れてもいいのでは ないのか。

7話の不思議によって紡ぎ出される、子どもたちを通して見える大人の世界の複雑さと、 それに振り回され傷つく子どもたちの心の描写がいいです。6つの不思議現象と、7話への 収斂がみごとです。意外性もありながら、作者の誠実さが伝わってきます。それを見守って いる大人の姿にも、生きぬこうとする子どもの姿にも、胸を打たれます。読みながら、 優しい気持ちを自分の中に、見いだした感じがします。

道尾秀介

「ラットマン」

光文社

2008.11.12

姫川亮たちは小さなスタジオを借りて、長いことバンドの練習をしていた。 経営者の野際は、きょうでスタジオを閉めると告げた。竹内、谷尾と桂はこれから 先のことを考えなければならなかった。最後の練習に熱が入る。前任のドラムで桂の 姉・ひかりは倉庫で野際から頼まれ、機材の整理をしていた。練習が終わった時、 野際がいないことに気付き探しているうちに、倉庫で死んでいるひかりを発見する。

亮と桂とひかり。それぞれの心の奥に抱えている過去の傷に、浮かび上がらせようとする ために、時間的な遡行が煩わしさともどかしさを感じます。けれど事件の真相と二重の 真相もうまく処理されて、好感が持てます。善意と、言葉で伝わりにくい心を巧みに 描いていると思います。他の作品も読んでみたい作家です。

黒武洋

「そして粛正の扉を」

新潮社

2008.11.11

高校の卒業式前日、ひとクラス29名を人質に担任教師・近藤亜矢子がナイフと拳銃で立てこもった。 いままでオドオドとしていた亜矢子が豹変し、生徒たちの悪行を理由に次々と殺していった。警察や 特殊部隊、多数のメディアが取り囲む中、校内放送で亜矢子に呼びかけることにした。警視庁捜査 第一課特捜班の弦間は教室に潜入に成功するが、撃たれて重症を負う。身代わり交換として、唯一 教室から解放された林小織からの情報と、生徒の携帯電話からの亜矢子の要求はとんでもないもの だった。総額5億円、生徒一人当り2,000万円の身代金が要求された。

テンポのいい展開に引込まれてしまいます。恐喝や放火、暴行、殺人とあらゆる悪行を重ねていながら、 責任を負うことがない高校生という立場。生徒の裏の顔が暴かれると、死んだ方がいいのかもと納得 しそうな自分に驚きました。殺人者側の論理だけでのラストは、少しでき過ぎている感じもありますが、 うまくまとめています。凄惨な事件なのに、さらりと描いているので読後感は悪くはありません。

北森鴻

「虚栄の肖像」

文芸春秋

2008.11.7

花師であり絵画修復師でもある佐月恭壱のもとに、肖像画の修復の依頼があった。 報酬は古備前の壷という破格のものだった。多くを語らない依頼主の調査を、花師の 手伝いをしている善ジイに頼むと、収集品は多いものの、行き詰まった大家だった。 だが引き受ける直前に火事で、大きな損傷を受けてしまったという。行きつけのバーの 朱明花とその父・朱大人も絡んでいるらしい。恭壱は己を納得させて修復にかかるが キャンバスの中に何かを隠し、取り去った形跡が見つかる。

北森さんのこのシリーズは、力が入っていますね。人物の配置も絡み方も、人物像も じつに怪しく存在感があります。冬の狐の骨董商も、かつての恋人も登場します。 なによりも、3点の絵画修復の細部のおもしろさに引きつけられてしまいます。 ラストの秘絵の章は、彫り師や縛り師も絡み、濃く危ない世界に落ち込みそうでいて、 ぎりぎりのところで踏みとどまっていて、ぞくぞくさせられます。北森さんの深さが ますます魅力を発揮した作品です。年末の賞を狙っているのでしょうか。

ジョー・R・ランズデール

「ロスト・エコー」

ハヤカワ文庫

2008.11.5

子どもの頃片耳が聞こえなくなったハリーは、成長とともに聴力を回復し、同時にその場の音を きっかけに過去の事件を見えるようになった。だが口にしても誰にも信じてはもらえなかった。 大学生になり幼なじみのタリーと出会い、恋に落ちる。だが彼女の父の死にまつわる映像を見て しまい、苦しむことになる。知り合いのタッドに話し、一緒に事件を調べることになる。

聴力と過去の映像という、おもしろい設定でした。SF的要素と、ハリーの正義感で動く冒険ものと して読むか、微妙な感じです。楽しめたのですが、先がわかるので途中読むのに飽きてしまいました。 ラストは警察も絡んでの華やかな活躍です。

森見登美彦

「美女と竹林」

光文社

2008.10.31

竹林を愛してやまない登美彦氏は、知り合いの所有する竹林の整備を買って出る。竹取物語から始まる、 竹林への妄想を膨らませる登美彦氏は、重労働に懲りもせず作家として締め切りに追われながら、なんとか 伐採や筍取りに出かける。

キャラ登美彦氏が、どこまで作家本人と重なるのか、苦笑しながら妄想に付き合った感じでした。 いままでの作品とは別な、困った顔がちらりと見えたような気がしました。作品としては残念ながら、 あまりおもしろいとは言えないのですが、読ませてしまうのです。

広瀬正

「マイナス・ゼロ」

集英社文庫

2008.10.30

空襲を受けた時小学生だった俊夫は、隣に住む大学教授から死の間際に依頼 されたことを実行するため、31歳なったある日、かつて住んでいた家の隣を 訪れた。及川は自由に使っていいと研究室のドームを貸してくれた。約束の 12時にドームのドアを開くと、教授の娘が戦時中当時のまま現れた。二人で 話し合ううちドームがタイム・マシンだと気付き、操作をすると昭和7年に飛んで しまった。

マシンの設定もおもしろいです。時間逆行のパラドックスも、うまく取り入れ られています。前作からの想像から、騙されまいと思いながら読んでしまい ましたが、それでもやられたなという印象があります。細部の描写の巧みさが、 どんな設定も「有り」な気分にさせられます。うまい作家です。

ジョゼフ・フィンダー

「解雇通告 上・下」

2008.10.28

家具メーカー・ストラットン社最高経営責任者・ニックは、反抗期の息子のルーカスと、甘えん坊の娘・ ジュリアと暮らしていた。3人は1年前に妻のローラを交通事故で亡くした傷から、まだ立ち直れなかった。 だが仕事では大規模なレイオフを行ない、「首切りニック」とうらまれても会社の経営に全力を尽くして いた。ニックは仕事に忙殺され、家族の安全は要塞村と呼ばれる強力な警備地区に住み、監視装備を 万全にしていた。それでも室内に悪戯書きがされ、愛犬が殺される。ハイスクールからの友人で、会社の 保安主任エディーの勧めで監視カメラの設置も追加した。だが深夜、庭に侵入してきた男を阻止しようと して、ニックは男を撃ってしまう。呆然とするニックに、エディーは死体の処理を請け負う。会社では、 自分の知らないところで製造部署や取引先のおかしな動きがあり、ニックはその対抗策に頭を痛めている。 さらに殺人課の刑事がさぐりを入れてくる。

豪華な映画を見るような読みやすさと展開のうまさが際立ち、ラストのどんでん返しも期待通りで決して 読み手を飽きさせません。上下巻があっというまに読めてしまいます。正義と真実の曖昧なラインをどこに 引くのか。いかにもアメリカ的な論理ですが、楽しめるのも確かです。手堅い作家ですね。

ポール・オースター

「鍵のかかった部屋」

白水社

2008.10.24

批評家の「僕」のもとに、親友ファンショーの妻・ソフィーから、夫が失踪し依頼したい件があると 連絡が入る。幼い子を抱いたソフィーが、ファンショーの膨大な書き残した作品を出版できないかと 持ちかける。原稿を読むにつれ、子どもの頃からのファンショーを思い出し、出版に漕ぎ着ける決意を 固めた。そしてソフィーへの恋心から結婚も申し込む。ファンショーの本からは決められた手数料が 入り、暮らしの心配もなかった。そんな時、差出人がない手紙が来た。出版への礼と、ソフィーと子どもの ことを頼むということ、手紙の件を秘密にしてほしいというものだった。衝撃を押し隠し、「僕」は ファンショーの伝記を書こうと考える。

確かな始まりがあるストーリーのはずが、いつもまにか「僕」とファンショーの境界が曖昧になって いく、迷走の世界でした。しかも破滅に向かって突き進んでいくのです。自己と他者との区別が 曖昧になる狂気と、現実への着地の葛藤がみごとに描かれています。記憶や思い出という、曖昧さも 見つめる機会になりました。オースターの3部作のひとつです。おもしろいです。

普照大督

「声を出してはいけない授業」

文芸社

2008.10.20

黙っているだけで望みのものがもらえる授業。チラシを見て応募した年齢も職業も ばらばらな6人に、奇妙なルールが説明される。声を出さずに講師の質問に答えると いうものだった。講師のあおる発言に思わず声を出した者が、次々に退場させられる。

タイトルのおもしろさに引かれて読みました。一人一人の視点が、必ずしも効果的な 描写ができていないのが残念です。設定も悪くはないのに、底の浅さが致命的です。

角田光代

「八日目の蝉」

中央公論社

2008.10.17

希和子は見るだけと思って忍び込んだ家から、赤ん坊を連れ去ってしまう。薫と名付けて、 友人の家に隠れたが、落ち着こうとして東京から名古屋に移動した。廃墟寸前の家の老婆に 拾われ、そこで暮らすうちエンぜルハウスを知った。新聞に指名手配されていたことから、 怪しい集団と思いつつ、ハウスに入ることにした。奇妙な研修を受け、意志を持つことを 禁じられていたが、薫を育てられることが何よりの喜びだった。だが、ハウスが社会問題視 されるようになり警察が介入すると知った希和子は、3歳になった薫を連れて逃げ出した。

前半は逃亡しながら子育てをする希和子の側から、後半は大人になった薫(本名:恵理菜)の 視点で描かれています。見つかるかもしれないというはらはらした心境と、子どもへのあまやかな 愛情が不思議なバランスで納得できてしまいます。恵理菜の、実の両親との暮らしの軋轢が 皮肉です。子どもの一番可愛い時期を奪われたことは、確かに悲惨なものがあるのだろうと思います。 両親と希和子の愛憎劇も、一歩突き放して描かれているので、読み手は救われます。ラストが 美しく、もどかしく、それぞれの生きていく希望を想像させる印象的なものでした。

不知火京介

「ただいま」

光文社

2008.10.15

社会人になって初めての小学校の同窓会に出た僕たちは、懐かしいアルバムに見知らぬ美少女が いることに気がつく。1学年20人足らずなのに、誰も覚えていないという。学校の資料を調べると、 短期間在籍していた松村美沙だとわかる。成績もオール5で通して美人なのに、誰の記憶にも 残っていない美沙。僕は蔵にしまい込んだ日記や年賀状などから、人の記憶から消えやすいタイプの 人間だと知る。そして何度も美沙と出会い、その都度好きになり手紙を交換していた。美沙の親戚を 通して知った住所に思いを書いた手紙を出し、ついに返事がきた。・・・「ただいま」

6編の短編集です。どの作品も児童書になりそうなくらい、淡い子どもの頃の記憶や思い出が美しく、 はかないのです。それを大人になったいま、再認識して現実との接点を再構築していくストーリーに なっています。綿菓子を食べたような、味わい続けていたい作品だと思います。文章の美しさとも 相まって、魅力的な作家です。どんな作品世界なのか、他の作品も読んでみたいです。

石崎幸二

「日曜日の沈黙」

講談社ノベルス

2008.10.14

高原ホテル美和「ミステリィの館」にモニターとして招待された、ミリアとユリは高校の部活動と 称して、参加していた。バスでたまたま一緒になった石崎に、ちゃっかり荷物を持たせて気楽に楽 しもうという魂胆だった。モニターにはミステリー作家・那賀や評論家、大学生が参加していた。 作家の故・来木来人の資料館を兼ねる館で、未発表資料を探すことになるが、一行の中の一人が クロワッサンの毒で倒れる。二人目は、厨房で炎に包まれ、三人目は浴槽でおぼれた。次の標的は 誰か。

殺人イベントを通して、モニターに課せられた真の目的を探させるという趣向です。本のタイトルや 殺人手段を、分析していく高校生と石崎の軽いノリを、楽しめる本です。キャラとしては個性が、 いまひとつなのが残念です。

リチャード・パワーズ

「われらが歌う時 上・下」

新潮社

2008.10.12

ニューヨークで、ユダヤ人物理学者デイヴィッドと黒人音楽生の歌手ディーリアが恋に落ちた。 3人の子どもが生まれた。天才声楽家の兄・ジョナ、凡庸なピアニストの弟・ジョーイ、音楽に 天賦の才を持ちながらも尖鋭的な活動家となってゆく妹・ルース。家庭教育から少年期に音楽を 開花させ、音楽学校で磨いていく。たくさんのことを学ぶことになる教師の影響力は大きく、 ジョナは自身の価値観で教師も選んでいく。中でも、赤毛のリセットは地方公演をセットし、 経験を積むことができた。ジョナはリセットに恋をしたが、父の生まれが別れを決定的なものにした。 生まれたときからの人種差別と、そこを生き抜くパワーを持ってきた家族は、やがて歴史的な 激流の解放運動に、翻弄されていく。音楽は、時間は、家族を再びつなぐ絆となれるのか。

三代に及ぶ壮大な物語は、しっかりした構成と、細部のすべてに及ぶ周到な描写がすばらしいです。 すべてが悲劇ではあるけれど、ラストも納得させてくれます。家族との深くて濃い繋がりゆえに、 揺らぎながらも自分の立ち位置を作ろうとあがく、ジョーイの視点から描くことで、さらに物語に 厚みを加えたと思います。

それにしても、歌声やピアノの描写がすばらしいです。声の艶までが聞こえ、一緒に同じ音楽を 演奏しているような気になります。伴奏をするジョーイのピアノを弾いているときの心理も、 どきどきする臨場感があります。音楽というある種の閉じられた世界から、音楽を通して見えてくる 社会や政治が、だからこそ強烈に胸を打ちます。一滴でも黒人の血が混じるとたとえ肌が白くても 黒人なのだと、音楽で人種を超越することはできない絶望的な社会を嫌という程味わい、だから自分の 子を持つことに自信が持てない兄弟の姿が強烈です。

全体のストーリー展開も、細部の展開までも一行も飛ばし読みしたくないと思ってしまいます。 上下巻の先を早く読みたいのと、ゆっくり味わいたいジレンマを感じながら、引込まれて読みました。 人種の問題に触れることの少ない日本で、是非読んでほしい本です。

心に残る歌の一節があります。
「鳥と魚は恋に落ちることができる
けれど、愛の巣はどこに築くというのか」

吉田修一

「ひなた」

光文社

2008.10.6

ファッションブランド会社に就職した元ヤンキーのレイと、付き合っている尚純は小学校の同級生 だった。尚純の兄・浩一と奥さんの桂子さんが、同居することになる。レイは仕事で桂子さんの力を 借りることがあった。両親は、仕事でバンコクに行くことになった。そんなとき浩一の親友・田辺が 居候することになる。田辺のなにやら不穏な空気が、家族の間の見えなかったものをあぶり出していく。

それぞれの登場人物視点で描かれる、「日常」の言葉の積み重ねが、いつのまにか気付くと深い意味を 持ってきます。尚純がかつての母親の「男」と再会してしまうとか、小さなほころびがいま立っている 世界を揺るがしてしまいそうになります。吉田さんの着眼点が、おもしろいです。人と人との関係の もろさやその奥にあるものが、姿を現しそうになり、危ういところで踏みとどまります。微妙なバランスが 少し安心できます。

広瀬正

「鏡の国のアリス」

集英社文庫

2008.10.3

美容整形外科医のもとを訪れた木崎浩一の相談とは、不思議なものだった。銭湯で確かに 男湯に入っていたのが、突然女湯に変わってしまい変態扱いされて逃げ出した。アパートに 戻ろうとしたが、アパートがない。知っている場所の左右の位置が逆に見えた。目にする 文字がすべて鏡文字に見える。刑事の口利きで、左利きの研究をしている朝比奈の家に世話に なることになった。数人の家族も左利き(浩一にとっては右利き)だった。「鏡の国のアリス」の ことを教えられた浩一に、朝比奈は元の世界に戻る方法を教えてくれた。だが・・・。

まさに「鏡の国のアリス」の世界を体験する男の話が、朝比奈により論理的に説明されていく ことにより、読者は一層迷わされることになります。左利き用のサックスにより、その世界での アイデンティティを確立していく過程も、楽しめます。ラストの提示は、さらに世界が曖昧な 存在だと考えさせてくれます。おもしろい世界ですね、広瀬さん。

ドゥニ・ゲジ

「ゼロの迷宮」

角川書店

2008.9.30

アエメールは、5,000年前のメソポタミアのウルクで女神イナンナの女大祭司として、 数字の書き方を学んでいた。クギと山形と線で表す60進法のやり方は、とても難しかった。 2,500年前バビロンでは、アエメールは夢占い師で、2本の斜めのクギを発明した。1,300年前の バグダットでは、奴隷の踊り子のアエメールは、盗賊からついにスンカ=ゼロを学び取り、 2003年のバグダットに考古学者として現れる。

それぞれの時代の人々が、アエメールという女性との関わりを持ち、恋をしたり友情を感じ たりしていきます。自由人としてのアエメールの探究心と、毅然とした生き方が印象的です。 ゼロとはなにか。数学に多少の関心を持った人なら、一度は聞く命題です。ゼロの歴史を 5,000年間の愛のストーリーに仕上げた作品として、描いて見せるうまさに脱帽です。 難しい数学ではなく、ラブストーリー、冒険物語として楽しめます。

ポール・オースター

「幽霊たち」

新潮文庫

2008.9.26

ニューヨークの探偵・ブルーに、変装をしていると人目でわかるホワイトから、ブラックという 人物の長期の調査依頼があった。ブラックの真向かいのアパートの一室が与えられ、週一回の 報告書を送ると、報酬の小切手が送られてくる。作家なのか毎日机に向かうブラックは、単調な 日々を送っていた。ブルーは次第に恋人と会おうという気持ちが薄れてくるほど、ブラックの 監視にのめり込んで行く。

なんとも不思議な味わいの作品でした。ブルーがブラックを深く知って行くことで起きる、いら立ちが 読者にも感染してくるのです。もう、やめようよと思うと、ブルーがブラックへの接触を試みます。 そして女とレストランに入るブラックと、同じ食事をし観察するブルーとが、奇妙に同化して見えて くるのです。まるでメビウスの輪のように、次第にどこが始まりでどこが終わりなのか、自分は誰で 相手が誰なのかが、曖昧になって行く世界に目眩がしそうです。モノクロ映画で無音声で、ブルーの 内面をナレーションで流しているような雰囲気です。122ページの短さの中に、平凡な日常から破綻し 狂気に捕われて行く、濃縮されたストーリーが詰まっていようとは。3部作のほかの2作も読んで みたいと思いました。

広瀬正

「ツィス」

集英社文庫

2008.9.24

神奈川県C市の病院の医師・秋葉は、耳鳴りの症状を訴えるのり子の話を聞く。絶えず、 557ヘルツのツィス音(ドの#)が鳴っているのだと言う。秋葉は友人の紹介で音響学の 日比野教授に相談すると、特別の探査装置を製作し調査を開始することになった。次第に 音量が増していく音を、日比野はTV番組で取り上げてもらい、市民からの情報を収集した。 毎日の帯番組で音は東京にも広がり、レベル数値1から6へと向かって行った。ついに政府も 動きだし、首都圏住民の大規模な、地方への疎開が決まった。その中で、耳に障害のある イラストレーター英秀と内妻オイネは防音壁に囲まれた家に、残るつもりでいたが・・・。

書かれた時代が30年以上前のため、身体精神差別用語や表現が気になりましたが、全体と しておもしろく読みました。音という目には見えないものを相手に、次第に社会的不安が 高まって行く過程もうまいし、一方で変わらない日常を過ごす市民の姿も納得できます。 そして巧妙に描くことをしていない部分への、想像もかき立てられます。ラストは少し あっけない感じはありますが、「だまし絵」を見せられたようで、うまくしてやられたと、 苦笑いをしてしまいました。

吉田修一

「静かな爆弾」

中央公論社

2008.9.22

たまたま散歩中の外苑で、耳に障害のある響子と知り合った早川は、テレビ局で報道ネタを追いかけて いた。静かな響子との距離を縮めながらも、するりと消えそうな感覚があった。響子の住んでいる世界を あまりにも知らなかった。ハワイ旅行を計画していた時、急な仕事でパキスタンに行くことになった早川は、 響子とゆっくり話す時間もなく、戻ってからも編集などで会社に缶詰になってしまう。

音のない世界に住む女性を、なんとか理解しようとしてじりじりと焦がしながらも、仕事に追われていく 仕事人間の男の気持ちを丁寧に追いかけています。女性は、いつまでも男性にとっては謎の多い存在 なのでしょうか。早川が自分を見直すことになる、小さなドラマがいいですね。

大崎梢

「夏のくじら」

文芸春秋

2008.9.19

都心の高校から、祖父母の住む高知大学に進んだ篤史は、4年ぶりに「よさこい祭」に参加する ことになった。衣装や音楽や振り付けを決め、踊り手を募集して練習に入る。篤史には中学生の 夏休みの果たせなかった、約束があった。「いずみ」という名前を手がかりに、その人を捜し 始めたが、情報はなかなか集まらない。篤史は祭本番に向け、熱くなっていくチームと次第に ひとつになっていく。

大崎さんの書店シリーズとはまったく違う、新しい世界がありました。丹念に調べ、「よさこい 祭」に織り込むストーリーを構築したのでしょう。祭の特有の浮遊感や、街の空気も、とても新鮮でした。 衣装や踊りへのこだわりや思いも、すべてを飲み込んでいく奔流に、飲み込まれていくようでした。 ベタになりがちなラストも、きっちりと描き込んで好感が持てました。作品世界を広げるというのは、 大変なことだと思いますが、大崎さんはさらりと駆け上がった気がします。

加藤実秋

「モップガール」

小学館

2008.9.17

仕事情報誌を見てクリーニングサービス宝船の清掃スタッフに応募した桃子は、採用されすぐその日から 駆り出された。臨時に入った仕事とは、殺人現場の後始末だった。血の海のマンションの一室だった。 嘔吐し気絶したが、持ち前の負けず嫌いの性格で続けることになってしまう。犬アレルギーの社長と、 重男と、遅刻欠勤の常習犯の翔と怪し気なメンバーだった。桃子は次の現場で、左耳の難聴と、断片的な 映像が猛スピードで現れ、苦しんだ。事件と関係があると翔が言い出し、事件を調べることになる。

時代劇が好きな桃子のキャラ設定も、掃除会社のメンバーも個性的でおもしろいです。4つの事件の それぞれに、首を突っ込んで行くことになるパターンも、素人探偵ならではの味があります。いままで たくさんのミステリを読んできましたが、殺人現場の掃除をする人がいたことに初めて気がつきました。 思いがけない視点からの観察が興味深いです。桃子の現場ごとに、映像、味、匂い、寒さに振り回される のも、うまいですね。

舞城王太郎

「ディスコ探偵水曜日 上・下」

新潮社

2008.9.12

迷子探し専門の探偵・ディスコ水曜日は、解決した誘拐事件の依頼主から梢を押しつけられ、 一緒に暮らすことになる。小さな梢がいきなり14歳くらいの体型に大きくなり、また小さくなると いう不思議な経験をする。さらに未来の梢の身体に桔梗が現れる。ノーマ・ブラウンこと勺子が 聞き出し、梢は男に犯されたらしいという。11年後の梢の時代に起きたパンダ誘拐事件と、 11年前に起こったパンダ誘拐事件と、いま起きているパンダラヴァー事件。いきなり部屋に入って きた助手の星野と水星Cと、時空を超えた事件を解明しようとする。だが、無限の謎を孕む館・ パインハウスや、この世を地獄につくりかえる漆黒の男が交叉し、翻弄される。

事件のわずかな真実が現れようとすると、足元から崩れ、新しい宇宙空間が見え、わたしの知っている 宇宙理論も覆してしまう展開でした。最初から張り巡らされた伏線も、なつかしい九十九十九や ルンババの登場も、壮大なストーリーのカオスの中でかく乱され、ラストまで息が抜けませんでした。 とんでもない発想と妄想とが作る、舞城さんらしいおもしろさです。ソフトカバーとはいえ、上巻 621、下巻452ページはかなりの分量があるので、ちょっとためらいましたが、読み始めたらもう 止まりません。あっという間に舞城さんの世界に引きずり込まれ、ジェットコースター並みの展開を ひさびさに楽しみました。

パオロ・マウレンシグ

「狂った旋律」

草思社

2008.9.9

ロンドンの楽器オークションで、17世紀チロルのバイオリンを入手したコレクターの元に、 小説家を名乗る男が訪れ、実在した持ち主の数奇な物語を聞かされた。ウイーンのレストランに 現れた、マントに山高帽のいでたちのバイオリン弾きが、見事な演奏を披露して小銭を稼いだ。 その場にいた小説家は、難曲のバッハの「シャコンヌ」を注文したが、彼はそれさえも完璧な 演奏をして姿を消した。姿を求めて街を彷徨い、再び出会った彼・イエネー・ヴォルガは、父 から与えられたバイオリンで子どもの頃才能を見いだされ、ヨーロッパで名声を博した音楽院に 進み、運命的な親友・クーノと出会う。

ヨーロッパの街の空気や、ナチズムの影や、スパルタ式の音楽院の厳しい気配までも、眼前に 繰り広げられるようでした。妖しいまでの音楽、バイオリンの魅力に取り憑かれた天才の、 生い立ちへの劣等感も、意地悪な目を向けてくるクーノの屈折した思いも、描き切っていました。 壮大な時間の激流に身を任せるうち、ふっと現実がじつに危うい存在だと思い至るのです。 どこまでが現実、真実なのか。ラストは予想されるものの、ミステリ的な要素もありました。 背筋がぞくりとする、1冊です。

大崎梢

「平台がおまちかね」

東京創元社

2008.9.5

明林書房の新人営業マン・井辻は、書店巡りをして行く中で、店の喜びや苦しさ、思いを 次第にわかっていく。同業者・真柴たちとのコミュニケーションも取れてくる。小さな 書店が力を入れ平台に並べられている作家本の謎。いつのまにか本の並び順が変わっている謎。 新人賞受賞作家が授賞式から行方をくらます謎。5編の謎解きが絡む短編連作集。

いままでのシリーズの書店員視線では見えなかった、出版社の営業の側から描かれて、興味を 引かれました。書店の平台に、自社の本を並べたいという営業員同士の思いや、書店の経営者との やりとりも巧みに描かれています。本に関わる人たちの静かな熱い思いに、ちょっと胸が痛くなる いい作品だと思います。大崎さんのしっかりした構成力を、改めて見せつけられました。各章の 業務日誌風の部分も、静かにフェイドアウトする印象的な部分です。

ポール・オースター

「偶然の音楽」

新潮文庫

2008.9.4

妻に去られて傷心の消防士のナッシュに、突然20万ドルの遺産が転がり込んだ。何かに突き 動かされるように赤いサーブに乗り、アメリカ全土を駆け巡った。財産を使い過ぎて底が 見えてきた時、ポーカー賭博の天才.ポッツィと出会う。古城で開かれる賭博に加わり、逆に 借金を作ってしまった二人は、壁の石積みの労働で対価を支払うことになる。

この世に執着を失ったナッシュの心理が、うまく出ています。無意味とも思える、終わりが 見えない石積みの作業の疲弊感がリアルです。まるで人生の縮図のようです。そしてラストの 急変とひねりに、息を飲みました。うまいなと、感心してしまいました。他の作品も読んで みたいと思っています。

加藤実秋

「チョコレートビースト インディゴの夜」

東京創元社ミステリ・フロンティア

2008.9.1

歌舞伎町のホストクラブのトップに立つ空也から、(club indhigo)を経営するライター高原晶に、 新人ホスト樹(いつき)をいじめたホストや客があとから災難に見舞われるという相談を持ちかけられた。 敏腕マネージャー・憂也と共に、素人探偵捜査を始めるが、ホストが薬品液をかけられる事件が起きた。 そんな騒ぎの中「ホスト選手権大会」が開かれることになり、さまざまな思惑が絡んでいく。

シリーズ2作目です。個性的なキャラが事件に首を突っ込んでいくと、意外な結末が待っているという 楽しめる設定です。夜のホストクラブの裏側に見える人間臭さが、引きつけるのだと思います。 今回はタトゥーの世界もかいま見せてくれました。

近藤史恵

「ヴァンショーをあなたに」

創元クライム・クラブ

2008.8.29

小さなレストラン、ビストロ・パ・マルに仲のいい近所の田上夫妻がときどき来る。子どもの 手が離れ、ゆっくり美味しいものを味わうゆとりができたらしい。料理好きなご主人が、スキレットと いう重い鉄のフライパンが、どんなに手入れをしても錆びてしまう話しを三舟シェフにする。そこから 思いがけない話の展開になる。

おいしい料理が香ってくるような空気と、小さな謎の奥に見える人間の心や思いやりに、ちょっぴり 胸が痛くなる7編の短編集です。シェフをはじめ、4人のキャラも役割もうまく、料理が心憎いほどに おいしそうです。最後の2編は、三舟シェフの修業時代の逸話という設定になっています。そこでも 謎の女性の嘘を見抜いてしまい、次のステップを踏み出すための大切な言葉を、やさしく差し出します。 また老女とヴァンショー(ホットワイン)にまつわる話も印象的です。近藤さんの短編のうまさは、 格別です。

小路幸也

「モーニング」

実業之日本社

2008.8.27

大学時代からのバンド仲間5人のうち、交通事故で死んだ真吾の葬儀で25年ぶりに顔を合わせた。 帰ろうとすると、俳優の淳平が「俺は自殺する」と言った。喫茶店オーナーのダイは、仕事を 放り出しても止めようと、車に乗った。自殺の理由を当てたら、死ぬのをやめるという淳平の言葉に、 ヒトシとワリョウも同じ思いで、4人の20時間のロングドライブが始まった。かつての暮らしや 一人一人が何を考えていたのかを探り出していく。男5人の共同生活。マドンナ的存在の茜さんとの 想い出や、決して他言すまいと封印してきた事件もあった。

40歳半ばのダークスーツの男たちが、25年前の共同生活にタイムスリップしたように、思い出して いく設定がおもしろいです。時間処理も巧みでスピード感もあり、複雑な心の描き方もうまいです。 ラストのひねりも、更に重ねたひねりも効いています。傷として現在のそれぞれの書き込みが希薄なので、 現実感に乏しいのは、長さ的にやむを得ないところでしょうか。

小路幸也

「うたうひと」

祥伝社

2008.8.25

入院しているギタリストに、インタビューにきた女性がいた。音楽に関わってきた過去を 話すうちに、彼はバンドのボーカリストとの別れや、ギターへの深い感情を吐露してしまう。 ・・・「クラプトンの涙」。 音楽に見入られたミュージシャンたちの、7編の短編集です。

ラストの「明日を笑え」は、実在したコミックバンドを下地にしたような話です。どれもが リアルな、それでいて夢のワンシーンのような美しい作品集です。音楽好きには、ほろ苦い 想い出で胸が満たされる作品集です。

ディエゴ・マラーニ

「通訳」

東京創元社

2008.8.22

国際機関で通訳サービスの局長・フェリックス・ベラミーは、妻に去られても、管理の仕事も なんとかこなしていた。そんな時、ドイツ語の通訳担当主任・シュタウバーは、5カ国語を話す 優秀な職員だったが、精神を病んでいるというバーヌンク博士の診断に従い辞職を勧告した。 だが、全生物が話す普遍的言語を発見しかけていると、執拗に食い下がってきたのち、突然失踪 した。次にはベラミー自身が、奇妙な言葉を叫ぶ病気にかかり、バーヌンク博士の回復プログラムを 受けることになる。その治療に疑問を持ったベラミーは、シュタウバーの行き先を辿っていく。

足元から揺らぎ、自ら狂気の世界に飛び込み、さまようベラミーは果たして狂人になってしまった のか。迷走し様々な言語に翻弄される姿は、じつに現代的な課題を内包しています。シュタウバーを 名前ではなく「通訳」と呼ぶのは、あくまでも役割としての存在を強調しているようです。言葉の 迷宮をさまよい、最後に辿り着いたのは、少し救われる反面、物語のスケールを矮小化してしまった 感じがしてもったいない気がします。それにしても言葉の持つ、驚きの新たな一面を見せられました。 別な話になりますが、たまたまTVで、国際会議での同時通訳ブースのレポートをしているのを見ました。 相当な集中力が必要になり、20分が限界だそうです。そして休憩にはチョコレートを食べ、速やかに 脳に栄養を送るということです。華やかなバイリンガルな活躍も、大変な仕事かもしれないと思ったの でした。

小野淳信

「碧落の賦」

津軽書房

2008.8.20

1940年、医学部の卒業も近い岡田は看護婦の恵美と出会った。だが二人の間は、恵美がアイヌの 生まれを気にかけていたため妨げとなっていた。そんなとき岡田に召集令状が届き、中国の満州に 赴任することになる。赴任の直前にようやく夫婦になる約束をし、心を残しながら出発する。やがて 終戦を迎え、ソ連兵に「ダモイ・トウキョー(東京に帰還する)」と言われながらシベリアに収容 された岡田は、極寒と飢餓、そして人としてのプライドに苦しむことになる。一方で、恵美は岡田の 子を出産し育てる苦労に毅然として立ち向かっていた。

たまたま鏑木蓮「東京ダモイ」を読んだ後に、贈呈された本でした。小説の形式を取りながら、 体験者でなければ書けない事実の重みが交叉しています。なにより一気に読ませる、文章の力強さと 筆致に驚かされます。筆者は95歳での、初めての小説なのです。戦争への思いや、さまざまな 差別への視線や、読者に伝えたい熱い思いが、あふれてくるようでした。たくさんのテーマを 詰め込み過ぎた嫌いがあり、その時代の人でなければわからない表現もあります。それでも、 こんな風に生きてきた人がいるという歴史の重みが胸を打ちました。

蒼井上鷹

「九杯目には早すぎる」

双葉ノベルス

2008.8.19

古書店の店主・蓑田は、一緒にくらいている明美から頼まれて、友人の夫の素行調査をする ことになった。だがなぜか毎回うまくいかないのだ。きょうも、そっと後から入った寿司屋で、 男は「寿司と茶碗蒸しのかき回し丼」を食べ、職人に店からたたき出された。騒動にあっけに 取られているうち、尾行をまかれてしまった。

短編集です。キレのあるブラックな作品です。きっかけを忘れてしまうほどの、なにげない 日常から一歩踏み外して、どんどん悪い方向に狂い始めていく白昼夢のようです。 登場する人たちも、なかなかアクが強く、うまい作家です。好き嫌いが別れそうな、微妙な 作品だと思います。

蒼井上鷹

「ホームズのいない町」

双葉ノベルス

2008.8.18

「第二の空き地の冒険」など短編七編と、関連する掌編が六編です。ホームズもののタイトルを もじった通り探偵は不在なので、それぞれの話の登場人物が勝手に推測し、進めていきます。 各編が少しずつ微妙にリンクしながら、ラストに向けて収斂されていきます。いろんな視点から 描かれていて、人々の思惑が幾重にも錯綜していき、最後の結末に収斂します。うまい構成だと 思いました。

鏑木蓮

「東京ダモイ」

講談社

2008.8.15

薫風堂出版(自費出版専門)の槙野は、京都に住む高津という老人からの依頼を受け、句集の 出版に向けて進むうち、高津が突然行方不明になる。延期の置き手紙と未提出の原稿が残されていた。 その頃、舞鶴港で古い腕時計を身に着けたロシア人女性マリアの水死体が上がった。マリアと 高津の接点をつかんだ槙野は、句集をどうすべきか、プロデューサーの晶子と相談する。 終戦前、極寒のソ連の捕虜収容所で、日本兵は過酷な労働に従事させられていた。高津二等兵は ダモイ(帰郷)というわずかな望みでかろうじて生きていた。そんな中、鴻山中尉が日本刀で 切られたようなありえない殺され方をした。

現在の槙野がタイムトラベルをしているかのような、過去と現在の殺人事件が絡み合い、ふたつの 時代の犯人を追いつめていく構成がうまいです。収容所の描写には、鬼気迫るものがありました。 全体として視点がぶれることもなく、冷静に描き進めていく筆致はみごとです。句集の作者たちの、 現在の状況と思いもうまく捉えられています。後半でスピード感がなくなるのは惜しい気がします。 戦争ものにありがちな過剰な思い入れがない分、読みやすく、題材の多少の苦手意識はあるものの 好印象でした。

加藤実秋

「インディゴの夜」

東京創元社ミステリ・フロンティア

2008.8.13

フリーライター高原晶が、敏腕マネージャー・憂也と二人で、副業として開店したホストクラブ (club indhigo)は順調な経営だった。だが、常連のまどかが殺され、店のナンバーワンに嫌疑が 向けられる。豆柴刑事に警告を受けていたが、探偵まがいに事件に首を突っ込んでいく。

硬い表の職業と、副業のミスマッチなキャラ設定がおもしろいですね。夜のホストクラブの裏側を 見せてくれ、個性的な登場人物たちが犯人探しをするおもしろさが、小気味のいいテンポで展開します。 ドタバタ喜劇的な、楽しめるミステリです。

蒼井上鷹

「出られない五人」

ノン・ノベル

2008.8.12

愛すべき酔いどれ作家・アール柱野を偲び一晩語り明かそうと、彼のなじみの店だった ビル地下の閉店したバー・ざばずばに、特別の計らいで鍵を開けてもらって男女5人が 集まった。だが、段ボールの山から身元不明の死体が転がり出たことから、5人は互いに 疑心暗鬼にさいなまれる。殺人犯がこの中にいるのか。翌朝まで鍵をかけられ外に出られ ない密室の中、緊張感は高まっていく。しかし5人には、それぞれ出るに出られぬ理由が あった。

登場人物たちの秘密と誤解、それにちょっとした偶然が重なって、事件はとんでもない方向へ 転がっていきます。アール柱野は、亡くなったある作家を連想させます。楽しんで読める、 軽いミステリーという感じでしょう。これはなかなかうまい作品ですね。

蒼井上鷹

「ハンプティ・ダンプティは塀の中」

創元ミステリ・フロンティア

2008.8.11

思わぬことで第一留置室の新入りとなった和井は、そこで4人の先客と出会う。留置場という設定は、 拘置所や刑務所と違い、塀の中だが比較的自由がきく場所だ。だが、それぞれが抱えているものは 人に話せるものばかりではない。和井は、バイト先のママさんが車に轢かれた話をした。警察では、風の 強い道をふらついて歩いたママが、配達のワゴン車とぶつかったと判断した。だが、店に戻ってみると ママの飲み残しのウイスキーグラスで水を飲んだ猫が、死んでいた。そのとき話していた客が毒を入れた のではないかと、俄に怖くなった。留置室のそれぞれが推理して見せる。

塀の中という非日常の中で繰り広げられる、日常ミステリという設定がおもしろいです。キャラも 個性的で存在感があります。少し強引な推理展開という印象もありますが、悪くはありません。軽い 推理を楽しむには充分ですが、本格的とまではいかないのが惜しいです。

鏑木蓮(かぶらぎれん)

「屈折光」

講談社

2008.8.8

岩手の農場近くで獣医師をしている綾子は、イーハトーブの愛称のバイクで往診する。 山中の森で、創薬に関わる恋人・森田の死体が発見された。自殺か、他殺か。森田が、 半ば同居していた綾子を受取人に5千万円の生命保険に入っていたことから、警察は 綾子にも疑いの目も向ける。そして有機農場を営んでいる南條ファームで、土中から USBを思わせる不審な牛の骨が発見された。一方、脳外科の神と言われる綾子の父・ 内海が、手術中に倒れる。極秘に最高の治療が施されるが、急激に症状は悪化していく。

ひさしぶりに、大きな構成力を持った真摯な作家との出会いです。医学知識も深く、 論理的思考でいながら人間味のある女性の描き方に、好感が持てます。父と娘の感情のもつれも、 医学の避けて通れない問題による激しい感情も、納得のいく展開です。相当に削って400頁弱に 収めた腕もすごいです。過不足ない、力強いストーリーを描き切る筆致に感心しました。 しばらく目の離せない作家です。これからどんな作品を書いてくれるのか、楽しみです。

橋本紡

「九つの、物語」

集英社

2008.8.6

両親が海外旅行に出かけ、一人残った大学生のゆきなの前に、2年前死んだお兄ちゃんが 幽霊として戻ってきた。どこから見ても、生きているように見えるお兄ちゃんと料理を 食べ、音楽を聴き、小説の話をした。恋人の香月くんにも、普通の兄として紹介した。 だが次第に、お兄ちゃんの伝えたいことがわかってくる。

泉鏡花「縷紅新草」太宰治「待つ」などの9編の小説を、ゆきなが読んでいきます。それは 兄が古書店から購入したもので、ストーリーとなにげなくシンクロして、うまい構成だと 思います。おいしそうな料理のシーンひとつひとつのも、意味付けがあり、ゆきなの心理描写も 丁寧です。心に残るラストが、いいですね。ケレン味もなく、静かな雰囲気ですが、好きです。

小路幸也

「21 twenty one」

幻冬舍

2008.8.5

中学に入学した時、担任の韮山先生が言った。「このメンバーが卒業までの仲間です。そして21世紀に 21歳になる、21人です」21・21・21。twenty oneだった。医大生の糸井は、岩村から晶の死の連絡を 受けた。自殺だという。25歳の今もときどき連絡を取り合うほど、メンバーは強く結ばれていた。 宮永とともに全員に連絡を入れ、葬儀への出席とそのあと集まることにした。自殺の原因はどこに あったのか。それぞれが考え始め、自責の念に駆られていく。結婚した人や、ミュージシャンや会社員や、 次第に暮らし方や考え方に違いが出ていたこともわかってくる。

晶の死の理由と、奥深くに秘められた真実を知っていくという設定は、よくあるけれど描き方が うまいです。建前と本音を使い分ける社会人だから着けられる、結論に説得力があります。21人が しっかりとキャラがたっているのも、ラストの決め方も、作家の成長が見えてうれしいです。 これからも作品を楽しみに読みたいですね。

T.E.カーハート

訳:村松潔

「パリ左岸のピアノ工房」

新潮クレスト・ブック

2008.7.29

パリで暮らしているアメリカ人の著者が、自宅の近くで見つけたピアノ再生工房で、ピアノ職人 リュックと出会い、気難しかった空気が和らぎ、ようやく集めた古いピアノを見せてもらえるように なります。製造された時代や国や種類の異なる、数十台のピアノが並ぶ光景は圧巻です。かつて 弾いたことのある著者が、ピアノ教師についてレッスンを再開していくうちに、さらにたくさんの ピアノや、調律士、ピアノ教師等々、ピアノに関わる人たちと親しくなっていき、ピアノと、音楽を 愛する人たちの壮大なドラマが見えてきます。

わたしがかつてチェロを弾いていた頃の感覚を呼び覚まされ、夢中になって読みました。ノン フィクションですが、小説仕立てになっています。自分や親しい人のための私的な演奏を好む人々や、 彼らを支える職人たちと穏かで心温まる交流が描かれています。リュックがピアノに囲まれ、光が 差し込むフロアで恋人と踊る場面も、秀逸です。さらにピアノの歴史とか、過去のピアニストの逸話、 作曲家のモーツァルトやベートーヴェン、ショパン、リストに関す逸話や、パリのピアノ教育事情なども 紹介されますが、決してたいくつな資料や歴史ではなく、おもしろく引込まれる描写になっています。 パリそしてフランス、ヨーロッパの音楽、文化の歴史の深さに、あらためて驚かされます。 音の響きや心理を、こんなふうに描くこともできるのかと、著者と訳者に脱帽です。

ピアノの反響版の木材を、数世代も引き継いで育てて使う話に、チェロの楽器の木材が300年前の ものだという、かつての先生の話が甦ります。一度弾かせてもらった楽器の音色の素晴らしさが、 手に伝わってくるようでした。著者と共に色々なピアノに魅せられ、めくるめくピアノの世界を 旅し、読み終わってからピアノが弾きたくなる本でした。わたしも、友人に預けているチェロを もう一度手に取りたくなりました。ピアノだけではなく、音楽の世界の官能的なまでの美しさを、 充分に味わえるすばらしい本だと思います。

桜庭一樹

「荒野」

文芸春秋

2008.7.26

坂の上の築100年の、雨漏りのする大きな家で、恋愛小説家の父と暮らす十二歳の山野内荒野は、 痩せた男性っぽい家政婦の奈々子さんに日常の世話をしてもらっていた。ある日突然の別れがきた。 そして新しい家族がやってきた。父の再婚相手の蓉子さんと息子の悠也だ。悠也は、電車の中で 荒野がドジなことをして困っていたところを、助けられた相手だった。思 いがけず義理の兄妹と なってしまったのだ。黒髪の和風の顔を持った幼さを残した荒野と、すぐに留学していなくなって しまう悠也とのぎこちない、息の詰まるような触れあいとときめきが繰り広げられる。一方で にぎやかな学園生活があり、美しく活発な女友だちや男の子たちとの中で、荒野 はゆっくりと 成長していく。

「私の男」とは違う、不器用に少女が大人になっていく物語です。鎌倉の町、アルバイトで着る着物や、 蓉子さんにこしらえてもらった洋服、そして 放課後の買い食いのうさぎ型のまんじゅうなどの背景と 小物も活きていて、奔放な恋愛と仕事に明け暮れる父、その再婚相手、家政婦などの強烈なキャラが、 魅力的です。心地よいリズムと語感をもった文体で、感性豊かな一編の叙情詩を読んだような印象が 残ります。特に夏祭りの喧噪の中での、悠也とはぐれたときの感覚描写がいいですね。

フレデリック・モレイ

「第七の女」

ハヤカワ・ミステリ

2008.7.25

月曜日、事件の幕は切って落とされた。ソルボンヌ大学の女性講師が惨殺死体で発見されたのだ。 ベテランのニコ・シルスキー警視も思わず戦慄するほどの惨状だったが、それはほんの序の口に 過ぎなかった。火曜日、はやくも犯人は第二の凶行におよぶ。現場には被害者の血液で書かれた 「七日間、七人の女」を殺すというメッセージがあった。ニコの指揮のもと必死の捜査を繰りひろげる 警察を嘲笑うかのように、姿なき殺人者の犯行は続く。そして犯人は、ついにはニコの家族にまで 及ぶ。

フランスのミステリは、サイコ色が濃いのが多いのでしょうか。強烈な印象を残します。その割に ニコ警視や警察の描き方が、判事の過去など興味深いものはありますが、どこかで読んだ人物設定で 物足りなさが残りました。引込まれて読める、レベルが高い作品だとは思います。

小路幸也

「東京バンドワゴン」

ブックアート

2008.7.23

「東京バンドワゴン」という明治時代創業の奇妙な名前の、古書店兼カフェをで小さな事件が起きる。 東京下町の堀田一家の大家族と、近所の人々も加わり、人情味あふれるドラマが繰り広げられる。

小さな古書店の謎を解き明かす設定に、惹かれて読みました。亡くなった曾祖母のナレーターで 語られていきます。第1話の「春 百科事典はなぜ消える」 から、第4話の「冬 愛こそすべて 」まで、 いくつかの小さな 謎を解いていきます。どうしても、テレビの大家族ドラマシナリオを読んでいる ような感じがしてしまいます。誰か俳優を思い浮かべると、想像できるのかも知れません。

小路幸也

「シー・ラブズ・ユー 東京バンドワゴン」

ブックアート

2008.7.22

「東京バンドワゴン」という古書店兼カフェで、店主とその家族の物語が語られる。 自分が売った本を1冊づつ買いにくる男性がいた、謎。赤ちゃんが置き去りにされたり、夏には 幽霊騒動が起きる。

シリーズ2作目です。娘に会いにくる女優の話が、人情味あふれています。でも、使い古された 話のような印象があります。小説としては、少しキャラが類型的過ぎて、おもしろくありません。 やはり、苦手シリーズでした。

早見裕司

「となりのウチナーンチュ」

理論社

2008.7.18

15歳の彩華は、直木賞作家を目指す父・勇と古いアパートで暮らしている。ある朝、彩華は置物の 蛙の声が聞こえて驚く。心配して神経科に通うことにしたが、青蛙神と名乗る蛙と次第に仲よくなって いった。そんな折、隣室に夏海とその父が東京から引っ越してきた。夏海もまた神経科にかかっていると いう。夏海への束縛と執着が尋常ではなかった母の念が、生霊となって追いかけてくるというのだ。 沖縄の食べ物や言葉を教えたりして、家族ぐるみの付き合いが始まった。

沖縄の日照時間が少なかったりなど、意外な点も含め、情に厚い土地柄と人々の姿が描かれています。 あふれる熱い思いが、児童書という制限、あるいは土地への配慮のために、押さえ込まれた印象が あります。もっと自由に書ける設定にしたら、おもしろかったのではないでしょうか。観光ではなく、 そこに住むということは、台風だけではなく大変だなと思いながらも、一度は沖縄に行ってみたいと 思いました。

ジャネット・テーラー・ライル

「花になった子どもたち」

福音館書店

2008.7.16

母が亡くなり、出張の多い父は、独断でオリヴィアとネリー姉妹を年とった伯母、ミンティーに、 夏休み中預けることを決めてしまった。 ミンティーおばさんの家は田舎で、草深い庭があるが手入れを せずにほったらかしに近い。ぎくしゃくと始まった三人の生活だったが、ある時この庭にまつわる話を 書いた本が見つかる。子どもたちが妖精におまじないをかけられ、花にされてしまったという。 本を なぞって、庭を掘ると青いティーカップが出てくる。魔法をとけるかもしれないと三人は行動を起こす。

きかん気で感情の起伏の激しい5歳のネリーと、大人が決してありのままのことを自分たちに告げては くれないことを 知っているオリヴィアと、古い麦わら帽子をかむったままの伯母のミンティー。 それぞれが、関わりを通して受け入れる心に広がりを持っていくのです。そして夢も忘れません。

ティム・ウィントン

「ブルーバック」

さ・え・ら書房

2008.7.14

オーストラリアの大自然の中、二人で暮らすエイベルと母は、毎日海にもぐり、自然の恵みを感じながら 満ち足りた生活を送っている。ある日エイベルは海底で巨大な青い魚に出会い、その魚に魅了され、 ブルーバックと名づけた。やがて、成長したエイベルは、もっとブルーバックのこと、海のことを 知りたいと勉強し、ついに海洋学者になる。一方、母が一人で守ってきた故郷の入り江には、さまざまな 困難がやってくる。

生命、自然、本当の豊かさを、美しく描かれています。それだけではなく、地球規模の変化も感じ取り、 生きる目標や、自然がどうあってほしいのか、深く考えさせられます。海と土にがっしりと根を張った 母親と、紆余曲折の末、故郷に戻ってくるエイベルのたくましさが救いです。人間を責めることも無く、 ありのままを受け入れて生きながらえてきた大きな魚・ブルー・バックが、物語を引き締めてくれます。

小路幸也

「カレンダーボーイ」

ポプラ社

2008.7.11

2006年、安斎と三都は同じ大学で働いている。その二人が1968年小学校5年生の同級生だったころに タイムスリップしてしまった。 目覚めるともとの時代に、翌日は過去へ戻る繰り返しだった。精神的に は大人のままの2人は、安斎は使い込まれてしまった公金を補填するための、「3億円」を強奪する ために、三都は同級生の命を救うために、 少しずつ過去を変えて行く。 しかし、過去を変えれば当然 その結果が現在にも波及する。 それでも二人は目的をかなえるために 過去と現在を行き来する。

題材がおもしろく、テンポよく読ませます。最後に安斎(タケちゃん)のやるせない思いと、三都 (イッチ)のタケちゃんへの深い友情がちょっとせつないです。ただ、2人のキャラがきちんと描き 分けられていないので、同一人物にみえることがあります。そしてクライマックスであるはずの部分が さらりとし過ぎて、はぐらかされた感じがします。肝心の部分を回避しているのです。目を背けたいのか、 描けないのか、もしかしたら作家として致命的かも知れません。それでいて、次作を読みたくなるのが 不思議です。

シャンナ・スウェンドソン

「おせっかいなゴッドマザー」

創元推理庫

2008.7.9

魔術を製作する会社で働く、ケイティは同僚のオーウェンとつき合い始めた。待ち合わせの コーヒーショップで、恋の手助けをすると言ってエセリンダが近づいてきた。遅れてきた オーウェンは、スパイ行為をして会社の警備隊に拘束されていたアリが逃げたので、捜査に 戻らなければならないという。そしてクリスマスも年末も、とんでもない事件が起きてしまう。

(株)魔法製作所シリーズの3作目です。前作でつき合い始めたケイティと オーウェンの恋愛が、 いらいらするほどのスローペースで、どちらも純情です。資金源を得て巨大化していく敵との、 魔法対決もおもしろいです。とんでもない設定と魔法が、どこか憎めないのは、読者へ伝えようと する姿勢が真面目だからかも知れません。次のシリーズが楽しみです。

伊坂幸太郎ほか

「Re-born はじまりの一歩」

実業之日本社

2008.7.4

伊坂幸太郎と、瀬尾まいこ。豊島ミホ。中島京子。平山瑞穂。福田栄一。宮下奈都による 短編集です。

沙希と、父と母三人は、あと一時間で引っ越し業者が来て、家族は解散することになる。 その前に、いままで隠していた秘密を話そうと母が提案した。そんなとき、父の携帯電話に 怪しいドライブと食事の誘いのメールが入る。三人は揃って行くことにする。・・・ 「残り全部バケーション」(伊坂幸太郎)

どの作品も、いままでと違う一歩を踏み出す物語です。個性が違って、おもしろいです。 こういう初めての作家と出会える短編も、いいと思います。

畠中恵

「こころげそう」

光文社

2008.7.3

長屋に女の幽霊が出る。そんなうわさ話の真意を確かめようと、下っ引きの宇多は動き出す。 娘と息子を水で亡くした由紀兵衛を訪ねると、死んだはずの於ふじがいた。

事件の謎と、九人の登場人物の物語です。前作よりは剣呑さは薄れたものの、どこか硬い空気が 残っている感じがします。時代劇であっても、登場人物をもっときちんと書き分けてほしいです。 時代物が苦手と思うわたしには、必須条件です。

ジェフ・ライマン

「エア」

早川書房

2008.7.2

近未来の山岳国家カルジスタンのキズルダー村は、中国、チベット、カザフスタンに国境を接している。 先祖伝来の棚田を耕し、昔から変わらぬ生活を続ける人々が暮らしていた。中国系女性チュン・メイは、 そんな村の女性のために、町にでかけてドレスや化粧品を調達し収入を得る“ファッション・エキスパート” だった。ところがキズルダー村で、新システム「エア」のテスト運用が行なわれることになった。「エア」は 脳内にネット環境を構築し、個々人の脳から直接アクセスを可能にする新システムで、一年後には全世界 一斉導入が予定されていた。だが、テストの最中に思わぬ悲劇が起きる。

閉塞感のある小さな村の人間関係が現実的過ぎて、落差の大きい「エア」の描き方がどうもしっくり しませんでした。SFをよく読む人は楽しめるのかも知れません。胃の中に妊娠するというのも、無理すぎて やはりSFはついていけない感じでした。

小路幸也

「HEARTBEAT」

東京創元社

2008.6.27

高校の優等生の委員長・原之井は少し悪なヤオと淡い恋をした。彼女が自力で自分の人生を立て直す ことができたなら、十年後、あるものを渡す約束をした。ニューヨークの「暗闇」から帰ってきた原之井は、 約束の場所にやってきた。だが彼女は姿を見せず、代わりに彼女の夫と名乗る人物が現われる。彼女は 三年前から行方がわからなくなっていたという。居場所を捜し出そうと考えたとき、協力者としてかつての 同級生・巡矢(めぐりや)に会うことにした。一方、元男爵家で財閥の五条辻家の直系であるユーリ少年 は、 お屋敷で起きる幽霊に怯えていた。

ふわふわと危うい雰囲気で始まった物語が、原之井が過去を思い出すことと、巡矢の視点の両方から描かれ、 さらに二つの話が繋がっていくという手法が、不思議な空間を作り出しています。原之井の「心音を 聞き分ける」能力の設定もうまく機能しています。ただ魅力的な筆力なのに、どこか印象に残る感じが 薄いのはなぜでしょうか。

小路幸也

「HEARTBLUE」

東京創元社

2008.6.25

NYの失踪人課の警察官ワットマンは父と同じ道を選んだことを後悔はしていなかった。そんな彼を、 少年サミュエルが訪ねてきた。1年程前からおかしな行動をしていた少女ペギーは、なぜ姿を消したのか。 映像クリエイターの巡矢(めぐりや)も加わり、探り出そうとして辿り着く真実とは。

語り手が二人いて、それぞれが追っていた事件が浮き上がってくるにつれ、ふたつの事件はひとつに つながっていきます。現実感が乏しく、NYや日本とか具体的な地名は出てくるが、地球上のどこでも ない場所の設定です。体言止めの多用が嫌いでなければ、心地よいリズム感があります。軽い音楽の ようにさくさくと読めます。

北森鴻

「なぜ絵版師に頼まなかったのか」

光文社

2008.6.23

変革の嵐が吹き荒れる明治の帝国大学には、多くの雇われ外国人が教師・研究者として赴任していた。 ドイツからきた医学部主任ベイツ先生は、並外れた日本びいきで、その弟子・葛城冬馬と二人が、 次々と起こる事件の謎を解いていく。

当時日本で活躍した実在の人物も絡め、政治の裏事情なども出てきて、軽いユーモアミステリーに 北森さんらしい味があります。冬馬と、事件のたびに何度も名前を変える友人のキャラもおもしろい です。各章のタイトルは海外ミステリからのパロディで、思わずにやりとさせられます。 ただ、人物の深みが不足気味なのは、時代設定のせいでしょうか。

ウイリアム・ランディ

「ボストン、沈黙の街」

2008.6.18

小さな田舎町の警察署長ベンは、湖畔のロッジで片眼を撃ち抜かれたボストンの地方検事補の 死体を発見した。自分の町で起こった殺人事件なのに経験不足のもどかしさから、偶然知り合った 警察OBのジョンともに麻薬組織が牛耳るボストンへの無法地帯に乗りこむ。だが、警察と組織との 癒着、さまざまな裏切りや障害、証人も次々と殺されていく。ようやく10年前の「警官殺し」に たどり着くが、とんでもない事態が待っていた。

特有の退廃的な雰囲気のボストンの街で、捜査に関わる個性豊かな刑事たちや人間関係、絡み合う 思惑を描き切り、600ページを越える割りには読みやすかったです。構成力と無駄のない伏線も うまいですね。最後まで読ませます。

桜庭一樹

「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」

富士見ミステリー文庫

2008.6.13

片田舎の中学生・山田なぎさは、母子家庭で兄は引きこもりだった。 中学校を卒業したら、 自衛隊に入隊して「実弾」を手に入れたいと願う。そんななぎさのクラスに、自分を「人魚」だと 言う、謎の転校生・海野藻屑が入ってくる。父はアイドル歌手でお金持ちらしいが、藻屑はペット ボトルのミネラルウォーターをぐびぐび飲み続けるユニークなキャラだ。父親から虐待されている らしい藻屑は、傷つけられながらも愛している父親と、味方がいない自分を守るために、嘘で塗り 固めた砂糖菓子の弾丸を撃ち続けている。

2人の少女のどちらも、イタい。ありふれた日常に見せかけつつ、虐待の深層心理まで深く描いて います。桜庭さんはバイオレンスの描き方が、本当にうまいと思います。 読むのもつらいけれど、 ラストのなぎさの兄の行動に救われます。「生き残った子だけが、大人になる」教師の言葉が 重いです。

桜庭一樹

「青年のための読書クラブ」

新潮社

2008.6.12

伝統あるお嬢様学校、聖マリアナ学園では、校内の異端者だけが集う「読書クラブ」には、学園史上 抹消された数々の珍事件が書き継がれた秘密の「クラブ誌」があった。常に当事者でありながら 観察者であり、記録者であり続けた異端の読書クラブは、ある計画をもくろんだ。毎年、生徒の 投票によって全学生の憧れの「王子」が選出される伝統に、読書クラブの妹尾アザミが参謀になり、 烏丸紅子を「王子」として「出馬」させることだった。

女性だけの閉じた世界で生きる、少女たちがおもしろかったです。主人公たちの、少年のような 語り口もうまいし、「大衆」の心をつかむ術も巧みです。海外文学を散りばめながら、5編の エピソードが収斂する、ラストも印象的で、悲哀を感じさせられます。

二郎遊真

「マネーロード」

講談社

2008.6.11

株式市場の値動きを予見し、富を築き、ネット上で「金の声を聞く男」と呼ばれる男、ヒィ。 そのヒィに逆襲をしたい男と、ヒィと微妙な関係を築く大学生カズキ。

もしかしたら引きこもりだった作者が、社会に出て順応しようと、精一杯背伸びして書き上げた ような作品でした。数人の視点で描かれていますが、どれにも作者の思考がそのまま出てきて、 このキャラに言わせるのは無理だろうと感じてしまいます。相手の心を映像的に捕らえる特殊な 「力」も、妄想でしかなく魅力に欠けます。株式もよく知られた側面しか描かれず、リアリティが ありません。携帯電話が繋がらないのを「電話線がはずれている」とうっかり書くほど、携帯電話 ひとつにも慣れない雰囲気があります。書き続けたら、もしかしたら化けるかも知れませんが。

貴志祐介

「狐火の家」

角川書店

2008.6.10

女性弁護士・純子と、防犯探偵・榎本が「密室」の謎を解いていく短編集です。硬質な文章が好き です。ただ、謎解きに力を入れて、人間像が掘り下げられていない感じがします。長編の見事さを 思うと、どうも物足りなさが残ります。

橋本紡

「空色ヒッチハイカー」

新潮社

2008.6.6

勉強もスポーツも万能で、東大に余裕で合格し、国家公務員試験にも合格し、財務官僚となるはず だった兄が、 突然、弟の前から消えてしまった。18歳の夏休み、弟彰二は受験もすべて投げ出し、 川崎から九州を目ざして旅に出た。兄の残した年代物のキャデラックと免許証があれば怖いものはない。 ヒッチハイカーの、ミニスカの謎の美女・杏子ちゃんが、旅の相棒になった。個性あふれるヒッチ ハイカーたちと出会いを繰り返しながら、彰二はひたすら走り続ける。

いままでの作品は静かに心の中へ入っていくものでしたが、今回は外に出てあらゆる人間たちと 関わっていきます。青春の無謀さと、関わりを通じえて得るかけがえのない何かが、彰二を変えて いきます。ちょっぴりの胸の痛みと、希望を感じさせるラストもいいですね。

絲山秋子

「ダーティ・ワーク」

集英社

2008.6.4

寡黙な熊井望は、男のような名前を嫌っている。いまでも分かれたTTを忘れられない。 それでもステージでは、かわらずに愛用のギターを弾いている。健康診断で心臓の再検査を 言われ、初めて自分が死んだらどうなるか考えた。
遠井は大学時代の恋人・美雪から、入院見舞いにきてほしいというメールを受け取った。 激しい痛みに苦しみ、安楽死を医師に交渉してくれと言う。

熊井の男言葉と思考回路が、ひりひりと心に痛いです。ばらばらの各章の登場人物が、すとんと 繋がっていきます。ラストのシーンは妥当だと思い、ほっとする反面、気持ちのどこかに別な 選択をしてほしいものがありました。各章のタイトルの曲名を知っていたら、読者としては ひと味違ったかも知れず残念です。

桜庭一樹

「私の男」

文芸春秋

2008.5.29

花は小学4年のとき津波で家族を亡くし、親戚の淳悟のもとに引き取られて養女となった。北の町で 暮らす二人が、ひとつの事件をきっかけに東京へ転居した。花は24歳になって、明日、結婚しようと している。だが、よじれた淳悟との関係はどうなるのかは、花にもわからなかった。

タイトルから、かなり腰が引けていたのですが、他の作品の印象悪くなかったので、 読むことにしました。娘の花と父であり男である淳悟を中心に据え、抱えた孤独をお互いの存在で 埋めあう、閉じた完成された世界を、桜庭さんは力で描き切っています。濃厚さに辟易しながらも 読ませるものがありました。ファザー・コンプレックスが底にあるのではないでしょうか。。 時系列を次第に遡っていき、最後に幼い花と淳悟との繋がりが描かれ、幼さ故にどこか許される 無邪気な関係のスタートが、不思議な明るさを残して読後感をよくしています。父と娘の匂い立つ ような情交も、殺人も、薄れてしまうほどです。「血」で全てを納得させる計算をしているとしたら、 相当したたかな作家だと思います。

ジェニファー・イーガン

「古城ホテル」

ランダムハウス講談社

2008.5.27

ニューヨークの刑務所で囚人レイは、刑務所の新米女性教官のホリーの指導のもとに、「古城 ホテルの物語」を書き続けていた。物語の舞台は、少年時代の友人でいとこのハウイーが、 崩壊寸前の古城を一風変わったホテルへ改築する手伝いを必要としていたため、主人公ダニーは その地を訪れる。だがダニーは、幼い頃ハウイーを裏切って洞窟内の池に突き落とした記憶があり、 複雑な感情があった。古城は秘密の地下道、塔に住む老男爵夫人、双子が溺れ死んだという伝説の残る プールなど、怪しい雰囲気が漂っていた。次々と事件が起こる中、ダニーはアメリカの恋人と 携帯電話で連絡が出来ず、恐怖に駆られていき、遂に脱出を試みる。

何やら不思議で怪しい雰囲気の風変わりなホテルに、「囚われた」人々の奇怪な世界が進行して いきます。手際の良い構成と、怪しげな雰囲気が入り組んで、現実と物語があいまいになって いくというストーリーは、ゲームの世界のようです。読ませますが、盛り込み過ぎた人物たちが 消化不良の印象が残ります。

橋本紡

「流れ星が消えないうちに」

新潮社

2008.5.23

手作りのプラネタリウムで愛を告白された奈緒子は、恋人・加地君が、異国で女の子と事故で死んで から、1年半がたった。奈緒子は、加地の親友だった巧と新しい恋をし、ようやく「日常」を取り戻し つつあった。だが、玄関でしか眠れなくなってしまったことは誰にもいえなかった。離れて住んでいる 家族とも連絡が薄れがちだった。そんな折、家出してきた父と、追いかけてきた妹から聞かされる崩壊 寸前の家族の話に、またもや心が揺れ動く。

一人一人の心の動きが丁寧に描き込まれていきます。ゆっくりと彼女の内面で何かが動いてい過程に、 歯がゆいけれど無理がなく納得できます。さりげない日常の連続を描いているのに、不思議と胸の 深いところに届いてくるところが、橋本さんの味わいだと思います。プラネタリウムの光の美しさが 感動的です。読み終わったら夜空を見上げて、あなたも星に願いをかけてみてください。

桜庭一樹

「少女七竃と七人の可愛そうな大人」

角川書店

2008.5.22

美しく育った狭い田舎社会では目立ち過ぎる七竈(ななかまど)は、鉄道模型を愛し、孤独に生きる。 「辻斬りのように」淫乱な母は、いつも新しい恋に落ちて旅に出る。唯一、心が通った 親友の雪風と多くの時を過ごした。雪風との静かで完成された世界が永遠に続くかと 思われた。だが狭い共同体、狭い人間関係の中で、大人たちの騒ぎはだんだんと七竈を 巻き込んでいく。男遊びに目覚めた母が、七竈をみごもるまでの話が伝わってくる。

危うい斬新な世界のようでいて、古風なモラルに束縛される七竃の心がうまく描かれています。 途中から、視点が変わり別な人物や犬が語るところは、新しい進展も別な角度からの 意外性もなく、効果が薄い感じがします。と、突っ込みどころはたくさんあるのですが、 その世界に引きずり込む力があると思います。

長嶺超輝

「裁判官の爆笑お言葉集」

幻冬舎新書

2008.5.19

話題の作品です。裁判官が主文を言い渡す際に付け加えた、人間味のある言葉を集めています。 数行の裁判官の言葉と、1ページ足らずの解説では、なかなか伝わってこない歯がゆさがあります。 事件の背景を想像する相当の力と、裁判所の事例への知識がある読者を設定しているのでしょうか。 これだけでは、物知り顔の断片を見せられているだけだと思います。

橋本紡

「月光スイッチ」

角川書店

2008.5.16

恋人で不倫相手・セイちゃんの奥さんが子供を産むために実家に帰っているという。香織は セイちゃんの管理マンションの1室で、仮の新婚気分を味わうことにした。待ち望んでいた 二人だけの穏やかな日々のはずだったが、落ち着くのは広めの押し入れだけだった。離婚する つもりもなく、香織とつきあっていきたいというセイちゃんを、複雑な思いで見つめていた。 ある日、住人のシングルマザーの吉田さんの子・ハナちゃんと一緒に出かけることになった。

日常のなにげない動作や風景の描写に、詩のような美しさを感じさせる橋本さんの文章に 惹かれています。無理をして頑張る暮らしとは正反対の、ゆるゆるとした時間の心地よさが 魅力です。わたしにはできない「仮の穏やかさ」を味わいながら、ときどき、登場人物に しっかりしろよと言いたくなったりはするのですが。

森見登美彦

「有頂天家族」

幻冬舍

2008.5.15

人間・天狗・狸が暮らす街・京都に、狸の下鴨四兄弟は一族が暮らしていた。天狗の赤玉先生に、 読み書きから化け方の心得まで学んだ。狸汁にされて亡くなった父の威光が消え、二男は身を はかなんでカエルになり、井戸から出てこない。なんとか一族の誇りを保とうと、長兄は狸界の 頭領に名乗りを上げるが、邪魔が入る。敵対する夷川家、半人間・半天狗の「弁天」を相手に、 京都の街を縦横無尽に駆けめぐる。

破天荒な展開と、奇想天外なキャラ設定が以前より壮大になり、それでいて構成がしっかりして いると思いました。奔放に飛び廻る描き方もうまく、映像化したらさらにおもしろそうです。 作家として存外骨太な印象を強くしました。

桜庭一樹

「少女には向かない職業」

東京創元社

2008.5.13

中学2年生の1年間で、あたし、大西葵13歳は、人をふたり殺した。病気でアル中の義理の父と 島で暮らす。ちょっとだけ目立ってる、けれども家では意外と問題を抱えている普通の中学2年の 女の子の話。切っても切り離せない友人との関係から、殺人は始まった。武器はひとつ目は悪意で、 2つ目はバトルアックスだった。

家族問題が入り混じり、事件として『友人』からけしかけられた『殺人』が絡んでくきます。 痛々しいラストは、最後までキメられない友人・静香の穴だらけの完全犯罪計画の情けなさと いうのが中学生らしいともいえます。もうとうに無くなってしまった父親や母親像を、どこかに 求めている作家かも知れません。

桜庭一樹

「赤朽葉家の伝説」

東京創元社

2008.5.9

中国山脈の奥に隠れ住むサンカの娘・万葉が輿入れしたのは、タタラで財を成した赤朽葉製鉄所の 大家だった。不思議な千里眼を持ち一族の経済を助け、姑・タツと共に家を束ねていく。息子の死を 見通してしまった万葉は、いつも息子に哀しい眼差しを向けるのだった。バイクを乗り回し不良 少女として名を馳せる娘の毛毬は、やがて少女漫画家となって一世を風靡する。仕事もせず家に いるのは、毛毬の娘・瞳子だった。瞳子は万葉の、死に際の言葉の謎を解こうとする。

戦後やバブル景気といった、それぞれの時代背景の中で揺れ動く、赤朽葉家の盛衰と、3代の女 たちを巡る人間関係を描いた力作だと思います。特に、万葉の描き方は秀逸です。時代と地域の 濃い色をたっぷりと読ませてくれます。最後の謎解きも、祖母への追悼ということで納得はでき ますが、ミステリーではなく、丹念に書き上げた一族のストーリーとして、おもしろかったです。 架空のお話だと随所で言いながら、その世界に引込む筆致がすごい作家だと思います。

クリストファー・J・ガンビーノ

「 MY ONLY SON マイ・オンリー・サン」

アーティストハウスパブリッシャーズ

2008.5.7

マフィアボスの息子として生まれたヴィニーは、やさしいパパに守られて育った。だが、21歳の 誕生日、マフィアの一員としてファミリーとなるための儀式に参加する。彼の未来に自由はなかった。 ヴィニーの心はマフィアの組織の中で次第に荒んでいく。しかし、母の死の衝撃的な真相を知り、 直接麻薬に手を出したため逮捕されたことで、ヴィニーはかつての自分を思い出す。意を決した 彼を待っていたのは・・・。

マフィアボスの息子が描いた、本物のマフィア小説だそうです。若いヴィニーの苦悩や葛藤が、よく 描かれています。ただ暴力の波に流されてしまい、獄中で心が変わるあたりは、リアリティにかけ ます。そのために、ラストが活きてこないのではないかと思います。映画化なら、うまく扱えそうな 素材になる作品でしょう。

橋本紡

「ひかりをすくう」

光文社

2008.5.2

グラフィックデザイナーの智子は、仕事を辞めることにした。評価もされていたが、多忙の生活を送るうちに、 パニック障害になってしまったのだ。職場で知り合った哲ちゃんはひと足先に仕事を辞め、料理の上手な パートナーとして家事をこなしている。ふたりで都心から離れ、家賃の安いところで生活することにした。 心が休まった頃、不登校の女子中学生、小澤さんの家庭教師を始めた。そして拾ってきた猫のマメとの生活は 穏やかに続く。そんなある日、哲ちゃんの元妻から電話が入る。

柔らかい文体が心地よいですね。物語としては大きな山場も、日常のほんのちいさなできごとです。 二人の暮らしと視点は、ふんわり、ほっとします。智子が手のひらで光をすくうシーンが美しく、 印象的です。全編を通して美しい語感に浸れる、幸せ感がなんとも言えません。何かに悩み、迷いを 抱いているとき、すっと心の中に入ってくるかも知れません。

高田崇史

「QED 諏訪の神霊」

講談社ノベルス

2008.4.30

御柱祭は、地面を引き摺られ、急坂から落とされ、川を潜らせて禊ぎをする。 その間多勢の人が 跨って乗っている御柱の下敷きになり、一人の男性が亡くなった。タタルと奈々たちは、 諏訪の 御柱祭の謎と殺人事件に挑んでいく。

シリーズが続き過ぎたせいか、あっと言わせる展開がなく、定式化してしまった感じがします。 論理的に語ろうとして、逆におもしろさが薄れたかも知れません。殺人事件の方が興味が 引かれますが、なんとなく不燃気味でした。そろそろ読者は読み疲れた感じがあります。

片桐はいり

「グアテマラの弟」

幻冬舍

2008.4.25

グアテマラの弟を訪れる、さらりとしたエッセイです。語彙が(ボキャと言わずに)豊富ですね。 細かいことにこだわらない弟と奥さんとの、やりとりもなにか心に染みてきます。食や文化の違いを お互いに受け入れていき、ずっと住んでみたいと思うところまで作者は心を開いていきます。 ラストのコーヒーの話が家族と繋がり、いい終わり方でした。

橋本紡

「毛布おばけと金曜日の階段」

電撃文庫

2008.4.23

お姉ちゃんのさくらは毎週金曜日、階段の踊り場で“毛布おばけ”になる。高校生・未明(みはる)と さくらの彼氏・和人と3人で過ごすこの金曜日は、父と母を失い姉妹だけで生きていく未明にとって、 家族を実感できる心地よい時間だった。お菓子をむさぼるように食べ、和人と他愛ないおしゃべりを することで、心のわだかまりを融かすヒントをつかんだ。親友の真琴との別れ、和人のバイト、断れずに つき合ってみる都筑とのぎくしゃくした関係。未明は、考えながら進んでいく。

はっきりと意見を言えない未明の、無理せず、ちょっとづつ大人になっていく物語です。 心を見つめる視点がいいですね。頑張らず、でも希望を持って先のことを考えられるようになるという、 読後感がいいです。

S・J・ローザン

「新生の街」

創元推理文庫

2008.4.22

新進デザイナーのデザインスケッチが盗まれ、五万ドルの現金の要求があった。お金の受け渡しの 仕事を依頼された探偵リディアは、相棒ビルと共に指定の場所に着いたが、銃撃され、金は消えて しまった。口うるさい母親や、子ども扱いする兄の心配をよそに、汚名返上のため、ファッション界に 真相を探ろうとリディアとビルは捜査を始める。犯人からは新たなお金の要求が入る。

勝ち気で健気なリディアが、粘り強く聞き込みをして行く視点からの展開は、推理もまどろっこしい です。頑張ってるとは言え、ほとんど素人レベルで無謀で、冗長な感じがします。新鮮さに欠けるのは ベテランならではの宿命でしょうか。

三崎亜記

「鼓笛隊の襲来」

光文社

2008.4.18

ほんの少し、日常から逸脱した世界の9編の短編集です。完成度の高い作品だと思います。 ただ、そんなにはかなくもろくて、内部で自己完結してしまって大丈夫でしょうか。ひっそりと 胸の奥に哀しみを抱えている姿に、ため息が出てしまいました。前作からどんな変化があったのか、 心配になるほどです。

新津きよみ

「ユアボイス 君の声に恋して」

理論社

2008.4.16

岡里菜は、新任の中学の美術教師としてスタートした。初めて受け持った生徒で、思いがけない 「声」を耳にする。2年前に殺された、恋人と同じ声だった。美術部に入部してきた五十嵐は、 絵画の中に入っていけるという特殊な能力が備わっていた。その力を使えたら恋人を殺した 犯人に迫れるかもしれないと、里菜は考えてしまう。

のびやかな筆致で描かれていて、心地よく読めるミステリ仕立てです。わたしも好きな声にこだわりが ある方なので、興味深く読みました。ただ設定に少し無理があるのと、あまりにも教師として自分勝手 過ぎるので後味が悪かったです。書き手は楽しかったようですが。

伊岡瞬

「145gの孤独」

角川書店

2008.4.15

デッドボール事故が原因で現役を引退した、元プロ野球投手だった倉沢修介は、便利屋の 仕事を始めた。手伝うのは、傷つけた相手の西野とその妹・春香だが、西野はほとんど仕事 らしいことをせず、春香は事務処理をしてくれるものの嫌味ばかり言っていた。ある日、 広瀬碧から息子・優介のサッカー観戦に付き添ってほしいという「付き添い屋」の依頼があった。 優介は競技中に抜け出して、隠れて勉強をするという屈託のある子どもだった。

華やかな世界から落ちた倉沢の屈折した心が、読んでいて嫌だなという描き方です。その倉沢の 視点から見える仕事は、どうにも気が乗らず、会話も読み取りずらいのです。ただ、何かありそうと いう期待で最後まで読みました。ラスト近くのどんでん返しも、決まらずに不完全燃焼な印象です。 ラストは解説をし過ぎて興ざめでした。題材としてはおもしろいのに惜しいですね。

コーディ・マクファディン

「戦慄 上・下」

ヴィレッジブックス

2008.4.9

体に刻まれた深い傷跡は決して癒えることはないけれど、FBI捜査官スモーキーは、一緒に暮らすことに した幼く口を開けないボニーとの穏やかな暮らしを楽しむ余裕が出てきた。久しぶりの休暇を楽しんで いたが、16歳の少女サラが家族の惨殺現場に立てこもり、スモーキーに会いたいと言っていると連絡が入る。 ようやく救出したサラは、6歳で両親が殺されて以来、周囲で殺人事件が起こっていた。サラの日記には 「ストレンジャー」という人物がサラにつきまとい、凶行を重ねると描かれているが、事件の記録には 形跡は全くない。スモーキーはサラの心の闇を探りながら、ストレジャーの正体に迫っていく。

サラの日記を挿入することで、心の奥深いところへしっかりと光が当てられていきます。陰惨な犯行で 残虐だが、ホラーではなく、描かれているのは人間の心の残酷さかも知れません。人はどこまで邪悪に なれるのか、人はどこまでやさしくなれるのか。要点での細かな配慮があり、希望を残してくれます。 作家の怜悧な思考展開が、感情に溺れず、突き放さず、いいスタンスの取り方だと思います。それにしても、 最後までブレずに描き切るうまい作家ですね。次作も楽しみです。 ですね。

畠中 恵

「つくもがみ貸します」

角川書店

2008.4.7

親を亡くしたお紅と、その叔父の養子である清次の二人は、姉弟として出雲屋を切り盛りしている。 鍋、釜、布団、何でも貸し出す店で、その中に煙管(キセル)、根付け、掛け軸等が100年の年月を 経て妖しの力を携えた『つくもがみ』たちがいる。レンタルされて行った先で、様々な事を見聞きする のが何よりも楽しみ、という一風変わった妖怪たちだった。

付喪神たちは姉弟とは口を交わそうとしないし、 お互いのことをあまり快く思ってないところも あったりして、 「しゃばけ」シリーズとはかなり距離感も雰囲気も違います。 畠中さんも、 この設定に苦戦したのでしょうか。読者もつらいです。時代物が苦手と、再びため息をつきたく なる作品でした。

伊坂幸太郎

「ゴールデンスランバー」

新潮社

2008.4.4

仙台でパレード中の首相が、ラジコンヘリ爆弾で暗殺される。犯人は2年前、アイドル宅に 忍び込んでいた暴漢を捕らえた、元宅急便ドライバー青柳雅春だと報道された。ケネデイ 暗殺事件の犯人と、奇妙に重なる事件だった。街中に設置されているセキュリティポッドが、 人々の通話や会話、映像が監視されている。とりあえず逃げなきゃと、青柳は友人を頼って 隠れようとするが、銃を構えた警官が迫ってきて発砲までされる。敵は強大だった。ようやく 青柳は、自分が巧妙に仕組まれた大きな罠にかけられていることに気づき愕然とした。学生時代の 友人・森田や、カズ、晴子などに助けられるが、次第に追い込まれていく。

首相暗殺の濡れ衣を着せられた男は、国家的陰謀から逃げ切れるのか。と書くと、いままでの 伊坂さんの作品にはない、剣呑さがあります。わずかに軽さを残してはいるものの、迫真の 怖さに引込まれて読み終えてしまいました。あちこちに巧妙に仕組まれた伏線があり、多くの 登場人物がうまく配置され、しっかり役割を果たしています。時系列の巧みな描写もおもしろさを 増していると思います。管理社会の恐ろしさを前面に出しているわけではなく、負けが分かって いるゲームをいかにすり抜けるかに力が置かれています。青柳の父のコメントがいいですね。 「ちゃっちゃと逃げろ」。「ゴールデンスランバー」の曲は知らないのが残念ですが、幼い女の 子の「白やぎさん」の歌が、うまく使われています。

近藤史恵

「モップの精は深夜に現れる」

ジョイ・ノベルス

2008.4.2

部下や自分の娘とのコミュニケーションに悩む中年課長。取引先の仕事や自分の容姿にためいきを つく女性ライター。同じ事務所でつきあっていた男に二股をかけられたモデル。彼らが遭遇した 不可解な事件の謎を、女清掃人探偵キリコが解明していく。そして彼女自身の家でも、頭を悩ます ことを抱えていた。

困っている人たちに、ヒントを与えるという距離感が、その人たちの心理に深く沿った描き方が できていると思います。それにしても、家庭や仕事の問題に揺れ動く最終話は、近藤さんの暮らしの 反映かと思わせる切実な空気がありました。このシリーズは、続いてほしいですね。

米澤穂信

「さよなら妖精」

東京創元社

2008.4.1

あまり馴染みのないユーゴスラヴィアから来た、好奇心旺盛なマーヤを、高校生の守屋と万智は 行きがかりで面倒を見ることになった。旅館の娘・いずるに頼んで、手伝いをする条件で マーヤを宿泊させてもらう。弓道大会や神社、墓など興味を示すマーヤと、親しくなったが、 内戦が報じられたマーヤは帰国することになる。だが、守屋の心には風穴が空いてしまう。 無事を知る手がかりをつかもうと、彼女の過去の言動を日記から拾い出して推理してみる。

異邦人である彼マーヤを通して、日本の高校生の何気ない「日常」や、友人と「無駄」に過ごす 日々のかけがえのなさが再認識され、新たな意味づけがされていきます。 ラストの喪失感はわかるけれど、現実感が薄い印象がどうしても残ります。少し端折り過ぎたせい でしょうか。細かい日常の謎に触れるミステリとしては、おもしろいと思います。

近藤史恵

「天使はモップを持って」

ジョイ・ノベルス

平和なオフィスに8つの事件を引き起こす、小さな悪意があった。社会人一年生の大介には なぜ置いておいた書類が消えたのか、さっぱり見当がつかない。たまたま知り合った「歩いたあとには、 1ミクロンの塵も落ちていない」という掃除の天才で、とても掃除スタッフには見えないほどお洒落な キリコが鋭い洞察力で真相をぴたりと当てる。そこには仕事の場での、女性たちの押し殺した思いが 見えてくる。

ゴミの出し方や、建物内の汚れ方から、見えてくる人間関係を感じながら、綺麗にすることが好きな キリコというキャラが、悩んだり傷ついたりしながら人間味があっていいですね。 ぼんやりした大介が 次第に仕事への姿勢も変わっていくのも、さりげなく描かれていきます。短編のそれらが、ラストへと 繋がっていきます。仕事をする女性を、こういう形で描くこともできるのですね。

近藤史恵

「モップの魔女は呪文を知っている」

ジョイ・ノベルス

2008.3.26

流行のファッションに身を包む女清掃人・キリコが日常の謎を捜査し、事件を解決するシリーズ。 深夜のスポーツクラブでひとり残ったスタッフの行動が呼び起こした波紋。女子大生がバイトを かけもちし、やっと入手した希少種の猫が交換された謎。小児病棟の入院患者である少年少女が 噂した魔女騒動。新人看護師が遭遇した魔女の正体とは。

短編のそれぞれに登場人物の視点で描かれます。そして、キリコがさりげなく関わってきて、鋭い 観察と推理を見せてくれます。前作のラストから、深く悲しむキリコの姿に、胸が痛みます。

米澤穂信

「犬はどこだ」

東京創元社

2008.3.25

紺屋(こうや)は、ドロップアウトしてしまった社会復帰のために、私設探偵業を始めた。 「犬探し」を主体にした探偵事務所だが、知人の紹介の依頼は「失踪した女性の捜索」「村に伝わる古文書の 由来調査」という全く別のものだった。紺屋は押しかけ助手のハンペーこと半田と分担して、初仕事に乗り出す。 失踪した佐久良桐子の足跡を追ううち、紺屋は家族や友人の言葉にブレを感じていく。ネッ友の「GEN」からも、 力を借り真相に迫っていく。

狭い村の濃密な人間関係を背景に、予断にとらわれずしっかりと推理を展開していく姿が、新鮮な感じが します。人の心の、複雑な深い泥沼。二つの関係なさそうな事件が一つに重なっていく展開や、だまし絵の ように一瞬にして反転する、鮮やかな逆転劇が、なかなかです。こういう分野もイケますね、米澤さん。

近藤史恵

「サクリファイス」

新潮社

2008.3.21

かって陸上界で活躍したが、勝つことへの重圧に挫折した白石は、自転車競技に魅せられ、 エース・石尾のアシストを受け持つ。個人競技に見える自転車ロードレースが実はチーム戦に 近く、アシストは空気抵抗を受けながらエースの前を走り、表彰台に上るのは エースだけで、アシストの犠牲(サクリファイス)で成り立っている。その世界が好きだった。 多くのアシストを踏み台にしつづけるエース石尾。は、以前活躍しそうな選手をわざと事故に 巻き込んだと噂されていた。そんなとき、白石は元の恋人から会いたいと言われる。

自転車競技を知らないわたしでも、その魅力というか魔力のようなものが感じられ、 競技中の息詰まる駆け引きの雰囲気や、体力の限界まで走り込む選手の姿がみごとに 描かれています。競争意識や野心、疑心暗鬼の世界のようでいて、爽やかさが残るのは 白石の推察力と信念かも知れません。ラストで起こる事件と真相も、2重3重の サクリファイスが見え、最後のどんでん返しはさすが近藤さんですね。人の心を見抜く視線が、 鋭く、深いです。

米澤穂信

「春期限定いちごタルト事件 」

創元推理文庫

2008.3.19

「羊の着ぐるみ」 「For your eyes only」 「おいしいココアの作り方」 「はらふくるるわざ」 「狐狼の心」 の5つの短編。小鳩君と小佐内さんは、恋愛関係にも依存関係にもないが 互恵関係にある高校一年生。清く慎ましい小市民を目指す二人の前には次々に謎が現れる。 目立ちたくないのにはからずも謎を解く必要に迫られてしまう小鳩君。

訳ありの過去が気になる小佐内さんも、小鳩君のキャラもおもしろい設定です。小さな日常の シーンがじつは深い意味があるという展開も楽しめます。「狐狼の心」が残りました。

米澤穂信

「夏期限定トロピカルパフェ事件」

創元推理文庫

2008.3.18

高校二年になった小鳩君は、小佐内さんが地図まで作った“小佐内スイーツセレクション・夏”に つき合うことになった。ある日約束したときに、小佐内さんが誘拐されてしまう。小鳩君に送られて きたメールから、推理し助けに駆けつけることになった。

小鳩君と小佐内さんの二人の非常に危うい関係と、見えるようで見えない心の奥が、垣間見え胸が 痛いです。ちりばめられた伏線の数々が最後にぴたりとはまるうまさは、更にパワーアップされた 感じがします。続編が「秋季限定 マロングラッセ事件」として出る予定だそうで、楽しみです。

米澤穂信

「インシテミル THE INCITE MILL 」

文芸春秋

2008.3.14

時給1120百円という雑誌の求人広告に、車が欲しい結城は誘われた。謎の地下施設「暗鬼館」には 令嬢を思わせる須和名を始め、お金が欲しいそれぞれ思惑をもった12人が集まった。仕事の内容は 「暗鬼館」での7日間を一日中観察され、殺し合いを前提としたゲームに参加させられることだった。 細かなルールで加算されるボ−ナスの提示と、与えられたカギのかからない個室には、それぞれ12種類の 凶器とメッセージが用意されていた。何もせずに過ごしてもバイト料は手にできると、のんびりして いたが一人の死体が発見されると殺人が現実味を帯びてくる。一人、また一人と減っていく中で、 疑心暗鬼にとらわれる参加者たち。

THE INCITE MILLとは、煽動する粉砕機(施設)という意味のようです。ライト・ノベル風の表紙の 装丁を裏切る、本格的なクローズド・サークルのミステリです。ルールの説明から終盤までのワクワク する展開に、一気に読んでしまいました。見回りと死体処理をするガードロボットが、死体の現実感を 消してくれるので悲惨さはありません。さまざまな伏線をうまく使える作家ですね。ラストで収斂し 切れなかったものが少し引っかかりましたが、全体の仕上がりはなかなかです。

ジェームズ・アンダースン

「血染めのエッグ・コージィ事件」

扶桑社ミステリー

2008.3.12

バーフォード伯爵家の荘園屋敷のパーティに、テキサスの大富豪、大公国の特使、英海軍少佐など 豪華な顔ぶれが集まる。やがて嵐になり夜の闇に紛れて宝石盗難事件と、謎の連続殺人が起こる。 犯人は邸の中にいるはずだと警察が捜査を始めるが、手がかりは庭に残された、血のついた 茹で卵覆い(エッグ・コージイ)だけだった。復古的な舞台立てと、推理、トリックが展開する。

ヨーロッパの架空の公国とイギリスとが国防と資源を巡って上述の荘園で交渉するという 背景のもとに、物語は進行します。交渉の様子を探るスパイが潜んでいるという設定があるものの、 牧歌的謎解きなのです。こういうストーリーは苦手の方なのですが、ユーモアのセンスで おもしろく読めました。

辻村深月

「名前探しの放課後 上・下」

講談社

2008.3.7

藤見高校に通う男子高校生依田いつかは、タイムスリップで3ヵ月先から戻された。これから 起こる「誰か」の自殺を止めるため、いつかは同級生の坂崎あすな、生徒会長を目指す天木、 秀人と他校生の椿たちが動き出す。あすなのおじいちゃんの「グリル・さか咲」と、部室が 話し合いの場に使われた。あすなが偶然見つけた「遺書」を書いたノートから、河野基が 「いじめ」を受けていたことを知り、いつかとあすなは水泳の練習に誘った。

自殺を阻止しようとする動きと「いじめ」が、切迫感があり一気に引込まれて読みました。 キャラのそれぞれが抱えている心の痛みと、一人一人のやり方で、明るく振る舞い関わって いこうとする姿勢が、いいですね。背景の描写やプールの水の匂いなどの感覚描写もうまく、 複雑な人間関係の心理や絡ませ方ももたくみです。「グリル・さか咲」のおじいちゃんの存在感に 味があります。ラスト近くで事件が終わりそうな頃、まだそのまま放り出されていた伏線も、 もうひとひねりの結末にみごとに収斂していきました。構成力や切り取り方のうまさは、 「ぼくのメジャースプーン」を越える作品かも知れません。

米澤穂信

「遠回りする雛」

角川書店

2008.3.4

古典部シリーズ最新作で、日常の謎が詰まった7つの短編集です。 「省エネ」の 奉太郎が、千反田えるの「気になります」という言葉でスイッチが入り、 推理に関わっていくパターンが定着してきました。それぞれのキャラも、しっかりと たってきた感じがします。場面によっての服装へのこだわりも、おもしろいです。

特に千反田えるが、豪農・千反田家の一人娘という立場のため将来、共同体の中で責任ある 役割を担うことが宿命づけられているために、はっきりとした「大人の女」を感じさせました。 少しシニカルな推理がきらりと光り、特に「心当たりのある者は」では、ついついニヤリと して しまうしかけが楽しめました。

万城目学

「ホルモー六景」

角川書店

2008.2.28

6編の短編集です。「鴨川ホルモー」の外伝仕立てで描かれています。うまくなりましたね、 万城目さん。これから向かおうとする方向性が、たくさん詰まったような作品です。

男に縁の無かった京都産業大学玄武組の 女子学生「二人静」のホルモーでの決闘。 ・・・「鴨川(小)ホルモー」

「少年」のアルバイト先であるイタリアン・レストラン で、意外な才能を発揮した理学部の 楠木ふみが答える数学問題。・・・「ローマ風の休日」

少しだけ「ホルモー」 に近付いた芦屋の元彼女と、現彼女との間で優柔不断に揺れる情けない芦屋の話。・・・「同志社大学黄竜陣」

立命館大学白虎隊新会長の女子学生珠美は、バイト先の旅館にある長持を介して『織田信長の側近』 と思われる・なべ丸と400年の時を越えて「手紙」を交わした。・・・「長持の恋」

ほかに「もっちゃん」「丸の内サミット」など。全体として、おもしろくちょっぴり胸が痛くなる 雰囲気が、なかなかです。

米澤穂信

「クドリャフカの順番」

角川書店

2008.2.27

待望の文化祭。だが、折木奉太郎が所属する古典部では手違いで文集を作り過ぎ部員が頭を抱えた。 学内では、奇妙な連続盗難事件が起きていた。十文字と名乗る犯人が盗んだものは、碁石、 タロットカード、水鉄砲。この事件を解決して古典部の知名度を上げて、文集の完売を目指し 奉太郎たちは「十文字」事件の謎に挑む。

「氷菓」「愚者のエンドロール」とは違い、主人公4人それぞれの視点でストーリーが進みます。 「氷菓」ではカンヤ祭の謎を解き、二作目「愚者のエンドロール」では未刊の映画の結末を推理、 そして今回の3作目は、さらに謎が複雑になっていきます。学園を舞台にした小説としても、 ミステリとしてもおもしろくなりました。微妙な青春の描写、淡いような切なさを感じます。

米澤穂信

「愚者のエンドロール」

角川文庫

2008.2.26

文化祭に出すクラス製作の自主映画の脚本家が心労で倒れてしまい、シナリオの続きが わからなくて撮影が中断しているという。ラストでは、廃屋の鍵のかかった密室で少年が腕を 切り落とされ死んでいた。古典部の折木奉太郎は、続きが気になる千反田えるたちと共に結末 探しに乗り出した。

省エネ人間のホータローが今回も冴えてます。 二転三転する推理に、探偵役の奉太郎自身が苦い思いをする場面もあります。ミステリとして色濃くなり、青春小説としてもきちんと成立して いて、うまいですね。

米澤穂信

「氷菓」

角川スニーカー文庫

2008.2.25

姉から言われて古典部に入ることになった、無駄なことはできるだけやろうとしない折木奉太郎は、 いつのまにか密室になった教室や、毎週必ず借り出される本の謎を推理した。好奇心旺盛の お嬢様・千反田えると、奉太郎の親友の里志、漫画研究会とかけもちの伊原を加えた4人は、 古典部の 『氷菓』という文集に秘められた、三十三年前の謎を解いていく。

米澤さんの、デビュー作です。ストーリー展開がうまく、飽きさせません。高校の学園生活の ちょっとしたノスタルジイを感じさせてくれる描写がいいです。過剰にならない会話が、いい雰囲気です。殺人は起きないけれど、しっかりしたミステリで楽しめます。

ラッタウット・ラープチャルーンサップ

「観光」

早川書房

2008.2.23

闘鶏に入れ込み家庭を崩壊に追い込む父と、止めさせられず家を出ていく母と、残った娘は何を見たのか。・・・「闘鶏師」

失明間近の母に、最後に見せたいと美しい海辺のリゾートへ旅行にでかけた青年を描いた。・・・「観光」

タイの作家による7つの短編集です。人生の哀しい断片を、美しいタイの風景とともに描いて います。タイの人の「本音」がかいま見える、ごく普通の現実を書かれたものです。タイの現在が かつてのの日本に重なる印象もありますが、全体を通して見えてきたものは、痛烈な現代への 「告発」かも知れません。「タイの国は能無しとガイジン、犯罪者と観光客の天国よ」という、 一文が胸に痛いです。

米澤穂信

「ボトルネック」

新潮社

2008.2.21

恋人を弔うため東尋坊に来ていた僕・嵯峨野リョウは、強い眩暈に襲われ、そのまま崖下へ 落ちてしまった。ところが、気づけば見慣れた金沢の街に戻っていた。不可解なまま自宅へ 帰ると、流産で存在しないはずの姉・サキに出迎えられた。死んだ恋人・諏訪ノゾミも生きて いて、快活に暮らしている。別な世界にスリップしたのだ。

うまい仕掛けで、一歩踏み出した異世界を見ることで、自分を見つめていく過程を描いています。 自分よりもあらゆる面で優れた姉が存在し、何もかも、もとの世界よりもうまくいっている世界で、 リョウは己の無力さを突きつけられ、自分こそ世界に不要だったのではないかと考えてしまいます。 青春のある通過しなければならない時期を、巧みに見せてくれます。ラストも捻っています。

近藤史恵

「茨姫はたたかう」

祥伝社文庫

2008.2.20

女性専用マンションに住む梨花子は、隣室の早苗と礼子と親しくなった。会社では対人関係に 臆病で頑なに心を閉ざす梨花子は、マンションでのストーカーの影に怯え始めた。だが、心と 身体を癒す整体師合田に出会ったのをきっかけに、整体医院の歩に恋する記者の小松崎の 後押しもあり、初めて自分の意志で立ち上がる。

童話の眠れる茨姫は、王子様のキスによって呪いが解け、幸福になった。もしそれが、ストーカー だったらどうなるのか。たとえ話として出されるが、考えてみると行きずりの王子さまは 自分の思い込みで行動する点は、確かにストーカーと言えなくもありません。周囲の力に 助けられて、梨花子は生きることにも正面から向き合うことになるのです。さわやかな応援歌と 言えるかも知れません。

近藤史恵

「猿若町捕物帳 巴之丞鹿の子」

幻冬舍文庫

2008.2.19

江戸の町で、「巴之丞鹿の子」という人気役者の名がついた帯揚げをしていた娘だけを狙った連続殺人が起きる。南町奉行所同心・玉島千陰は岡っ引き・八十吉を連れて、捜査に乗り出す。

花魁・梅が枝との絡みもあり、役者の世界で起きる事件が描かれます。時代物が苦手なわたしは、 なんとか読みましたが、やはりだめでした。キャラがあらかじめ決まっていて、感情移入がし難い 点や、純朴な、あるいは人情味あふれる登場人物の心理に付いていけません。

近藤史恵

「猿若町捕物帳 にわか大根」

光文社

2008.2.18

遊女が3人、連続して死ぬという事件が続いた。死因はそれぞれ違うが、南町奉行所同心・玉島 千蔭はなにかが引っかかる。一人が死の間際に「雀」という言葉を残していた。

堅物の南町奉行所同心・玉島千蔭と、お人好しでおっちょこちょいの岡っ引き・八十吉の名コンビシリーズです。こちらはかなり現代の心理を取り入れる努力が見えますが、それでもわたしには 合いません。分かりやす過ぎる人物像とオチが、楽しめたらいいのですが。

ダニエル・タメット

「ぼくには数字が風景に見える」

講談社

2008.2.15

サヴァン症候群のダニエルは幼児期にてんかんを患い、コミュニケーション障害のために いじめられるが、忍耐と理解のある家族や仲間の愛情に包まれ成長していく。 20代で自立 しようと、海外のボランティアに志願し人と交流することにしだいに慣れていき、最愛の パートナーとも出会い、生活スタイルを確立をしていく。 一方で、ダニエルは数学と、数カ国語を話す語学の天才だった。通常では考えられない記憶力や 計算力を持ち、複雑な長い数式も、さまざまな色や形や手ざわりの数字が広がる美しい風景に 感じられ、一瞬にして答えが見えるのだ。てんかん基金のために円周率π2万桁以上を暗唱する イベントを自分で企画したことが、世界中の反響を呼んだ。

ダニエル本人の著書だということで、数字をどのように感じているかが伝わってきます。 数字をイメージする能力(共感覚)や、サヴァン症候群とアスペルガー症候群の説明も、 興味が尽きませんでした。人間の多様性に対する理解を深めることができました。文章が 素直過ぎて、あまりにも悪意と遠いところにいる存在で、危うい印象が残りますが、明るい 笑顔の写真を見るとだいじょうぶだろうという気もします。

近藤史恵

「ねむりねずみ」

東京創元社

2008.2.14

「ことばが、頭から消えていく」役者生命を奪いかねない症状を訴える若手歌舞伎役者・中村 銀弥を、妻・一子は崖っぷちにたたされた思いで気遣っていた。夫の友人でジャーナリストの 良高への気持ちを、抑えられなくなってきていたのだ。そんなとき上演中の劇場内で、人気 歌舞伎役者・小川半四郎の婚約者が、客席で刃物で刺されて死んだ。女形役者・瀬川小菊と その友人で探偵・今泉文吾と助手の山本は、衆人環視下における事件を調べ始める。

近藤さんのデビュー2作目で、梨園シリーズです。しがない中二階役者の小菊の目を通して見る、 梨園の表裏は、怪しく艶やかな異世界を見せる菅浩江さんの歌舞伎世界とは違う、ごく普通の 感覚で語られます。わかりやすく読ませてくれるのは、大部屋役者の小菊の設定によるものだと思い ます。それでも舞台にかける役者の執念や、晴れの舞台に立つ夢を抱き続ける役者の思いが、 痛いほど伝わってきます。ミステリの謎解きとしては、見えてしまい過ぎるけれど、おもしろい 世界を書ける作家だと思います。

近藤史恵

「桜姫」

角川書店

2008.2.13

市村笙子の前に、かつて大物歌舞伎役者の跡取りとして将来を嘱望されていた兄・音也の 親友だったという若手歌舞伎役者・市川銀京が現れた。家族が、歌舞伎界が隠している真実とは なにか。音也の死の真相を探る銀京に、笙子は激しい恋心を抱くようになる。 一方、三階の女形の小菊は、若手の勉強会で演じた「桜姫」の本公演が決まったが、気がかりが あって素直に喜べない。桜姫を演じる銀京に不吉なものを感じていた。

歌舞伎界を演ずる側から描くのは、かなりの力や知識が必要だと思いますが、近藤さんはその大変さを 読み手に意識させずに読ませてくれます。笙子の心の揺れを丁寧に描くことで、人の思惑の深さ、 黒さを浮かび上がらせていき、ラストでは妙に納得してしまいます。そこがうまい書き手だと思います。

近藤史恵

「散りしかたみに」

角川書店

2008.2.12

歌舞伎座での公演中、毎回決まったところで桜の花びらが一枚、ひらりと散る。誰が、何のために、 どうやってこの花びらを散らせているのか。女形の瀬川小菊は、師匠菊花に命じられ、探偵の 今泉とともに、謎の調査に乗り出すが、今泉は途中から調べるのを止めようと言い出す。 若手の実力者・市川伊織は半年前になにものかに襲われ、剃刀で顔を切られ深い傷跡を残したまま 舞台に立っている。小菊は、彼の楽屋に出入りしている滝夜叉姫と呼ばれる、妖しいまでの 魅力的な女性を見かける。

三階の女形瀬川小菊を語り手にして、歌舞伎界で二十年以上にわたって隠されてきた、哀しい 真実が浮かび上がってきます。はかない花びら一枚が告発する仕掛けも、舞台の表も裏も見える ストーリー展開に引込まれます。ラストが少し弱い気がしますが、内に秘めた思いを抱えて 舞台にたつ役者の業を見せられるようです。

近藤史恵

「二人道成寺」

文芸春秋

2008.2.11

女形役者・岩井芙蓉の妻・美咲が火事で意識不明となり1年がたった。献身的に病室を見舞う夫が 放火したのでは、と女形瀬川小菊の関わりの深い探偵・今泉に調査依頼があった。 依頼主は 芙蓉のライバルで、互いに目も合わせない女形役者・中村国蔵だった。女形二人の間になにが あったのか。事件の前に美咲が国蔵と親しげに話すのを目撃していた芙蓉の番頭・玉置は、複雑な 思いで内心の葛藤を押さえながら、成り行きを見つめていた。

三階の女形瀬川小菊と、番頭・玉置の視点から描く形で進められるストーリーは、狭い歌舞伎界の 愛憎を、のめり込まずに、それでいて核心に深く迫っていきます。さらりと、軽妙な小菊に語らせる 近藤さんのこのスタンスが、読みやすくしていると同時に、若干の浅さを感じさせるかも 知れません。

松井今朝子

「吉原手引草」

幻冬舍

2008.2.8

吉原中を騒然とさせるようなことが起こり、 忽然と姿を消した花魁・葛城の謎を、ある人物が 遣手、幇間、女衒など関係人物を訪ね歩き、 インタビュー形式で浮き上がらせようという 物語です。人々の口から語られる廓の表と裏が、当時の吉原の話し言葉で語られます。

吉原に関する知識は、ある程度読んでいますが、艶やかな独特の雰囲気を描きだしてみせる、 その作者の力は感心させられます。ただどんな事件が起きたのかが後半でようやく淡い輪郭が見え、 性急に語られる結末は軽すぎますね。有吉佐和子『悪女について』を思いださせてしまう描き方が、 うまいだけに惜しいです。

高田崇史

「クリスマス緊急指令 きよしこの夜、事件は起こる!」

幻冬舍

2008.2.6

「街のにぎわいと裏腹に、人が孤独に陥りがちなクリスマスには、信じられないような出来事が 訪れる」というキャッチの、6編の短編集です。「クリスマスプレゼントを貴女に---K's BAR STORY 」と「想い出は心の中で---K's BAR STORY」は、バーで語られる推理を交えたちょっと したいい話で、「オルゴールの恋唄」も甘さほろりの物語です。高田さんはこの手の話を、 シニカルに書いてみたかったのか、まさか本気じゃないですよね。タイトルに合わせて、無理矢理 出版した感じもします。

近藤史恵

「カナリヤは眠れない」

祥伝社文庫

2008.2.5

週刊誌の編集部で過酷な日々を送っている小松崎は、たまたま出会った歩(あゆむ)に連れられて 整体師・合田力に引き合わされた。幾度か通院するうち、新婚の茜という女性に興味を持った。 どうやら買い物依存症らしかった。取りかかっている記事にしたいと動き出す。

現代社会の中でうまくいかずに悩んでいる群像が、この短さにうまく収めています。 整体師という意外な職業の設定も、新鮮さがあります。近藤さんは、心理に寄り添い多数の 登場人物を絡ませていくのがうまいです。そして希望を残してくれる点に、ほっとします。 単に買い物依存症を見せるだけではなく、ミステリ絡みの展開も楽しめます。

近藤史恵

「シェルター」

祥伝社

2008.2.4

週刊誌の編集部の小松崎は、整体院の歩と旅行に行く計画をしたとき、歩の姉・恵がパスポートを 置いたままいなくなったという。その頃恵は、いずみと名乗る謎めいた少女と出会う。「殺されるかもしれない」とすがってくるいずみは、保護しなければならない気持ちにさせた。一方、 小松崎は取材していた映画の主役が、病気で降板したことを知り、その本当の理由を探り始める。

整体師・合田がおいしいキャラです。事件の核心部分にざくっと入って、ある種の治療をして しまいます。女同士の複雑な感情を描く近藤さんは、寄り添いながら、決して溺れない筆致が 冴えています。あまり頭脳明晰ではない小松崎が、読者の案内人役なのがうまい設定だと思います。 整体師シリーズも、安心して読めますね。

森見登美彦

「新釈 走れメロス」

新潮社

2008.2.1

「走れメロス」(太宰治)「桜の森の満開の下」(坂口安吾)「山月記」(中島敦) 「藪の中」(芥川龍之介)「百物語」(芥川龍之介)という古典を大胆リメイクした作品です。

5編それぞれの味わいが違います。特に、「走れメロス」「桜の森の満開の下」が印象に 残ります。登場人物や舞台背景が2作品以上にまたがって描かれているなど、きちんと計算した 設定も、ストーリー展開のおもしろさにつられているうち、意識せずに読ませてしまいます。 かなり強引に森見ワールドに話を引き込んでしまう、作者の奔放さに感心したり、多少あきれたり しました。そしてちょっぴり物悲しさを残す、森見さんらしさがあります。原作を読んでいない 方は、読後に読みたくなると思います。

近藤史恵

「凍える島」

東京創元社

2008.1.31

喫茶店・北斎屋のあやめとなつこは、常連客のうさぎくんと椋くんと友人二人に、詩人の 矢島さんと奥さんの奈々子さん、という一行は、瀬戸内海の真ん中に浮かぶS島の別荘に向かった。 かつて新興宗教の聖地だった島で、翌朝奈々子さんが刃物で刺さされ発見された。鍵は内側から しかかからない、密室だった。濃霧の中を手探りで進む数日間の間に起こる、連続殺人事件。 犯人は、意図は・・・。

孤島で起きる、ある意味ベタな展開をここまで面白く読ませてくれことに、驚かされる 近藤さんのデビュー作です。恋愛とミステリーを絡め、一人一人の心理に寄り添う描写が、 じつにうまいです。カタカナ表記に違和感があるのだけがマイナス点です。

近藤史恵

「演じられた白い夜」

実業之日本社

2008.1.29

劇団の主宰者・神内匠は、妻で女優の麻子を始め、本格推理劇の稽古のため山奥のペンションに 俳優たちを集めた。お互いに面識もなく、ミュージシャンなど芝居経験のない人物もいた。台本は その日の練習分だけ渡され、スリリングな劇を作り上げていく。台本に殺人事件が登場した日、 現実に殺人が起こってしまう。雪の藤棚の下で首を吊っていたのは、役柄で殺される女性だった。

集まった人物たちがそれぞれに抱えている心理を、巧みに描き分けて絡ませるのはさすがです。 作中劇はデビュー作「凍える島」に似た設定で、別な物を見せてほしかったというのは読者の わがままです。警察への連絡も、管理人とも連絡が取れないお約束の「密室」殺人事件に、 こういう書き方もあるのかと、感心させられます。次第に疲労を増していく空気の中で劇的な 死が起きるのですが、麻子の心理の変化は、人間関係の希薄さからか少しさらりとし過ぎかも 知れません。

近藤史恵

「青葉の頃は終わった」

カッパノベルス

2008.1.28

瞳子、加代、法子、サチ、猛と弦は大学からの仲間だった。誰もがあこがれた瞳子が、 ホテル七階から飛び降りたという報せは、それぞれの胸に大きな動揺を与えた。葬儀の後、 瞳子からのはがきが送られてくる。「わたしのことを殺さないで」。彼女を死に追いやった 責任は自分の言動にあったのではないかと、一人一人が思い悩み、さりげなく通り過ぎようと していた暮らしが揺らぎ始める。仲好しだった加代は、ピアノ教師の仕事がうまくいって いなかった頃、お嬢様育ちの瞳子と一緒にパリに旅行し、出会った日本人の二人組と行動を 共にするうち、瞳子が暴力で犯されてしまう事件があった。

死んだ後の自分を忘れてほしくないという欲求が、友人たちを振り回してしまう設定は、 イタいです。行きていく様々な局面で、選択して進む結果の責任は自分にあると思うので、 どうも瞳子の甘えについていけない感じがしてしまいます。ミステリの書き方としてはいい けれど、共感はできないのが正直な感想です。ただ、「青春」のストーリーとしては許される のかも知れません。

近藤史恵

「スタバトマーテル」

中央公論社

2008.1.25

声楽家の夢に挫折したりり子は、音楽大学の副手の仕事をしていた。恋人の西とは、3度も 付き合い、別れた。なぜかそれでも、どこか繋がっている。そんなとき、美術科の特別講師として きていた版画家・瀧本大地との出会いが、りり子のすべてを変えていった。個展で会った大地の 母はかつてイラストレーターだったが、事故で視力を失い大地のマネージメントに力を向けていた。 大地の家にりり子が訪れたとき、豪邸の中は異様な空気に包まれていた。その頃から、りり子に 対する悪意の牙が向けられた。

ひた向きな芸術家の母と息子の感情や目の手術など、よく知られた題材が、ひと味もふた味も 違う切り取り方で、強烈なインパクトで迫ってきます。それでいて絶望させることがなく、 どこかに信じられそうな希望を持たせてくれます。読後感も痛いけれど、不思議な魅力があります。

近藤史恵

「ガーデン」

東京創元社

2008.1.23

火夜(カヤ)がふらりと姿を消し、同居していた真波宛にネイルした子指が入った小包が届く。 真波は同じマンションの今泉探偵事務所を訪れ、捜査を依頼する。街で知り合ったヤクの 密売人・スワから拳銃を手に入れた火夜は、「幽霊」の飴井に、拾った仔犬モンモランシイを 押しつけるやさしさも見せる。飴井の知人の横田と地下カジノに行き、数人の男に負けを体で 払わせられたあと、ふらりと入った庭の中の温室に魅了される火夜。その庭の管理人・藤枝から 今泉は、温室の死体の処理を依頼される。

火夜や探偵を始め、登場人物全員が何らかの秘密を抱えて、存在が危うい感じがします。その上に 成立した連続殺人事件です。ダークなシーンも、近藤さんの描き方には、すれすれの官能の匂いを 感じさせます。血と愛憎が交叉し、父親とひいお婆ちゃんの記憶を抱き続ける火夜が辿り着いたラストに、新鮮なものを見せてくれました。

コリン・デクスター

「キドリントンから消えた娘」

ハヤカワ・ミステリ文庫

2008.1.22

2年前に失踪した女子高生バレリーから、元気だという両親に手紙が届いた。警察は前任者から モース主任警部に捜査を引き継がせた。モースは「バレリーは死んでいる」という直感を抱いて、 前任者の資料や証人を再調査し、仮説の検証という試行錯誤を繰り返していく。

ごく普通の失踪事件を、独自の直感と推理で難解な事件にしてしまうモース警部の性格・行動 ぶりが、作品として成立させていると思います。次々に仮説をひねり出し、披露してはあっさりと 崩れる。読者はそこを楽しめたら満足できるかも知れません。とんでもなさが、おもしろいと 言えます。

近藤史恵

「賢者はベンチで思索する」

東京創元社

2008.1.18

ファミレスのアルバイト・久里子は、いつも同じ席に座り2時間もいる国枝老人が気になる。 しかも少し痴呆の様子もあるらしい。だが、犬のアンを散歩させていた公園のベンチで 出会った国枝は、別人のように見える。最近数件発生していた毒入りのパンを食べたアンを、 すばやく病院に行かせてくれ、おののく久里子を救ってくれる。深夜に出歩く弟で浪人生の 仕業だったらどうしようかという不安も、解決してくれた。だが、近所で誘拐事件が発生し、 国枝が男の子を連れているのが目撃されるという、とんでもないことが起きる。

さりげない日常が、見える角度が変わるとまったく別なものに見えてくる。そんな視点の 新鮮さを感じさせてくれました。見逃してしまいがちな、人間の抱える「悪意」と「善意」を いままでになかった描き方で、読ませます。やられました、近藤さん。作品にバラツキが ありそうですが、選んで読んでみましょう。

近藤史恵

「ふたつめの月」

文芸春秋

2008.1.17

久里子は服飾雑貨の輸入会社で、契約から正社員に採用されたが、部署の廃止で突然リストラ されてしまう。だが、自己都合退職扱いで上司も怒っていると伝え聞く。犬のアンとトモの散歩を している途中、ファミレスで知り合った赤坂(国枝)老人と出会い、仕事を辞めたことを話して しまう。そして思いを寄せているイタリアに料理の修行に行っている弓田を、待つべきかどうかの 迷いも相談した。赤坂老人の推理を聞き、久里子は確かめてみる事にした。

不思議な老人の存在感が、なんとも魅力的です。人の目にどう写るかと、その人がどういう 人間かという間の落差や、揺れ動く心の中を描くのがとてもうまい作家です。久里子の周囲の 人間まで、短い表現でくっきりと見えます。背景や小道具のすべてに無駄がないので、この 長さに凝縮できるのでしょう。それでいて、息苦しさや気負いが感じられないのも、いいですね。

近藤史恵

「狼の寓話」

徳間ノベルス

2008.1.16

夢だった刑事課に配属が決まって張り切った會川圭司は、犯行現場で失神し、鑑識が見つけた証拠を 誤って流してしまった。チームから外され、次に組んだ相手は女性刑事黒岩だった。担当したのは 一週間前の殺人事件だった。新婚の小早川が殺され、疾走した妻・梓が疑われていた。周囲の 聞き込みから小早川のDVが浮き上がってくる。梓が出版社に応募した、殺人を思わせる童話 原稿も見つかる。

警察小説としては軽いタッチで進んで行きます。その先に描かれたDVの、加害者と被害者双方の 心理まで踏み入って行ったとき、読みながら心が叫び出しそうになりました。自分の事に引き 寄せて、痛みを感じさせられるのです。すでに知っている問題に、こういう描き方もできるのかと 感嘆しました。冒頭に出てくる童話が、梓の心理を反映するかという描き方もなかなかおもしろく、 うまいですね。なによりも、近藤さんの心の奥深くにある冷たく湖と、血が噴き出しそうな感性を、 かいま見た感じがします。抱えながらも、決して暴れさせることなく、かと言って冷静でもなく、 絶妙なバランスを保っているようです。読後感にポッと灯る灯りが救いです。

近藤史恵

「黄泉路の犬 」

徳間ノベルス

2008.1.15

刑事課の會川圭司は、女性刑事黒岩と一緒に東中島での強盗事件を担当していた。姉妹に刃物を つきつけて脅し2万円を奪い愛犬チワワも攫われたという。簡単に解決するかに見えた事件は、 たくさんの犬や猫を飼っている女性の自殺によって、混迷を深めていった。捜査していく過程で、 黒岩の遠い親戚の子どもの、家でも絡んでくる。

動物の保護シェルターやボランティア、里親募集サイト、アニマル・ホーダーなどの実態も見えて、 動物の愛護と虐殺との関係が鮮やかに浮き上がります。関わる人たちの描き分けもうまく、これ だけ重く絶望的な題材を描きながら、読後感は決して悪くありません。むしろ希望があると 信じたくなるのです。黒岩の仕事で見せる厳しさと、人間的な迷いややさしさに救われます。

近藤史恵

「タルト・タタンの夢」

東京創元社

2008.1.11

下町の小さなフレンチ・レストラン「ビストロ・パ・マル」の、ちょっと変わったシェフの つくる料理は、気取らずにお客の心と舌をつかんでいます。常連の西田さんが、なぜか体調を くずしたという。シェフは、一皿の料理を出し、その原因をさらりと納得させてしまう。 かつて 甲子園をめざしていた高校野球部の不祥事の真相や、フランス人の恋人が最低のカスレを つくった理由はなんだったのか。

7つの短編です。特別料理によって謎が明らかになり、元気を取り戻すお客というのは、 北森鴻さんの“香菜里屋シリーズ”を思い出させますが、近藤さんのテイストはまた異なった 雰囲気があります。人間に注がれる視線の暖かさと、想像する結末のひとつ上のオチが なかなかです。どの料理も家庭的で美味しそうですが、特に暖かいワイン“ヴァン・ショー”が すごく印象的で、飲んでみたくなりました。

フリオ・リャマサーレス

「狼たちの月」

ヴィレッジブックス

2008.1.10

スペイン内戦時代、悲劇的な状況の中で過酷な戦いを強いられた、アンヘルをはじめ、 ラミーロ、ヒルド、ファンたちは絶望的な状況に追い込まれて行く。村を徹底的に捜索し、 彼らの家族を手ひどく尋問する治安警備隊から、逃げ続けるか殺されるかしかない。かろうじて 生き延びて、なお抵抗を続ける。だが細い繋がりを保つ、熱い家族への思いはあるものの、 葬儀にも顔を出せないことに胸は張り裂けそうになる。

内戦の一断面をみごとに切り取った作品です。「気高くて、しかもしつけのいい犬を部屋に 閉じ込めて、痛めつけてやると、犬は人間に歯向かい、噛みつく。あるいはかみ殺すかも 知れない」村人に人殺しはよくないと言われ、答えたアンヘルの言葉が印象的です。無駄の ない文章で、モノクロの映画のようです。ときどき、目を背けたくなる食料の調達や、凄惨な 戦いの生々しさだけカラーにして見せる手法で、読ませていきます。浮き上がってくるのは、 「自由」への渇望でしょうか。ただ多少内戦に関心を持ってある程度知っている者としては、 内戦の根本や歴史的背景は描かれていない点は残念です。そうなると全く別な作品になって しまうでしょうけれど。


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